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太平洋戦争末期に沖縄が戦場になってしまい、多くの人が収容所に入れられた。
そんな絶望の中、空き缶などでカンカラ三線を作って歌い、希望を見出していった。
そんな話に感動して、私もカンカラ三線を作って三線を始めた。
コーヒー豆の空き缶とつるはしの柄、お箸の糸巻の三線。
23年前の話だ。
戦後の日本は奇跡の復活をした。
世界第二位の経済大国にまでなった。
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ところが2011年3月に東日本大震災が発生した。
震災1年後に仙台から石巻に入った。
まるで大きな爆弾でも落とされたかのように、津波で街が消滅していた。
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仮設住宅や老人ホームを訪ねて、涙を流しながら三線を弾いた。
仲間を誘って、仙台と石巻で三線演奏もした。
南三陸の子供たちの三線サークルと縁があり、三線をプレゼントしたり、修理のために何度も通った。
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年間10万円を目標に義援金も送った。
しかし多くのお金がパチンコに消えていた。
やはり自分で働いて稼いだお金じゃないとダメだ。
それで中小企業支援をおこなった。
ある番組で、家や家族を津波で無くした男性が言ってた言葉が忘れられない。
大人は何とかなるが、子供たちはどうしようもない。
子供たちを助けてほしい!
そこでNPOカタリバという被災地の子供たち支援団体のサポーターになった。
イベントで頂いた謝礼なども送金するようになった。
震災から12年がすぎて、今は普通の生活に戻ることができたように感じた。
しかし、日本の国力は落ちて、7人に1人の子供が満足に食事ができない時代になった。
そのため全国に民間の子ども食堂ができた。。。
今はむすびえという団体を通して子ども食堂支援を行っています。
興味のある方は、一緒に支援していきませんか?
毎月1000円からサポートできます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/65/87174f7f167e56c1577358116dbaedde.jpg)
むすびえ
https://gooddo.jp/magazine/add/lp-musubie-1pc/?from=gooddo_pc_out_nf1_chatbot_7_ns_9-13_cg_37_20211126#back