風の吹くままに

昨年2月半に家内が胃癌で他界し間もなく一年が過ぎようとしています。
記憶の中にある思い出を書きしるしていきます。

記憶の中に9

2009-01-29 21:40:37 | 胃癌
我が家は、地方都市の典型で
家族一名に付き一台の車を所有しており
各自好きな車を選んで乗っているが
何故か私の車は、ミニバンで2台目で
この頃になると却って乗りやすく重宝している。

その秋田の玉川温泉へ行くのに
折角だから、新しい車に乗せてやろうと
お買い得感の有る新型を注文したが
丁度その頃、中越地震の影響で
大幅に納期遅れをしており
ディーラーから是非会社の所有車を
貸すので使って下さいと有難い申し入れを頂いたが
借り物で気を張って行くより
気楽な自分の車で行くことを選んだ。

そして、8月半に家内と二人で
秋田に向けて出発をした。

東北は年に一度は出掛ける処なので
慣れた道では有るが夏休みの混雑と
家内のお腹の具合を伺いながらの道中で
普段の倍近い時間が掛かり
家内は、新潟の村上を過ぎた辺りから
後ろのシートを倒して横に成りながら
トイレに気を使っての道中に成った。

記憶の中に8

2009-01-25 13:10:05 | 胃癌
胃癌の再発、抗がん剤治療の強化。
それまでは、ある程度食欲も有ったが
食欲が減退して、特に味覚が変化して来たようだった。
更に腸が少し閉塞気味に成り
お通じが悪く成った為だろう腹痛も増して来て
トイレに通う回数と時間が長く成った。

その頃から、何処で聞いて来るのか?
弱みに付け込んだ商品の売り込みが増え
特に水関連の怪しい商品の売り込みが相次いで
家内は、藁にも縋る思いなのだろう
私と言い争いにまで成って
仕方なく水道管に付ける磁石を数十万円で
取り付けたが、効果は全く無かった。
その後も色々と相次いだが全て断っていた。

五月の連休には、銀山温泉へ行きたいと言うので
銀山温泉へ一泊と上山温泉へ一泊の予約を入れ
丁度その頃、息子は再び東京へ長期出張しており
米沢で合流して、山形から東京へ戻って行った。
事実上これが家族4人の最後の旅行となった。

初夏のある日、仕事から帰って庭の片隅に作っている
家庭菜園を観に行こうと居間の前を横切ったら
家内はカーペットに突っ伏して倒れた状態で
ビックリして家の中へ飛んで入ったが
昼過ぎからお腹が痛くてその状態で居たとの事で
慌てて薬を飲ませ、休ませた。

6月の終わり頃、癌に効くと有名な
玉川温泉へ連れて行って欲しいと
言うのでネットで検索して、夏休みに丁度空きが見つかったので予約をした。

記憶の中に7

2009-01-18 22:59:11 | 胃癌
最初の旅行以来
少しづつ気持にも余裕が出来てきた様で
好きな様にすれば良いさ、と言ったので
旅行にチョクチョク出掛ける様に成ったが
それで良いのかな~との思いが私の中には
有ったがそれを口に出しては言えなかった。

夏には、私と北北海道の利尻、礼文へツアーで出掛けた。
3泊4日は、身体にもかなりの負担だったろう。
だが、生き急ぐ様に出掛けていた。

秋に家族で昼神温泉へ松茸のコース料理を
楽しみに一泊で出掛けた。
家内は家族で出掛けられる事が
とても嬉しそうで、子供たちも
家内の身体を気遣いながらであったが
楽しんでいる様であった。

11月も終わりに近い頃
16年一緒に暮らした猫の動きが悪く成りだして
医者へ連れて行ったが回復はせず
12月早々に老衰で他界した。
一番可愛がって呉れた家内が
動ける内に面倒を見て貰いたかったかのような最後だった。

そして、家内の定期検診では、遂に再発と宣言をされて
抗がん剤の点滴治療をする事となった。

結果は、頭髪が抜けだし、
顔色もやや黒い色に成りだして
かつらや化粧品を変えたようだった。
一旦は、体重も36kgまで回復していたが
一気に32kgまで痩せてしまった。
まるで、骨の上に皮膚だけを張り付けた様だった。

記憶の中に6

2009-01-13 20:37:52 | 胃癌
この頃の家内の体重だが34kgに減って
身長は158cm、痩せ細って
肉などは付いて無い状態だった。

私が仕事に出掛けた後も、殆ど寝ている事が多い様で
色々と考えていた様で、特に娘は東京で就職しており
此方へはUターンする様子は無く
息子は、東京にいると言っても
長期出張なので半年もすれば戻って来る。

自分の身体の不自由さと娘を手元に置いておきたい
思いからなのだろう、仕事を辞めて戻ってこさせようと
私に相談をしてきた。
娘一人くらいは、家に居ても支障は無いのでOKを出すと
早速連絡をして2週間程で結論が出て3月一杯で
退社して戻ってくることとなって、私は引っ越しやら
連れ帰る段取りで、住いの有る埼玉まで出掛けて
引越しの手配をして娘を連れて戻ってきた。

暫くは家事手伝いという事で家に居たが
家内も少しずつ回復して来て
そのまま、遊ばせて置く訳にも行かず
就職口を探して、某社にお願いをしてお仕込んだ。

暖かく成るにつれて回復の速度も増して来たのか
5月の連休には旅行に出かける事が出来る様にまで成って
娘と二人で瀬戸内海へ出掛けて行った。

記憶の中に5

2009-01-07 21:26:58 | 胃癌
何しろ胃を全部摘出し、腸を伸ばして食道と繋げ
無くなった胃の代わりをさせているのだ。

食べる量、種類の制限も有り、
そして食べ物をよく噛み更に噛みくだしてから
飲み込まなくては成らない為時間も掛かり
良くお腹が痛いと言ってはトイレへ通っていた。

そして術後は体力が無くなり殆ど一日中寝ている様で
自分で食事の用意も満足には出来ない10日間程だったので
私の負担は、一人で居る時より増えたが
それは、仕方がない事だった。

ニンジンをカブやキュウリと一緒に
浅漬けにしたり、トマトベースの煮込みを作ったり
なるべく油ものを控えて煮物中心の献立を作った。
ご飯も私は硬めが好きだが、おかゆにして食べさせたりした。

寒い寒い北陸の冬が続いていたが
それでも春めいた日差しが増えるのと一緒に
少しずつ体も回復して来たようで
笑顔も見せる様に成ってきた。