おはようございます。
退院して昨日でちょうど1週間が経過しました。
ゆっくりしようと思いつつも、
あれこれとしなければならないことに追われ
あっという間に時間が経過しました。
帰宅後、久々に体重計に乗ると、4キロ減。
うち筋肉量が2キロ減。
ランと筋トレでコツコツ上げてきた筋肉量が減っていたのは
かなりショックでしたが、コロナと戦った証と思えば
その筋肉の減少も誇らしい??
またコツコツがんばります(((uдu*)ゥンゥン
体調的にはまずまず!
体力と筋力が落ちているのでめちゃくちゃ疲れやすいですが
後遺症と呼ばれるものはなく、日常生活が良いリハビリとなっています。
肺のダメージはすぐすぐの修復は難しいとの事。
完全に元に戻るには数か月を要するとの事です。
ランも体力が戻れば再開OK!
そのときはまた、フルマラソン完走を目指して体づくりをしていきます!
さて。
入院中、H氏とラーはふたりでクレイマー、クレイマーな生活を送っていたのですが
H氏、かなり大変だったと思います。
夏休みから学校再開の時期と重なった事
緊急事態宣下での分散登校・タブレット学習などなど
ラー事はこれまでノータッチだったので、うちがどの自治会なのか?
という事から把握するような状況。
大変だったと思います(2回目)。
入院中、
こんな手紙ももらいました。
ラーのかわいい手紙となんとH氏からも(初)。
入院中、力をもらいました(*''▽'')
私の宝物です°˖✧
帰宅後驚いたのは、H氏がものすごくお掃除をしていてくれたこと。
私が救急搬送されたあと、防護服を着て、フェイスガードをし、
家じゅう消毒をしてくれたそうです。
感謝です。
おだちんルール。
私がいつもラーにあげているお駄賃です( ´艸`)
H氏は把握していなかったので、ラーが「書いてあげた」そうです笑
それから、保健所が手配してくれた
食材がこんなにΣ(・□・;)
私は内容をまったく見ていなかったのですが
このほかにもトイレットペーパーもありました。
ありがたいです。
内容的には軽症者向けになりそうですが、
私の場合、ラーが居たのでとても助かりました。
自分でレンチンして、少し食べたそうです。
私が入院して幾日かし、体調が落ち着いたた頃、
義父が脳梗塞と脳溢血を併発し倒れたという連絡がありました。
H氏はその転院先の手配などもあり、相当な心労だったと思います。
「パパ、ママが死んじゃうって思ってたんだよ」
「私も死んじゃうんじゃないかと思ってた」
「パパ、いっぱいいっぱいになってて、少しおかしかった」
など聞いて、申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。
実は、H氏も昨年脳梗塞が見つかり、現在も投薬治療をしてます。
今回のストレスでまた少し進んだのではないかととても心配です。
たくさん助けてもらったので、今度は私の番!
ラーの心のケア、H氏のサポートをしていきたいと思います。
義実家にはもう年単位で行けていません。
私にできることは限られているとは思いますが
少しでもコミュニケーションをとっていきたいです。
■8月24日 救急搬送
朝を待ち今回酸素を提供して下さった医師にH氏が状況を説明。
直ぐに酸素量を上げ、救急車を呼ぶよう伝えられる。
私はもう話すことがキツかったのでH氏にラインで手配を依頼しました。
医師の指示があったおかげか?直ぐに救急車へ運んでもらえるも、
受け入れ先がなかなか決まらず。
20件位断られていたようでしたが、何とか入院先が決定して無事移動できる事が出来ました。
救急隊員さん、ありがとうございました。
感染当初からあれこれ気を配り手配してくれたH氏には心から感謝。
彼のサポートが無ければ、私は今ごろ生きていなかったかもしれない。
ラーのところへも、直ぐに駆けつけてくれたので寂しい思いをさせずに済んだようで本当に良かった。
病室へ通され点滴をし、
様々な薬を飲みようやく治療を受けることができました。
全身痛・酷い頭痛もなくなり、何より精神的にもとても楽になりました。
こうして12日間の入院生活が始まりました。
■8月25日 入院2日目 高流量酸素療法開始
入院当日、CTとレントゲン撮影をしたのですが、
背中側の肺が、真っ白になっていて、潰れている事が確認されたそうで、
25日、個室に移ることになりました。
余程酷い顔をしていたのか?
「たまたまこのタイミングでの入院だったから、大きな酸素の機械が使えました!
ラッキーだと思いましょう!大丈夫!治りますから!!」
と、看護師さん複数人から励ましの言葉を掛けて頂きました。
常に感染リスクに晒され24時間体制のハードなお仕事にもかかわらず、
いつも笑顔で丁寧に接してくださり感謝の気持ちでいっぱいになりました。
加温・加湿した一定濃度の酸素を高流量で投与する
高流量酸素療法という治療が始まりました。
■8月26日 入院3日目
酸素吸引継続中。
今日は少し量が減って、酸素は30リットルになりました。
動かず、安静にしていたら、スマホでメモを取る余裕が生まれるも、
少しでも姿勢を変えると咳が止まらず呼吸困難に陥る。
トイレ利用時は酸素濃度86まで数値が低下。
この日の血液検査で、炎症を示す数値が下がり安堵。
同じく中等度の陽性患者さんが自宅療養で苦しまれているというニュースを見聞きし心が痛くなる。
家で不安の中苦しんでいる方と1日も早く交代するためにも早く治したいと強く思う。
■8月27日 入院4日目 メンタル崩壊
死なずに済んだ・・・
と言う安堵から数日。
勝手なもので、ここに来るまでの色々な感情が溢れて来はじめていて、
感謝・戸惑い・怒り・被害者意識・人間不信・前向きな気持ち
・
・
・
心がざわついています。
H氏にもあたってしまい自己嫌悪。
ジェットコースターみたいに気持ちが上がったりさがったり。
抑えの効かない普通でないこの感じ
ちょっとイカれているのかも。
この日、自宅から着替えや眼鏡などお願いしていた荷物が届く。
H氏、ラーありがとう。ごめんね。
■8月28日 入院5日目
自分が何が辛くて、それをどう捉えて行ったら良いのか
心の整理をするために手書きでメモを始める。
朝から何をしたのか?
体調の変化はあったか?決まったルーチンの中にも変化を感じることが出来ました。
身体も少しずつ軽くなりはじめ同時に、思考もクリアになってきた気がします。
少しずつ自分を取り戻していきたい。
■8月29日 入院6日目 回復へ
①洗髪
10日ぶり位の洗髪。
バサバサになった髪の毛を洗っていただき、10日ぶりにブラシを通しました。
とてもサッパリ!
鏡を見たのも久しぶりでした。
②嗅覚復活
食事のとき
洗髪のとき
香りを感じることが出来ました。
戻らなかったらどうしようか気がかりだったので嬉しかったです。
③トイレの回数復活
腎臓も弱っていたのか?
殆ど尿意がなかったのですが、今日は普段以上にトイレを利用したかも。
浮腫もあったのかもしれません。
④TV鑑賞
TVカード。
ここに来て初めて利用しました。
良い気分転換になりました。
⑤流動食から全粥・刻み食へ
沢山の嬉しい変化を感じた1日でした。
■8月30日 入院7日目 高流量酸素療法終了
①通常の酸素療法に移行。
大型の酸素吸入終了。
4リットルからスタートし、就寝時間のは1リットルまで減らせました。
②普通食になる。
全粥・刻み食から、完全普通食に戻りました。
味と香りがわかる事の幸せを実感。
③部屋内移動は自由行動。
清拭・着替え・歯磨きベッドから降りて自分でしても良いとの事。
何から何まで介助していただき心苦しかったので、とてもうれしかったです。
④うつぶせ寝から横向き&仰向きOK。
色々な姿勢を取る中で酸素濃度を維持できるか?検証する事になりました。
⑤退院の目安。
医師と看護師から説明を受ける。
9月2日(木)を目処に点滴&皮下注射の治療が一段落するので、様子をみて数値が安定していれば週末、
様子見延長なら週明けには退院出来るかも、との事。
もう直ぐなような?まだ少し先のような?
目標が出来たことで気持ちが明るくなる。
■8月31日 入院8日目
鼻チューブが取れる。
前夜一晩中モニタリングしていただき、酸素濃度を確保できていた…との事。
順調過ぎる。
これでコード類は心電図とパルスオキシメーターのみ!
身体がどんどん軽くなる…!!!
が…ここで落とし穴がひとつ。
とても疲れやすい…。
前日迄は回復への高揚感で気づかなかったけど、
体中の筋力が落ちていることを実感。
食事のトレーをお預かりするだけでフラつきそうになったり、
バランスを崩して歯磨き用コップを落としてしまったり、
部屋の中を歩行して、ストレッチをしただけでグッタリ。
■9月1日 入院9日目 部屋移動
回復が順調なので、部屋移動をしました。
運び込まれたときは自分がどこに居るかなんて
気にする余裕なんてありませんでしたが、
ナースステーションの真ん前の部屋であることをこの時初めて知りました。
夕方には、シャワーが解禁に。
身体が起こせるようになってからは、清拭と着替えはしていたのですが、やはり全然ベツモノです✧︎*
また、看護師さんからラジオ体操をすすめられ早速食後(朝昼夕)してみました。
初っ端からふくらはぎが攣りそうになり衝撃を受ける。
ストレッチが必要な状況だと気づき
足・腰・背中・肩甲骨・股関節あたりをじっくり時間をかけてほぐしました。
素晴らしくバキバキでした。
■9月2日 入院10日目 退院日決定
ステロイド投与が終わり
腕から点滴針が無くなりました。
入院初日からずーっとつけていた
心電図コードと酸素濃度計のコードも無くなりました。
やっと身体から全て離れ解放感に歓喜。
そして、主治医より9月4日の退院の許可がおりました。
長かったのか?
短かったのか?
全く分からない不思議な感覚です。
■9月3日 入院11日目
皮下注射がまだ残っていたものの
それ以外は特に何もする事がなく
ストレッチ
ラジオ体操
テレビ
部屋徘徊
スマホ
をひたすら繰り返していました。
気になる今回の治療費は、公費で賄われるそうで、
入院セット・タオル&着替えレンタル代(約3300円)のみとの事。
ありがたい。
■9月4日 退院日
前回の荷物差し入れ時、着替えの服を入れて貰うのを忘れてしまったので、
搬送時の速乾Tシャツと速乾ハーフパンツと素足にクロックスで帰宅する事になりました。
季節は夏から秋へと移り変わり、
気温が10℃低くなっていて驚きました。
のちに主治医から聞いたところ
中等度Ⅱだったそうで重症化ギリギリ一歩手前と言われました。
今回私が受けたのは高流量酸素療と薬物治療(抗ウイルス薬、ステロイド投与等)でした。
治療薬の副作用として血糖値の上昇・血栓が出来やすいというものがあるそうで
1日複数回の血糖値チェックと
血栓を作りにくくするという注射を1日2回打ちました。
これまで見たこともない血糖値を見ることもありビックリしましたが
薬の影響による一時的なものだと伺いました。
この度、医療現場の皆様の献身的なサポートのおかげで私は助かりました。
いくら感謝しても感謝しきれません。
私が入院した時期、自宅療養中の重症化、病床の不足、救急隊員の負担・・・などなど
繰り返し医療逼迫のニュースが流れていました。
この国は本当に先進国なのか…と疑ってしまうほど、コロナの悲しいニュースを見ては心が痛みました。
私は本当に本当にラッキーなタイミングで搬送先が決まりましたが、
今この瞬間にも何も有効な治療を受ける事ができないまま
不安な時間を過ごされておられる方もいらっしゃると思います。
「新型コロナウィルスはただの風邪」
「基礎疾患がなければ軽症で済む」
そんなことはありません。
コロナは全身を蝕む感染症です。
第5波で猛威を振るうデルタ型は
40代・50代だけでなく、20代の若者にも死者が出ました。
私が入院していた病院には10代前半の子どもも居ました。
これ以上医療を逼迫させないためにも
大切な人を守るためにも
今一度、基本に立ち返り
不要不急の外出を控え
不織布マスク・うがい・手洗い・アルコール消毒の徹底をしていきたいと思います。
ワクチン接種の是非、いろいろな考えがあると思いますが
私は接種したいと考えています。
拙い文章に長々とお付き合いいただきありがとうございます。
読んでくださった方にひとつでも何か感じていただけるものがあると嬉しいです。
1日も早くコロナが終息することを心から願っています。
■8月19日 陽性判定
病院から電話があり、私が陽性であることが判明。
後日保健所から電話があるので指示に従うよう言われる。
ラーが居るため宿泊施設療養の選択はない。
この日からラーと分室。
嗅覚障害が新たに発生。
症状:発熱(37~39.6℃)倦怠感・嗅覚障害
■8月20日 ラー陰性判定
学童から電話があり、ラーまさかの陰性。
喜ばしいことだけれど、そうなると私は誰からもらったのだろう?
PCR検査の精度は約7割との事。
お盆休みに入り出かけたのは
ドラッグストア・近所のセブン・まいばすのみ。
各所滞在時間は15分程度。
もし市中感染だとするとすごい感染力だという事。
恐怖を感じる。
その後、保健所から電話があり、
食事の調達やパルスオキシメーターの希望有無など聞かれ伝えました。
大変混雑しているらしく、3日後くらいまでに看護師より電話が入るので、
気になることがあれば相談してくださいと言われる。
この日からひどい頭痛で食欲も減退。
症状:発熱(37~39℃)全身痛・ひどい頭痛・嗅覚障害
■8月21日 数値低下
「コロナ…なめてた。」
インフルエンザのしんどい番とどこかで高を括っていたが全く違う。
次々に色々な症状がテロのように巻き起こり、パルスオキシメーターの数値がじわじわと
低下し、94~93を行ったり来たりするように。
食事もまったくとれなくなり水分補給で精一杯。
とにかく頭痛と全身の痛みが辛い。
93という数値はひとつの目安となっていたのでお気楽な私もさすがに不安になるも、
相談しようにも、どこに電話しても基本繋がらない。
コロナ109に繋がっても、話す相手はテレフォンオペレーター。
「数値が90切ったら救急車を呼んでください」と言われて終了。
その後看護師から電話があり状況を伝えるも、
オンライン診療は混んでいて利用できるのがいつになるかわからないため、
知り合いに市販薬を買ってきてもらうか、ネットで買うことを勧められる。
・
・
・
・
それってつまり、この時点で医療への繋がりはほぼゼロという意味。
誰も助けてくれない。
ラーの生活音が聞こえる。
彼女がとても元気であること。それだけはありがたい
うつさないように近寄らせない事だけは死守。
■8月22日 119番通報
H氏がすぐに対処できるように、と自宅近くのホテルで待機。
薬・消毒液・飲み物・食料様々な差し入れてくれました。
本当に助かりました。
この日、パルスオキシメーターの数値が92-91と下がってきたことをH氏に伝えると
すぐに119番するよう言われる。
思い切って救急車を呼びました。
到着後、救急隊員の方に問診されながら、
血圧・パルスオキシメーターで数値計測。
深呼吸を求められ応じる。
91-94…と安定しない中、96をマークしたところで計測を終え、
横浜市内には病床がないこと
もし、搬送しても小田原まで行く羽目になるかもしれないし
そこで入院できず帰らなければならない可能性もある。
そのような説明を受けた後
「確実に入院がしたいなら93を切ってから保健所へ連絡を」との事で帰られる。
正直このまま自宅療養のままで、ひたすらに寝ているだけでは治る気がしない…
精神的ダメージ大。
ラーの9歳最後の夜。
ハグすらできない。
悲しくてやりきれない気持ちになる。
■8月23日 酸素濃縮器導入。
40.7℃
怖くなってH氏にライン。
私にコロナ陽性が出たときから、楽観視していなかったH氏。
とても心配してくれて、自分の知る様々なところへ問い合わせてくれ、
医師と電話を繋げてくれました。
状況を伝えると、肺炎を起こしている可能性が高いとの事で酸素投与していただけることに。
2時間後無事酸素濃縮器導入。
医師と話せたことで精神的にも楽になりました。
酸素2リットル。
間もなく95迄上がり最高97迄上がってきた。
これで、少しは落ち着くか?
と、思いきや、22時過ぎから92-93を目にするように。
医師に連絡するには遅すぎる時間なので、翌朝まで待つことに。
ラーにお誕生日おめでとうメールを送る。
コロナが治ったら皆で盛大にお祝いしようね。
今思い返してもとても怖い経験でした。
どこに電話をかけても話し中。
やっとつながってもお話しする相手はテレフォンオペレーター。
当たり前ですが、何もしてもらえません。
この時、医療と繋がれないことがとても恐ろしく
少しだけ自分の死を具体的にイメージしてしまいました。
それから、食料と飲料の確保、これは大切だと思います。
自分、というより、私の場合はラーが居たので、食事の調達がとても気になりました。
ラーは、私の濃厚接触者になっていたため、外出が出来ませんでした。
これが感染症のややこしいところ。
動けるときにネットスーパーで色々調達していたのですが
これからは一定数常備しておこうと思います。
固形物を一切受け付けられなくなったときに助かったのはアイス。
咳が出ていても冷たいものを口に入れることで一時的にスッキリして助かりました。
そして、先の記事で触れた薬。
これをもう少し早い段階で飲んでいたら
もう少し楽だったのではないか?と今でも悔やまれます。
常備薬についても今後家族で話し合いたいと思います。
東京では4度目の緊急事態宣言が発令された8月。
日々の多くの感染者数が報じられるも、
そこにコロナへの恐怖感などはなく日常を過ごしていました。
そんな中、私はお盆休みに突入し、ラーは夏休みを満喫。
8月初旬から学童では”夏風邪”が流行っていると聞いていたので
私がお盆休みの間(8/7~15)は学童をお休みすることにしました。
■8月11日ラー発熱。
”夏風邪”もらったな・・・と思い、自宅で様子見。
時勢的にもこの発熱には注意が必要だと判断。
念のため、H氏にはしばらく社宅泊をしてもらうことに。
当のラー食欲はあり、元気もあり、2日で解熱。
■8月15日みぃ発熱
38.6℃
「しまった・・・ラーの風邪もらったな」
この時はまだコロナを疑うことはありませんでした。
■8月16日 ラー濃厚接触者に
学童から連絡があり、ラーが濃厚接触者に該当するとの事。
20日迄自宅待機。
しかし、この頃のラーはもう元気いっぱい。
それまでも自宅からは出ることはありませんでしたが、それ以外は普段通り過ごしていました。
後日保健所よりPCR検査のキットが届くとの事。
ラーが発熱したあとに私の発熱。
そしてそのラーが濃厚接触者??
「もしかして私、コロナかもしれない。」初めて感じた危機感。
発熱は続いていました。
■8月17日 ラーのPCRキット届く
保健所から支給されたPCRキットが学童経由で届きました。
この時点で保護者は検査対象外だったため、私は個人的に検査することになりました。
しかし、かかりつけの病院への電話が全く繋がらない。
奇しくも、40代のコロナワクチン接種受付が開始したばかりのタイミング。
数十分かけても繋がらないため
諦めて、感染症コールセンターへ。
徒歩圏内でPCR検査をしてくれる病院をいくつか紹介していただき、
先に電話で問い合わせ、訪問。
PCR検査キット。
キットを受け取り後日改めて持ち込むことになりました。
パルスオキシメーターは、H氏が「これからは必要になる」と前もって手配してくれていたものです。
これは本当にあって良かった。
■8月18日 ラー&みぃPCR検査提出
発熱3日目。
39.0℃高熱は続いていました。
症状は37~39℃迄の発熱・倦怠感・関節痛。
インフルエンザに似た症状でした。
自分の体力を過信してとても軽く考えていた私。
この時、薬を貰わなかったことを後々後悔することになります。
「過去最大の感染拡大」そんな文字が各メディアで踊り始めていた時期と重なり
PCR検査はどこも希望者がいっぱいで受付そのものを断られる病院も複数ありました。
濃厚接触者のPCRお断り、そんなところもありました。
今回は濃厚接触者が家族にいること、既に発熱などの症状があったため、
検査自体は保険適応内(2000円弱)で利用することが出来ました。
薬は検査時に希望すれば処方されます。
自宅療養になると、その後の外出は難しくなります。
(特にひとり暮らしの方)
軽かった症状が悪化する恐れもあるため
その時ある症状(熱さましや咳止めなど)を全て医師に伝え、
ある程度まとめた日数分の薬をを確保することを強くお勧め致します。