野村いくよの最新情報

日々の活動を簡単に報告します。

八重山旅行

2007年12月28日 | プライベート
12月23日~26日、いつもの仲間と沖縄県八重山に行ってきました。
沖縄本島には寄らず、石垣島空港へ。昼1時過ぎに到着、早速石垣牛焼肉定食。
そして、川平湾でグラスボートに乗り、珊瑚に熱帯魚に感嘆とにかく海の色がきれい
24日は、西表島へ。那良伊千鳥さんの実家がある祖納の近くの上原港に行く予定だったのですが、天候が悪く欠航で、大原港から島に入りました。
そこで、写真にある南風見の海岸にある忘勿石の碑を見に行きました。
太平洋戦争末期(1945年)日本軍の作戦展開のため、八重山諸島に散らばる島民を軍命で強制避難をさせていました。それもマラリア有病地である西表島へ、波照間島の全員が移住させられたのです。波照間島では、家畜が多く飼育されていて、日本軍の食料に徴用するためではなかったのか、とも言われています。
そこで、移住していなければ罹ることのなかったマラリアにほとんどの人がかかり、子どもや老人の多くが亡くなったそうです。その悔しさ、つらさをシキナ校長先生が海岸の石に、「忘勿石 ハテルナ シキナ」と彫ったそうです。
その石が碑としてあるのですが、軍命によって、ということで、米軍の上陸がなかったけれど、戦争の犠牲となってマラリアで多くの人が死んでいったことを忘れてはならないということです。
後、那良伊さんの実家を訪問し、唄の原点であるまるぶんさんに節祭(しち)記念碑を見て、マングローブを観に、浦内川クルーズを楽しみました。
大自然の中で聴く、三線の音はすばらしかったです
25日は、竹富島へ。島全体が町並保存を行っていて、石垣や、赤い互にシーサーがユニークでした。 国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されているそうです。珊瑚礁に囲まれ、それが大きな津波の被害をほとんど受けることがなかったことにつながるとのことです。ミンサー織の意味を教えてもらい、カイジ浜では 星砂探しに必死になっていました
ガイドの方から島の歴史を聞き、時間はゆっくりと流れていきます。
そして、26日最終日は、八重山地域での戦争マラリア死没者に対する国の慰藉事業として建てられた八重山平和祈念館と慰霊碑を見学しました。
軍命とは軍の強制があるということで、集団自決だけではなく、このような移住もあったということで、「軍の関与・強制」を含む戦争の実相は正しく伝えていくべきことだと確認したしだいです。
八重山かまぼこをおみやげに大阪に帰ってきました

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。