九州神社紀行-ブログ

北九州近郊を中心に神社および周辺風景の撮影日記です。

高宮八幡宮(福岡市南区)

2008-08-17 11:45:06 | 神社参拝ー福岡
 高宮八幡宮(福岡市南区)を掲載しました。

 高宮八幡宮(たかみやはちまんぐう)
【鎮座地】〒815-0083 福岡県福岡市南区高宮4丁目9-34 旧筑前国 早良郡 
【御祭神】神功皇后 應神天皇 玉依姫
【例祭】
【旧社格等】村社
【御由緒】
祭神
 玉依姫命(たまよりひめのみこと)
 應神天皇(おうじんてんのう)
 神功皇后(じんぐうこうごう)
祭典
 一月 一日  歳旦祭
 二月 三日  節分祭
 七月十五日  夏越祭
 八月第一土曜 獅子祭
 十月十三日  宮座
 十月十五日  秋季大祭
十一月十五日  七五三祭

 当高宮八幡宮は社記によれば、天智天皇磐瀬行宮にあらせられた時、神功皇后ゆかりの地として、この所を御奉祀あらせられたという。その後、寛仁年中(1017年頃)岩戸小卿大蔵種直に至りて社殿を造営して武運を祈り、代々崇尊、南蛮夷の賊並に刀伊の賊討伐の際、最も神威を顕はし給うたという。又、建久年中(1190年頃)原田家が怡土郡の高祖城に移ってから、当神社を高宮の西南、宮の尾に遷し、高宮・平尾・野間三村の氏神、那珂郡の鎮守の神として里人の崇敬を集め神域は高燥の地を占め、老樹鬱然と幽邃を極めた。関が原の役後、黒田長政公入国後は、当社を武運祈願の神社として木造の鳥居の御寄進がありその地を鳥居の下と云い、流鏑馬奉納の地を馬場と云い伝えており、慶長七年(1602年)本営を古営の跡東南の地に遷座し奉り、分霊を平尾・野間の両村へ勧請して現在に至っている。
 又、当宮は古く安産の守神として宇佐八幡宮から勧請して奉祀してあったが、三百七十年余前、黒田藩の武士が妻の安産祈願をしたところ、玉の如き男の子を出産した。この子が長じて十七才の時、一本の棒を持って諸剣士と試合をなし、電光石火、急所を突いて次々と相手を打ち負かした。これが黒田藩独特の杖術を始めた夢想権之助である。夢想権之助は神社神域の隣、大森二郎氏の先祖と共に、黒田藩の指南役として奉仕した。この縁によって後に当社を黒田藩の杖術槍術の祈願社とされた。
 なお、現在黒田藩に残る抱大砲の西洋兵術は、肥前鍋島藩と共に長崎からいち早く伝わったものであるが、この砲術発達の基礎となった。両脚を開き、腰を落して前かがみになり、臍下に力を入れて火薬に火が付くのを待つ。この腹力の入れ方は、権之助が始めた杖術の呼吸を学びとったものである。
 平成二年十一月吉日改装 本文井上瑞衛撰定 不破又一郎謹書
  (境内由緒掲示板より)

 福岡市南区高宮にあります。西鉄大牟田線高宮駅から南西に数百mの住宅地の高台に鎮座しています。

      参道
鳥居をくぐると綺麗に整備された階段が続きます、両側には寄進の燈籠が並んでいます。

 参道の注連柱
階段の上るとなだらかな参道の途中に注連柱、その向こうさらに一段上に手水舎から社殿です。

 拝殿この度「御遷宮四百年記念事業」として御造営が行われ社殿が新築されました。

 本殿創建は天智天皇(655~661)の御代に磐瀬行宮に居られた時、神功皇后のゆかりの地として祀られました。境内はまだ整備中のようです。

 上空を福岡空港に着陸する全日空機が通過しました、風向きによりこの上空から大宰府方面に向かいUターンして着陸します。

 本殿現代の名工の匠の技が見られます。

 境内社左から天満宮、恵比須様、大黒様を挟んで埴安社です。

 境内社猿田彦大神、庚申など,天満宮などと並んであります、参道入口などで多く見かけますが移設されたのでしょうか。

 参道からTNCテレビ西日本のテレビ塔
大宰府と那珂郡を一望できる軍事上重要なこの位置に創建されたと伝えられています。
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