キラキラ輝く海と一緒に、葉山御用邸へ続く道路をドライブ中
あちらがわ こちらがわの坂の歩道を てくてく歩いて行く様々な人たち
見かけは、おばあちゃんだったり、おじさんだったり、おねえさんだったりした。
その時、この想念がやってきた。
「あなたは肉体を愛するのではない」
ドッと、涙が溢れた。
源から離れた証である彼らの肉体の、その背後にいる
一なる私
本当は、それしか感じていない。
「無である、バーチャルの罪を背負った バーチャルの肉体を愛している」
という錯覚は
その裏側に、必ず憎悪を隠している。
無を採用する手を取り下げて、聖霊に差し出す。
肉体を愛するのではない。
それは、無い罪の 偽りの証し。
肉体は、分離の証し。完全な幻。
愛は分離することはできない。
愛しか実在しないのだから、分離は絶対にあり得ない。
分離したい誘惑を、ちゃんと認めて、そして、ただ、やめる決断をする。
聖霊と共にいれば、必ずそれができる。
自分は、手を引くだけ。
私たちは、神を、愛している。
奇跡講座テキスト編 中央アート出版社
P511~512
T-18.7.6:7~T-18.7.7:4
「私は何をする必要もない」とは、献身の声明であり、真にひたむきな忠誠である。
それをただ一瞬だけ信じなさい。
そうすれば、一世紀にわたる観想や、誘惑との戦いなどにより与えられる以上のものを、あなたは達成するだろう。
何かをするには肉体が必要である。
だから自分は何もする必要がないと認識するなら、あなたは自分の心から肉体の価値を退けたのである。
ここに、数世紀分の努力をすり抜けて、あなたが時間から速やかに脱出できる開かれた扉がある。
これが、今すぐに、罪がすっかり魅力を失う道である。
「何もしない」とは、毎瞬やってくる自我からの思考データを、そのまま信じて、同意して、同化することを選ぶことをやめる。
ということだと理解しています。
私たちはそれを、自分の考えだと 完全に勘違いしています。
ほぼ、どの瞬間も、自我からの「こう考え、こう感じなさい」という指令を、それが自分の考えであり自分そのものだと思い込んでいます。
それと同一化することをやめたい。という意欲を、どの瞬間も意志すること。それを忘れないこと。
それが求められていますね。
=何もしない。自我と同一化しない。ということですね。
その(自我からやってきている)想念をやめる。その(自我からやってきている)思考をやめる。
=聖霊を選び、神の想いと一致する。ということなんですね。
聖霊に一緒にいてもらいながら
今、どんな想いがやってきていて、いかに、その想念と同一化したい誘惑にかられているか?
を、しっかり認識すれば、逆にそれを断固としてやめることができてゆきます。
少しずつ、少しずつ、それらを練習して、コツコツ達成してゆきましょう☆

あちらがわ こちらがわの坂の歩道を てくてく歩いて行く様々な人たち
見かけは、おばあちゃんだったり、おじさんだったり、おねえさんだったりした。
その時、この想念がやってきた。
「あなたは肉体を愛するのではない」
ドッと、涙が溢れた。
源から離れた証である彼らの肉体の、その背後にいる
一なる私
本当は、それしか感じていない。
「無である、バーチャルの罪を背負った バーチャルの肉体を愛している」
という錯覚は
その裏側に、必ず憎悪を隠している。
無を採用する手を取り下げて、聖霊に差し出す。
肉体を愛するのではない。
それは、無い罪の 偽りの証し。
肉体は、分離の証し。完全な幻。
愛は分離することはできない。
愛しか実在しないのだから、分離は絶対にあり得ない。
分離したい誘惑を、ちゃんと認めて、そして、ただ、やめる決断をする。
聖霊と共にいれば、必ずそれができる。
自分は、手を引くだけ。
私たちは、神を、愛している。
奇跡講座テキスト編 中央アート出版社
P511~512
T-18.7.6:7~T-18.7.7:4
「私は何をする必要もない」とは、献身の声明であり、真にひたむきな忠誠である。
それをただ一瞬だけ信じなさい。
そうすれば、一世紀にわたる観想や、誘惑との戦いなどにより与えられる以上のものを、あなたは達成するだろう。
何かをするには肉体が必要である。
だから自分は何もする必要がないと認識するなら、あなたは自分の心から肉体の価値を退けたのである。
ここに、数世紀分の努力をすり抜けて、あなたが時間から速やかに脱出できる開かれた扉がある。
これが、今すぐに、罪がすっかり魅力を失う道である。
「何もしない」とは、毎瞬やってくる自我からの思考データを、そのまま信じて、同意して、同化することを選ぶことをやめる。
ということだと理解しています。
私たちはそれを、自分の考えだと 完全に勘違いしています。
ほぼ、どの瞬間も、自我からの「こう考え、こう感じなさい」という指令を、それが自分の考えであり自分そのものだと思い込んでいます。
それと同一化することをやめたい。という意欲を、どの瞬間も意志すること。それを忘れないこと。
それが求められていますね。
=何もしない。自我と同一化しない。ということですね。
その(自我からやってきている)想念をやめる。その(自我からやってきている)思考をやめる。
=聖霊を選び、神の想いと一致する。ということなんですね。
聖霊に一緒にいてもらいながら
今、どんな想いがやってきていて、いかに、その想念と同一化したい誘惑にかられているか?
を、しっかり認識すれば、逆にそれを断固としてやめることができてゆきます。
少しずつ、少しずつ、それらを練習して、コツコツ達成してゆきましょう☆

「何もしない」って、
お恥ずかしながらわたくし、
実は
腑に落ちてなかったんです。
何もしないっていったら実生活どうするんだろ?
やってみたいこととか行動しちゃいけないのかな?
とか…
そういう意味だったんですね!
「何かをしている」んですね。
錯覚の中の錯覚状態なんですね~