放心状態というか、対処のしようのない状態というか。。。
どうあがいても、これは何ひとつ自分では変えることができないであろう状態。
↑ そういう時って、、、、
もう、本当にお手上げで、降参するしかない。
ある意味、その「降参状態」って 聖霊の導きに他ならないんだと。。。
そうだった!
と、今日 思い出しました。
ほんの数時間前まで、元気に大好きな仕事をしていた一人の人間の肉体も
一瞬にして壊れることができるほど、この幻想世界は儚い。
全身打撲で高熱の肉体、口や耳から血を流し、ゆっくりと血圧が下がっていく家族の姿を目の当たりにして
後悔や悲しみを遥かに越えたところで、完全に降参したことを思い出しました。
何一つ、この状況を変えることはできない。
そして、この状況は(「分離という考え」の中で)
間違いなく、わたしが映し出している。
わたしができることは「この夢をどう見るか」という見方の選択だけだ。
他には何もできはしない。
あの時、本当の降参をしました!!
そして、あの時、無意識に 愛と感謝だけを感じようとしていた。
悲しみよりも、愛と感謝だけを選び感じていた 私・娘たち
ありえないほどに 心が平和で、お通夜も、告別式も、愛と祝福に満ちていた。
完全なる降参をした一年前の今日が
「結局、わたしには何もできない。」
「降参して、委ねるしかない。」
「そして、神しかいない。」
という本当の救いへ向かうためのスタートだったのかも知れない。
完璧な台本の中、神の子同士の愛でいつも在り続けていた としちゃん。
ほんとうにありがとう。