七神社(山口県下関市)を掲載しました。
七神社(ひちじんじゃ)
<通称>七社大明神(ひちしゃだいみょうじん)
【鎮座地】〒759-5331 山口県下関市豊北町大字神田2136 旧長門国 豊浦郡
【御祭神】大名牟遲之命 須佐之男命 櫛稻田姫之命
【例祭】 10月3日 秋季例大祭
【旧社格等】村社
【御由緒】
当神社は、古碑、古文書、棟札、古老の伝承によると、肥中住民の発祥の地と言われる刈束(かりぞこ)山上に往古より祭られていた出雲の三神を現在の社地(肥中の関)に弘治元年(1555)に御遷座申し上げ石室を建立した。
その後延宝二年巳(1674)に現在の神殿を時の庄屋、塩瀬太郎左衛門がお上に申し上げ建立し、天和元年(1681)霜月に拝殿が奉建された。当時肥中には七つの講があり、恵比須講、宮地講、天神講、神明講、荒神講、金比羅講、庚申講、それぞれの講に社がありこの頃より当神社を七つの講の氏神,七社大明神と言うようになった。
七神社は島戸住吉八幡宮の摂社であったが昭和四年村社に昇格した年に、肥中村、特牛村、荒田村、鳴滝村、堀越村五ケ村の氏神として、開拓、産業、縁結びの守護神として奉斎された神社である。
(平成祭データ)
下関市の西北部、豊北町肥中にあります。国道191号線肥中交差点から県道275号線に入り数百mでわき道に左折、道路沿いに鎮座。
社叢はイスノキなどが生い茂り昭和53年、下関市の天然記念物に指定されています。
鳥居から拝殿
鳥居は文化七年(1810年)建立の石造り、扁額には「七社大明神」とあります。
参道脇の燈篭
参道両脇には四対の燈篭が奉納されています、これは最も古い寛延二年(1749年)の奉納です。
拝殿
天和元年(1681年)の建立、昭和54年御遷座400年式年大祭の時大改修されています。またこの時に拝殿前に舞殿が造築されました。
拝殿の彫刻
木鼻等、随所に見事な彫刻が施されています。
本殿、幣殿、拝殿
本殿延宝二年(1674年)の建立です。
境内から参道
七神社(ひちじんじゃ)
<通称>七社大明神(ひちしゃだいみょうじん)
【鎮座地】〒759-5331 山口県下関市豊北町大字神田2136 旧長門国 豊浦郡
【御祭神】大名牟遲之命 須佐之男命 櫛稻田姫之命
【例祭】 10月3日 秋季例大祭
【旧社格等】村社
【御由緒】
当神社は、古碑、古文書、棟札、古老の伝承によると、肥中住民の発祥の地と言われる刈束(かりぞこ)山上に往古より祭られていた出雲の三神を現在の社地(肥中の関)に弘治元年(1555)に御遷座申し上げ石室を建立した。
その後延宝二年巳(1674)に現在の神殿を時の庄屋、塩瀬太郎左衛門がお上に申し上げ建立し、天和元年(1681)霜月に拝殿が奉建された。当時肥中には七つの講があり、恵比須講、宮地講、天神講、神明講、荒神講、金比羅講、庚申講、それぞれの講に社がありこの頃より当神社を七つの講の氏神,七社大明神と言うようになった。
七神社は島戸住吉八幡宮の摂社であったが昭和四年村社に昇格した年に、肥中村、特牛村、荒田村、鳴滝村、堀越村五ケ村の氏神として、開拓、産業、縁結びの守護神として奉斎された神社である。
(平成祭データ)
下関市の西北部、豊北町肥中にあります。国道191号線肥中交差点から県道275号線に入り数百mでわき道に左折、道路沿いに鎮座。
社叢はイスノキなどが生い茂り昭和53年、下関市の天然記念物に指定されています。
鳥居から拝殿
鳥居は文化七年(1810年)建立の石造り、扁額には「七社大明神」とあります。
参道脇の燈篭
参道両脇には四対の燈篭が奉納されています、これは最も古い寛延二年(1749年)の奉納です。
拝殿
天和元年(1681年)の建立、昭和54年御遷座400年式年大祭の時大改修されています。またこの時に拝殿前に舞殿が造築されました。
拝殿の彫刻
木鼻等、随所に見事な彫刻が施されています。
本殿、幣殿、拝殿
本殿延宝二年(1674年)の建立です。
境内から参道
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