今日は、父の旅立ちの日。
朝シャワーを浴び、霊園が開くころに
会いに行こうと思っています。
頑固者どうしの私と父、
後半は、反発ばかりしていましたが、
ここのところ、その時間を通り越して、
私の子供のころの思い出を思い出すことが多くなりました。
永遠の魂が、有限の肉体を借りて修行する場がこの世とよく聞きます。
その、この世に出発する日が誕生日。
その、この世から出発する日が命日。
中国では、
誕生日を生日といいます。
命日は命日。
いのち(生命)とは、この世にいる時間なのですね。
同じ時代にいのちを得た者同士が、
友達となり親子・夫婦という関わりをもちますが、
それぞれの修行が終わると、
次の時代の人たちとの関わりを持つためにいのちを終える。
それぞれの命日を違くすることで
微妙に今世で関わった人たちとは、
ズレた来世を生きるのでしょうかネ
今世、おそらくそれぞれの理由があって
ダダ君と出会い、2人のノブマサビッチ君と関わりを持ちましたが、
来世は、おそらく出会えないことでしょう。
『生まれ変わったら、今度は一緒になろうネ』と言うセリフが
30年前にある女性から発せられましたが・・・
その後の、お二人の人生を見ると、今もそう思っているのかな
ダダ君には
『来世は、探さないからネ(^_-)-☆』と
よく言っています。