大分シリーズ第2弾、大分市の東端、速吸瀬戸(豊予海峡)に突き出た岬の町、佐賀関の早吸日女神社です。
大分の市街地を抜けて国道197号線を海岸沿いの景観を楽しみながら一気に到着の予定が、途中の鶴崎地区を抜けるのに想定を超える渋滞で2~30分かかり結局1時間以上でやっと到着です。
最近どこの地方都市も渋滞がひどく昔の感覚だと予定どおりにいかず、つい血圧があがります。
早吸日女神社(はやすひめじんしゃ)
<通称>お関様、関権現(おせきさま、せきごんげん)
【鎮座地】〒879-2201 大分県大分市佐賀関3329 旧豊後国 海部郡
【御祭神】・八十枉津日神(やそまがつひのかみ)
・大直日神(おおなほひのかみ)
・底筒男神(そこつつをのかみ)
・中筒男神(なかつつのをのかみ)
・表筒男神(うはつつのをのかみ)
・大地海原諸神(おほとこうなはらもろもろのかみ)
【例祭】7月29日 夏季大祭
【旧社格等】式内社 豊後國海部郡 早吸日女神社、県社
【御由緒】
早吸日女神社 由緒略記
祭神 八十枉津日神 大直日神 底筒男神
中筒男神 表筒男神 大地海原諸神
創祀 皇暦記元前七年(西暦紀元前六六七年)
社格 式内小社 旧県社
境内地 二一、一九六坪(七〇、〇六九平方メートル)
境内末社 十二社
主な祭典 一月一日 元旦祭 十一月三日 明治祭
二月十一日 紀元祭 十一月十五日 七五三祭
二月二十八日 祈年祭 十一月二十九日 新嘗祭
五月三日 ふじ祭 大麻頒布祭
六月三十日 大祓 関権現講祭
七月二十八日 神衣祭 十二月二十三日 天長祭
七月二十九日 例祭神幸祭 十二月三十一日 大祓
七月三十日 還幸祭 毎月一日、二十五日 月次祭
由緒
当社は、人皇初代神武天皇御東遷の途路、海女黒砂、真砂の二神が速吸の瀬戸の海底から大蛸が守護してきた神剣を取り上げて天皇に奉献し、その神剣を御神体として天皇御自から古宮の地に奉斎し建国の大請願をたてられたのが創祀である。
大宝元年(七〇一年)、神慮によって現在の社地に遷座。延長五年(九二七年)、朝廷、延喜式を制定するに当り式内社に列せられ、爾来、諸災消除、厄除開運の神として皇室を始め諸大名の崇敬厚く、遠近の諸人も伊勢神宮になぞえて関大神宮又御関様(関権現)とも称し、伊勢神宮に参拝することを参宮、当社に参詣することを半参宮ととなえ、多くの信仰をあつめて今日に及ぶ。
慶長五年(一、六〇〇年)兵火により社殿、宝物一切を焼失したが慶長七年、加藤清正侯当地を領するに当り社殿を再建、後の藩主細川侯の再建修築に係る建造物多数現存。
昭和四十八年社殿修築、社務所、参集殿新築工事竣工により神社の荘厳さ更にを加える。
平成十六年三月、本殿、総門、及び当社社家(小野家住宅)の三件、大分県指定文化財となる。
(社頭案内板より)
総門
元禄10年(1697)肥後藩主細川綱利奉献、平成2年屋根替え、大改修、県指定有形文化財です。
参道の鳥居
昭和8年の建立の鳥居、右手前に手水舎、左は社務所等になっています。
炊井(かしぎい)
御供を炊く井戸、又の名を姿見の井戸と称し心悪しき者は姿映らずと云伝う。
真っ暗な井戸を覗いて見ましたがちゃんと見慣れた顔が映っていました。
参道の鳥居をくぐるとすぐに多くの境内社があり、この井戸もその中にあります。
境内社 伊邪那伎社
その名のとおり、伊邪那岐神を祀る、大正四年(1915)再建、昭和48年(1973)世界で初めてチタニュウム板で葺いて改修されました。
境内社 歳神社、天然社、若御子社
左から大歳神を祀る歳神社、醍醐天皇の天然社、ご神体の神剣を取り上げた黒砂神 眞砂神の若御子社です。
拝殿
宝暦13年(1763)細川重賢建立、昭和55年屋根替施工、市指定有形文化財です。
拝殿
屋根の瓦もかなり凝った面白いものが多数あります。
また、木鼻等随所に、見事な彫刻が見られます。
本殿
皇紀紀元前7年(BC667)神武天皇御東遷の途路、速吸の瀬戸から取り上げられた神剣をご神体として古宮の地にに奉斎されたのが起源です。
本殿、申殿、渡殿
宝暦13年(1763)細川重賢建立、昭和48年(1973)改修、本殿は県指定有形文化財です。
境内から二の鳥居、総門
佐賀関港と製錬所全景
かつて日本鉱業株式会社、いまは日鉱金属株式会社から日鉱製錬株式会社となって操業しています。
東洋一の大煙突
佐賀関を象徴する風景、古いほうの煙突(1911年完成)は高さ167メートル、1973年に完成した新煙突は高さ約200メートルあります。
2本とも煙が出ていましたのでまだまだ現役で頑張っているようです。とくに古いほうは100歳近いご老体で、てっぺん付近が破損して痛々しい感じですが、頭が下がります。
大分の市街地を抜けて国道197号線を海岸沿いの景観を楽しみながら一気に到着の予定が、途中の鶴崎地区を抜けるのに想定を超える渋滞で2~30分かかり結局1時間以上でやっと到着です。
最近どこの地方都市も渋滞がひどく昔の感覚だと予定どおりにいかず、つい血圧があがります。
早吸日女神社(はやすひめじんしゃ)
<通称>お関様、関権現(おせきさま、せきごんげん)
【鎮座地】〒879-2201 大分県大分市佐賀関3329 旧豊後国 海部郡
【御祭神】・八十枉津日神(やそまがつひのかみ)
・大直日神(おおなほひのかみ)
・底筒男神(そこつつをのかみ)
・中筒男神(なかつつのをのかみ)
・表筒男神(うはつつのをのかみ)
・大地海原諸神(おほとこうなはらもろもろのかみ)
【例祭】7月29日 夏季大祭
【旧社格等】式内社 豊後國海部郡 早吸日女神社、県社
【御由緒】
早吸日女神社 由緒略記
祭神 八十枉津日神 大直日神 底筒男神
中筒男神 表筒男神 大地海原諸神
創祀 皇暦記元前七年(西暦紀元前六六七年)
社格 式内小社 旧県社
境内地 二一、一九六坪(七〇、〇六九平方メートル)
境内末社 十二社
主な祭典 一月一日 元旦祭 十一月三日 明治祭
二月十一日 紀元祭 十一月十五日 七五三祭
二月二十八日 祈年祭 十一月二十九日 新嘗祭
五月三日 ふじ祭 大麻頒布祭
六月三十日 大祓 関権現講祭
七月二十八日 神衣祭 十二月二十三日 天長祭
七月二十九日 例祭神幸祭 十二月三十一日 大祓
七月三十日 還幸祭 毎月一日、二十五日 月次祭
由緒
当社は、人皇初代神武天皇御東遷の途路、海女黒砂、真砂の二神が速吸の瀬戸の海底から大蛸が守護してきた神剣を取り上げて天皇に奉献し、その神剣を御神体として天皇御自から古宮の地に奉斎し建国の大請願をたてられたのが創祀である。
大宝元年(七〇一年)、神慮によって現在の社地に遷座。延長五年(九二七年)、朝廷、延喜式を制定するに当り式内社に列せられ、爾来、諸災消除、厄除開運の神として皇室を始め諸大名の崇敬厚く、遠近の諸人も伊勢神宮になぞえて関大神宮又御関様(関権現)とも称し、伊勢神宮に参拝することを参宮、当社に参詣することを半参宮ととなえ、多くの信仰をあつめて今日に及ぶ。
慶長五年(一、六〇〇年)兵火により社殿、宝物一切を焼失したが慶長七年、加藤清正侯当地を領するに当り社殿を再建、後の藩主細川侯の再建修築に係る建造物多数現存。
昭和四十八年社殿修築、社務所、参集殿新築工事竣工により神社の荘厳さ更にを加える。
平成十六年三月、本殿、総門、及び当社社家(小野家住宅)の三件、大分県指定文化財となる。
(社頭案内板より)
総門
元禄10年(1697)肥後藩主細川綱利奉献、平成2年屋根替え、大改修、県指定有形文化財です。
参道の鳥居
昭和8年の建立の鳥居、右手前に手水舎、左は社務所等になっています。
炊井(かしぎい)
御供を炊く井戸、又の名を姿見の井戸と称し心悪しき者は姿映らずと云伝う。
真っ暗な井戸を覗いて見ましたがちゃんと見慣れた顔が映っていました。
参道の鳥居をくぐるとすぐに多くの境内社があり、この井戸もその中にあります。
境内社 伊邪那伎社
その名のとおり、伊邪那岐神を祀る、大正四年(1915)再建、昭和48年(1973)世界で初めてチタニュウム板で葺いて改修されました。
境内社 歳神社、天然社、若御子社
左から大歳神を祀る歳神社、醍醐天皇の天然社、ご神体の神剣を取り上げた黒砂神 眞砂神の若御子社です。
拝殿
宝暦13年(1763)細川重賢建立、昭和55年屋根替施工、市指定有形文化財です。
拝殿
屋根の瓦もかなり凝った面白いものが多数あります。
また、木鼻等随所に、見事な彫刻が見られます。
本殿
皇紀紀元前7年(BC667)神武天皇御東遷の途路、速吸の瀬戸から取り上げられた神剣をご神体として古宮の地にに奉斎されたのが起源です。
本殿、申殿、渡殿
宝暦13年(1763)細川重賢建立、昭和48年(1973)改修、本殿は県指定有形文化財です。
境内から二の鳥居、総門
佐賀関港と製錬所全景
かつて日本鉱業株式会社、いまは日鉱金属株式会社から日鉱製錬株式会社となって操業しています。
東洋一の大煙突
佐賀関を象徴する風景、古いほうの煙突(1911年完成)は高さ167メートル、1973年に完成した新煙突は高さ約200メートルあります。
2本とも煙が出ていましたのでまだまだ現役で頑張っているようです。とくに古いほうは100歳近いご老体で、てっぺん付近が破損して痛々しい感じですが、頭が下がります。
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