高千穂神社(宮崎県高千穂町)を掲載しました。
高千穂神社(たかちほじんじゃ)
<通称>高千穂宮・十社さま(たかちほのみや・じっしゃさま)
【鎮座地】〒882-1101 宮崎県西臼杵郡高千穂町大字三田井1037 旧日向国 臼杵郡
【御祭神】高千穗皇神
天津彦彦火瓊瓊杵尊 木花開耶姫命 彦火火出見尊 豐玉姫命 彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊 玉依姫命
(配祀)十柱大明神
三毛入野命 鵜目姫命 太郎命 二郎命 畝見命 照野命 大戸命 靈社命 淺良部命 三郎命
【例祭】4月16日 春季例祭
【旧社格等】村社 現別表神社
【御由緒】
高千穂宮御由緒
当宮は初め高智保皇神と申し上げて、この地に宮居をさだめられた天孫瓊々杵尊、木花開耶姫以下三代の神々をお祀りし、千百余年前の仁明・清和両朝には日向国最高の御神階が授けられたことが六国史に記されております。
神武天皇の皇兄三毛入野命が御東征の途次高千穂に帰られて日向御三代をおまつりされたのが初めで、その子孫が長く奉仕されて後には三毛入野命御夫婦と八柱の御子とを合祀して十社大明神の神名で親しまれ、古くより高千穂八十八社の総社として崇められてきました。
源頼朝は畠山重忠を代参として多くの宝物を奉納し重忠手植の秩父杉は八百年を経た今も社頭高くそびえています。
文永、弘安の役には勅使が見え、南北朝の頃征西将軍懐良親王御祈願等、古記録や宝物も多数残っています。
天正年間三田井氏が滅んで延岡領となりましたが、歴代藩主はそれぞれ社領を寄進し例祭にはたえず奉幣して明治に及びました。
大正十四年秩父宮御成をはじめ十数家の皇族の御参拝もあり、昭和四十六年七月一日別表神社に列せられました。
天孫降臨、神武天皇ゆかりの高千穂宮は、今日では国運の隆昌と、縁結び、交通安全、厄除けの神さまとして広く信仰されております。
例祭日 四月十六日
猪懸祭 旧暦十二月三日
(社頭由緒掲示板より)
一説に天孫降臨の地とされる高千穂町の中心部にあります、高千穂峡に向かう途中の道路沿いに鎮座しています。
参道入口
鳥居をくぐると左に手水舎があり、石段の参道が続きます。
拝殿
階段を上りきると、右手に授与所、正面に社殿です。
本殿
国指定重要文化財 安永七年(一七七八年)立替
九州南部を代表する大規模な五間社本殿建築で地方色も顕著に有している。
平成十六年七月六日告示
本殿の彫刻
本殿の彫像は当宮の御祭神三毛入野命が霜宮鬼八荒神を退治なされたものと伝えられます。
荒振神(あらぶるがみ)どもを平げ農業や産業の道を拓かれた三毛入野命は厄祓や産業の神としても深い信仰があり鬼八退治にちなんだ猪懸祭は十二月三日に行われ神道祭祀の原型をとどめた古事として有名です。鬼八塚は町内に三ヶ所ありそのなかの首塚は現在ホテル神州の東北にあります。
高千穂宮 (案内板より)
夫婦杉拝殿左にあります。
此の二本の杉は夫婦杉と申しまして根元が一つになって如何なる事があっても別れられない形を現して居ります。
この廻りを手をつないで3回廻ると夫婦友人睦まじく家内安全で子孫は繁昌の三つの願いが叶ふと伝わって居ります。
夫婦、友人、婚約者の方が手をつないで廻っている姿が絶えません。
日向なる逢初川(あいそのがわ)の畔(はた)にこそ 幾世(いくせ)むすびの神ぞまします(高千穂神楽歌)
高千穂宮 (案内板より)
秩父杉
当宮は鎌倉幕府の信仰が厚く文治年間源頼朝は秩父の豪族畠山重忠を代参として天下泰平の御祈願に参詣しました。
重忠公手植の杉は「秩父杉」と号(なづ)けて今なお社頭に高くそびえ千古の歴史を伝えております。
目通(30尺9メートル)高さ(180尺55メートル)樹齢(約800年)
(案内板より)
境内社、荒立神社と四皇子社 (県文化財指定)
荒立神社の御祭神は猿田彦大神と天鈿女命で交通安全、縁結び、芸能の神さまとして信仰されています。
四皇子社には神武天皇とその御兄弟四柱の神(五瀬命)(稲氷命)(三毛入野命)(佐野命)が祭られ日本建国に功績をのこされた神々です。
高千穂神社
高千穂町教育委員会
(案内板より)
高千穂宮鎮石(しずめいし)の由来
第十一代垂仁天皇の勅命により我国で始めて伊勢神宮と当高千穂宮が創建せられた際用いられた鎮石と伝えられます。
尚住吉、関東鹿島神宮御社殿御造営の際高千穂宮より鎮石が贈られ同宮神域に要石として現存しています。
またこの石に祈ると人の悩みや世の乱れが鎮められると言われています。
(案内板より)
社殿全景
拝殿から参道向かって右は秩父杉です。
高千穂神社(たかちほじんじゃ)
<通称>高千穂宮・十社さま(たかちほのみや・じっしゃさま)
【鎮座地】〒882-1101 宮崎県西臼杵郡高千穂町大字三田井1037 旧日向国 臼杵郡
【御祭神】高千穗皇神
天津彦彦火瓊瓊杵尊 木花開耶姫命 彦火火出見尊 豐玉姫命 彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊 玉依姫命
(配祀)十柱大明神
三毛入野命 鵜目姫命 太郎命 二郎命 畝見命 照野命 大戸命 靈社命 淺良部命 三郎命
【例祭】4月16日 春季例祭
【旧社格等】村社 現別表神社
【御由緒】
高千穂宮御由緒
当宮は初め高智保皇神と申し上げて、この地に宮居をさだめられた天孫瓊々杵尊、木花開耶姫以下三代の神々をお祀りし、千百余年前の仁明・清和両朝には日向国最高の御神階が授けられたことが六国史に記されております。
神武天皇の皇兄三毛入野命が御東征の途次高千穂に帰られて日向御三代をおまつりされたのが初めで、その子孫が長く奉仕されて後には三毛入野命御夫婦と八柱の御子とを合祀して十社大明神の神名で親しまれ、古くより高千穂八十八社の総社として崇められてきました。
源頼朝は畠山重忠を代参として多くの宝物を奉納し重忠手植の秩父杉は八百年を経た今も社頭高くそびえています。
文永、弘安の役には勅使が見え、南北朝の頃征西将軍懐良親王御祈願等、古記録や宝物も多数残っています。
天正年間三田井氏が滅んで延岡領となりましたが、歴代藩主はそれぞれ社領を寄進し例祭にはたえず奉幣して明治に及びました。
大正十四年秩父宮御成をはじめ十数家の皇族の御参拝もあり、昭和四十六年七月一日別表神社に列せられました。
天孫降臨、神武天皇ゆかりの高千穂宮は、今日では国運の隆昌と、縁結び、交通安全、厄除けの神さまとして広く信仰されております。
例祭日 四月十六日
猪懸祭 旧暦十二月三日
(社頭由緒掲示板より)
一説に天孫降臨の地とされる高千穂町の中心部にあります、高千穂峡に向かう途中の道路沿いに鎮座しています。
参道入口
鳥居をくぐると左に手水舎があり、石段の参道が続きます。
拝殿
階段を上りきると、右手に授与所、正面に社殿です。
本殿
国指定重要文化財 安永七年(一七七八年)立替
九州南部を代表する大規模な五間社本殿建築で地方色も顕著に有している。
平成十六年七月六日告示
本殿の彫刻
本殿の彫像は当宮の御祭神三毛入野命が霜宮鬼八荒神を退治なされたものと伝えられます。
荒振神(あらぶるがみ)どもを平げ農業や産業の道を拓かれた三毛入野命は厄祓や産業の神としても深い信仰があり鬼八退治にちなんだ猪懸祭は十二月三日に行われ神道祭祀の原型をとどめた古事として有名です。鬼八塚は町内に三ヶ所ありそのなかの首塚は現在ホテル神州の東北にあります。
高千穂宮 (案内板より)
夫婦杉拝殿左にあります。
此の二本の杉は夫婦杉と申しまして根元が一つになって如何なる事があっても別れられない形を現して居ります。
この廻りを手をつないで3回廻ると夫婦友人睦まじく家内安全で子孫は繁昌の三つの願いが叶ふと伝わって居ります。
夫婦、友人、婚約者の方が手をつないで廻っている姿が絶えません。
日向なる逢初川(あいそのがわ)の畔(はた)にこそ 幾世(いくせ)むすびの神ぞまします(高千穂神楽歌)
高千穂宮 (案内板より)
秩父杉
当宮は鎌倉幕府の信仰が厚く文治年間源頼朝は秩父の豪族畠山重忠を代参として天下泰平の御祈願に参詣しました。
重忠公手植の杉は「秩父杉」と号(なづ)けて今なお社頭に高くそびえ千古の歴史を伝えております。
目通(30尺9メートル)高さ(180尺55メートル)樹齢(約800年)
(案内板より)
境内社、荒立神社と四皇子社 (県文化財指定)
荒立神社の御祭神は猿田彦大神と天鈿女命で交通安全、縁結び、芸能の神さまとして信仰されています。
四皇子社には神武天皇とその御兄弟四柱の神(五瀬命)(稲氷命)(三毛入野命)(佐野命)が祭られ日本建国に功績をのこされた神々です。
高千穂神社
高千穂町教育委員会
(案内板より)
高千穂宮鎮石(しずめいし)の由来
第十一代垂仁天皇の勅命により我国で始めて伊勢神宮と当高千穂宮が創建せられた際用いられた鎮石と伝えられます。
尚住吉、関東鹿島神宮御社殿御造営の際高千穂宮より鎮石が贈られ同宮神域に要石として現存しています。
またこの石に祈ると人の悩みや世の乱れが鎮められると言われています。
(案内板より)
社殿全景
拝殿から参道向かって右は秩父杉です。
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