風の吹くままに

昨年2月半に家内が胃癌で他界し間もなく一年が過ぎようとしています。
記憶の中にある思い出を書きしるしていきます。

記憶の中に18

2009-03-31 22:38:04 | 胃癌
この頃から緩和ケアーが始まって
24時間痛み止めを極少量点滴に近い状態で
打って痛みが激しい時にボタンを押して
増量する様に成っていた。

手を貸せば何とか歩いたりも出来て
歯磨きや洗顔も出来、気分が良いと
腕を支えて部屋の中を歩きたいとも言い
部屋から廊下までの間を何度か歩いた。

年末からは、見舞いに来る人に
逢いたいと言い出して
今まで、ナースセンターで断ってもらってた
お見舞いも部屋へ来てもらう事にしたが
正月などは一度に大勢が見舞に来てくれ
却って疲れて体力を消耗したように思えたが
本人が逢いたいと言うのを止める事も出来ず
好きなようにさせていた。

正月の三が日には子供たちも日中の時間は
部屋で一緒に過ごしてくれ
また、五月に結婚する予定の甥っ子も
婚約者を連れて見舞いに来てくれ
伯母ちゃんは、元気になってキット
結婚式に出席するからね!
と、言っていた。

記憶の中に17

2009-03-27 09:22:07 | 胃癌
病室では、家内が待っていた。
どんな風に話したか今となっては
良く思い出せないが
ベッドの横の椅子に座って話をした。

今は家に帰っても寒いし、
自分で身の回りの事をするのも大変だ。
何時まで生きて居られるのかは
今は何とも言えないと言われた。
病院でも一生懸命良く成るように
皆で世話をしてくれているのだから
病院で頑張って治療をしよう。

こんなふうに話したと思う。

何度か質問されたが
それ以上の事は今は言えないと言われた。
と話すしか無かった。

それで納得はしなかったのだろうと思うが
ある程度の病状に対する自覚は有ったのだろう
それ以上は反論しなかった。

24日のクリスマスイブにサンタの載ったショートケーキを
買い求めて病院へ持って行った。
味気ない病院暮らしの慰めに成っただろうか?

12月28日から正月の4日まで
私が病院で付添をする事にして
穴の谷霊水を20L汲んで
病室へ持ち込んだ。
この頃は藁にも縋る思いだった。

記憶の中に16

2009-03-24 22:17:15 | 胃癌
12月も20日を過ぎたある日の事
何時もの様に病院へ行くと
家内の母が困り顔で家内は泣いていた。
訳を聞くと、正月に家へ帰りたいと言っているとの事で
担当の医師に帰りたいから状態を教えて欲しいと
お願いして有り、そろそろ連絡があるから
聞いて来て欲しいと言われた。

そんな事を言い出した訳が有って
その日に、親戚の叔母さんが見舞に来て
安易な慰めで、きっと正月には家へ帰れるよ
と言って行ったのが原因だそうだ。

既に一人では満足に歩けなくなっており
自分でも状態の変調には気が付いている。
そこへ変な慰めで、里ごころに火がついた様なのだ。

間も無く看護師が外来の診察室へ来て欲しいと
呼びに来たので私が一人で聞きに行った。

先生の話では、今の状態では正月は迎えられるが
桜の花は見れません。
前回の入院の際、退院は無理だと思ってましたが
一旦退院された事事態が驚異でした。
と言われた途端に、ある程度は覚悟は出来ていた心算だったが
そんなに早いのか!とショックで、ただ有難うございました、と
言って部屋を出て、暗い待合室で泣いてしまった。
どんな風にどう言って慰めれば良いのか
長い間、悲しくて愛おしくて声を殺して泣いていた。

それでも話さない訳には行かないので
気持ちを奮い立たせて病室までの暗く長い
廊下を歩いたがひとりでに涙は溢れてきた。

記憶の中に15

2009-03-19 22:31:14 | 胃癌
家内の入院と共に、私の病院通いの日々も復活したが
自分で身の回りの事が出来るのでそれ程手間も掛からず
顔を見に行って気晴らしに少し話相手をして来る程度だった。
しかし、自分の容姿が変わり果てているので、ナースセンターで
見舞いを断り、部屋にも面会謝絶の表示をしていたそんな12月半ば
変化も無くやれやれと思っていた矢先に、腹痛で容態が悪化し
付き添いが必要に成って、平日は家内の母親に来てもらい
週末の金曜から日曜まで私が付添をする事になった。

今にして思えば、夫婦として一番濃い時間だったのかもしれません。

薬の影響でしょうか?
味覚異常を来していて病院の食事は
断っていたので、1日3度の食べ物の買出しを
病院内の売店や近くのスーパーへ
何が食べたいかを聞いて買出しに行っていた。

そして最も厄介なのが
ガス抜きと呼んでいた1日一度の便の排出。
これをしないと、お腹が張って来て
とても苦しむ事になった。

看護師と二人掛かりでお尻からゴムのチューブを入れて
腹部をマッサージして、尿瓶に便とガスを
出すのだが、看護師にも慣れ不慣れが有り
その日に寄って、当番が違うので
上手な人なら良いのだが不慣れだと
私が全部指示を出さなければ成らずとても苦労した。

記憶の中に14

2009-03-14 22:59:50 | 胃癌
夏前から始めた抗ガン剤の点滴で、
遂に体中の毛が抜けだして皮膚の色も黒く成り
便通も悪く成って来ていたのだ。
だが、この頃から体力が落ちてきて
点滴の日に血液検査をするのだが
点滴が出来ない日が続いていた。

後で医師から聞いた話だが
この入院でこの後退院は望めないだろうと
思っていたのだと言っていた。
その為だったのだろうか?
殆ど何の処置もされないまま
家内は10日程で家に帰ると言って退院してきた。

だが、家に居れば嫌でも家事に手を出してしまい
安静などは難しく、また何か有った場合
誰も居ない状態では、手の施し様が無いので
説得して、11月半に再び入院をさせた。

前回の入院の時は個室(トイレ付)に入れて貰ってたが
今回は、特別室に入れる様にお願いをした。
広い部屋に、お風呂もトイレも付いていて
まだ身の回りの事は自分で出来ていたし
簡単なソファーも有り家内の好きな
テレビは見放題で当初はご満悦だった。