一番町と国分町の間にある『虎屋横丁のアーチ看板』が、今年10月に老朽化を理由に撤去されることになったようです。
私が小さい頃から「虎屋横丁」のシンボルとしてあったので、寂しい気がしますが、南北を走る通りは、細横丁(現在の晩翠通り)、国分町、稲荷小路、東一番丁(現在の一番町)など有名な通りがありますが、東西を走る通りは、青葉通り、広瀬通り、定禅寺通りとか大通りが多いので、街中で短い距離の横丁の中の「壱弐参(いろは)横丁」「文化横丁」「東一市場」では、一番有名ですね。
「虎屋横丁」は、その名前が気になりますが、この地にかつて「薬種問屋」の「虎屋」さんがあったので、その屋号に因んだ「虎」の絵がシンボルになったそうですが、戦後すぐの昭和20年代だそうです。
『虎屋横丁のアーチ看板』(その1)

一番町側から望む

国分町から望む

アーチ部の老朽化が、撤去する原因だそうです
私が小さい頃から「虎屋横丁」のシンボルとしてあったので、寂しい気がしますが、南北を走る通りは、細横丁(現在の晩翠通り)、国分町、稲荷小路、東一番丁(現在の一番町)など有名な通りがありますが、東西を走る通りは、青葉通り、広瀬通り、定禅寺通りとか大通りが多いので、街中で短い距離の横丁の中の「壱弐参(いろは)横丁」「文化横丁」「東一市場」では、一番有名ですね。
「虎屋横丁」は、その名前が気になりますが、この地にかつて「薬種問屋」の「虎屋」さんがあったので、その屋号に因んだ「虎」の絵がシンボルになったそうですが、戦後すぐの昭和20年代だそうです。
『虎屋横丁のアーチ看板』(その1)

一番町側から望む

国分町から望む

アーチ部の老朽化が、撤去する原因だそうです
