わたしたちが、サレンダーする先は
委ねる先は
明け渡す先は
全託する先は
意識の源ではなく
宇宙の源でもなく
聖霊であり、Jであり、神だ。
もしも、明け渡しが
委ねることが
サレンダー(降参すること)自体が
負ける気がしたり
何かをあきらめる必要を感じるのなら
その時、間違いなく
エゴの考えを自分の考えなのだと
取り違えている。
意識は、99.999%エゴだから仕方がない。
負ける気がするという
そのわたしを明け渡すんだ。
まるで、それがわたし。
と思っていた、この人生の主人公のわたしを
宇宙劇場の主人公のわたしを
明け渡すんだ。