九州神社紀行-ブログ

北九州近郊を中心に神社および周辺風景の撮影日記です。

椎根津彦神社(大分市佐賀関)

2007-08-15 06:58:40 | 神社参拝ー九州
 神武東征において神武天皇一行を当地でお迎えし、以後水先案内を務め、その功績により倭国造に任ぜられた椎根津彦命を祀る椎根津彦神社です。

 早吸日女神社で伺うと徒歩でも10分程度とのことで、道も狭く、駐車場もないので、町の探訪も兼ねて徒歩で行くことにしました。ちょうどお昼時の炎天下とあって人影はまばらで途中で道を尋ねるのも苦労して汗をふきふき何とかたどり着きました。

 椎根津彦神社(しいねつひこじんしゃ)
<通称>珍宮(うづのみや)
【鎮座地】〒879-2201 大分県大分市佐賀関1812 旧豊後国 海部郡
【御祭神】椎根津彦命(しいねつひこのみこと)
  合祀 武位起命(たけいこのみこと)
      彦火々出見命の御子、鵜草葦不合尊の御昆弟で椎根津彦命の御父
     稻飯命(いなひのみこと)
      鵜草葦不合尊の御子で神武天皇の御兄
     祥持姫命(さかもつひめのみこと)
      椎根津彦命の御姉で稻飯命の御妃
     稚草根命(わかかやねのみこと)
      稻飯命、祥持姫命の御子 
【例祭】4月25日 春季大祭
【旧社格等】県社
【御由緒】
 創立不詳。『日本書紀』によれば、神武天皇は、大歳甲寅(西紀元前六六七年)御東遷のため日向国を出発。
 その年の十月、当地速吸の瀬戸において珍彦命の奉迎を受けられ、御名を椎根津彦と賜わる。これから椎根津彦は、水先案内として皇軍に従軍し、しばしば勲功をたて建国の偉業が達成された翌年(西紀元前六五九年)春二月、天皇は論功行賞を行ない椎根津彦命を倭国造に任ぜられた。
 これを伝え聞いた里人らが、小祠を建てて命を祀ったものがその創祀と伝えられる。
 その後、しかるべき神社の荘厳を備えてきたものと思われるが、一六〇〇年(慶長五)、兵火により焼失、一六九〇年(元禄三)、総庄屋関弥平太、東町別当役牛窓屋喜右衛門、大工頭領佐藤甚八に依頼し、その規模を整え、一七八九年(寛政元)、牛窓屋久右衛門再建。
 (平成祭データ)

 参道入口の標柱大正15年4月の日付があります。
岬の付け根の南側、佐賀関漁港を望む集落の狭い路地を上った高台に鎮座しています。

拝殿扁額
 昭和45年改築されたコンクリート造りの拝殿。

 拝殿鳥居建築落成記念碑
大正弐年4月15日の日付があります。「明治45年4月ヨリ」と付記されていますので工期はおよそ1年と思われます。

 本殿本殿の彫刻
 昭和29年焼失しましたが、翌年再建されました。

 社殿全景

 拝殿から佐賀関漁港

  佐賀関銀座のクラブ「姫」ならぬスナック「姫」  


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