ノッピキの読書ノート

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扉の向こうに何があるか?
本の扉を開くたびに、ワクワクします。

乙川優三郎「椿山」

2006年08月06日 | 読書について

 気が付くと、さとは背後からたきに抱きつき、これでもかという力で皺だらけの両手を抑えていた。それでも必死に米を研ごうとするたきへ、さとはとうとうたまりかねて本心を吐き出した。
「よしなさい、たき!幾度言ったら分かるのですか」
 みるみるたきの体から力が抜けていくのが分かり、さとはほっとしたが、すぐに不快感が押し寄せてきた。不快に感じたのは、決して言い返されぬことを前提に、人目のないところで憎しみを叩きつけた自分の嫌らしさだった。
「おねがいです、何でもいたしますから、どうか正気に戻ってください。」
耳元でさとが声を絞るのへ、たきは洸惚として放尿をはじめたようだった。                      (「花の顔」より)


この本には、「ゆすらうめ」「白い月」「花の顔」「椿山」の4編が収録されている。
いずれもハッピィ・エンドとはいえない結末だが、読後感はわるくない。
厳しい状況の中で苦悩する主人公に、共感を覚えその生き方に感動さえする。
乙川優三郎は、女性の描き方が素晴らしい作家だが、この作品集も例外ではない。
「ゆすらうめ」は、6年の年季開けの3日後、家族の為に又身売りする遊女、
「白い月」は、博打好きな亭主に苦労し続け、髪を売って金を工面する女房、
「花の顔」は、夫と息子が江戸勤務になった後、一人老いた姑を介護する嫁
救いようのない状況の中で、それでも、彼女達は環境に負けてはいない。
そう思わせる凛としたものが、その生きる姿勢に感じられる。
「椿山」は、出世に賭ける青年が主人公で、女性の登場場面は少ない。
青年は、友や家族と談笑する事もなく、手段を選ばず出世していく。
その青年に言う母の言葉がいい。
お屋敷もお金も、そして名誉も手にしましたが、兄が言うほどあなたを誇りに思えないのはなぜでしょうか。その事を考えてほしい。
椿山

文藝春秋

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