ヤッちゃんパパ奮戦記

HFAの息子に啓発されて、化学を専攻した小父さんが畑違いの自閉症療育の世界へ。50の手習い、子育て奮戦記…

RDI Today (2) 自閉症とは何か?について考える

2007-08-20 22:15:35 | RDI


この話題について、触れることには、実はかなり勇気がいる。まず第一に私は医者ではないので、私の持つ知見が偏りを持っていることは否定できない。またこの問題の最前線の研究家ではないので、私の知識が最新のものとも言い難い。そのような理由で、この命題に触れることは、意識的に避けて来たともいえる。

今回、RDIによるASD(Autism Spectrum Disorder-自閉症スペクトラム)の捉え方、即ち、前稿で若干触れた、コンピューター・ネットワーク・モデルという認知心理学的なモデルを知った時、ある意味ちょっとしたカルチャーショックに出会った感じがした。個々のPCに決定的な異常がなくても、ネットワークの構成時何らかの異常が発生したことが、自閉症であるというこの仮説自体が、非常に斬新であるという意味ではない。私が驚かされたのは、今日の自閉症診断の根幹になる、ICD-10やDSM‐IV-TRに対して、疑問を投げかけ、より広い視野の基に、自閉症療育に取り組もうという姿勢に対してであった。

脳の機能をコンピューター・ネットワークにモデルとして求め、認知心理学のもとで組み上げられたモデル論は、あくまでも仮説であり、前稿でも述べたとおり、それが正しいか、また逆に決定的に誤りであるかという点においては、現時点では判断がつかないものである。いわば演繹的に展開されるこの理論において、RDIでは個々の神経細胞には異常がないと、仮定している。個人的には自閉症の人約1/3に認められる脳波異常は、必ずしもこの仮定が正しいとは言えない証のように思えるが、実はそのような枝葉末節なことは、さして重要なことではなく、むしろポイントはRDIの視点にあるように思われる。

自閉症の人の比率は、果たして増えているのか?正直良く分らない。3年ほど前の自閉症カンファレンスNipponにおいて、佐々木正美先生はこう語られた;

「公の認識として、自閉症児・者の比率が増加しているという共通の認識はありませんが、個人的には私には増加している様に思えます。例えば30年ほど前の国立秩父学園に在籍した自閉症児とダウン症児の比率は1:1程度であったが、今日ではその比率は9:1位になっています。想像で言わせて頂けば、内分泌かく乱物質(いわゆる環境ホルモン)による汚染の増加などがその原因ではないかと思えます。」

米国自閉症協会等が発表する「何人に一人の割合で自閉症が発生しますか?」という数字は近年、分母が小さくなり、150とも133とも言われる。しかし、今日特別支援教育で引き合いに出されるいわゆる「支援が必要な子どもが6.3%いる」という我国固有の数字以上に、この統計値は絶対値として信頼性が高いものではない。

一方で、太田昌孝先生はこの一見自閉症児者が増加しているように見える統計上の数字の変化は、純粋にDSMの改定に伴う、診断基準の変化に基づくものであって、自閉症児・者の比率が実際に増加しているという確たる証拠はないと語られる。

どちらが正しいのか、感覚論的なことしか分らない。

また、自閉症が遺伝的要素が高いということは、まず良く語られるところである。それも単一の遺伝子、あるいはダウン症に見られるような単独の染色体異常という性格ではないと考えられているが、太田先生によれば、すでに10超える自閉症に関連した遺伝情報が、染色体上の位置(たとえば15q11-13といった番地)として既に確認されているとのことである。

従って、ネットワークモデルが正しいか否かということを、脇に置いておいても、自閉症はそもそも遺伝的に脳の機能において脆弱な状態が発生し得る状況があり、何らかの二次的なトリガー的要素によって、発症するのではないかと推定される。発症が母体の胎内で既に起こっているの(先天的なもの)か、生後間もなくなのかという点については確証がない。俗に折れ線型自閉症(小児期崩壊性障害もこれに含まれると私は考えるが)と呼ばれる症例では、1~2歳程度までは定型発達に近い発達が認められるので、おそらくは生後にトリガーが引かれるのではないかと推定されるが、果たして出生時から見掛け上の発症時の間に全く何も発症していないと言い切れるのか?という点では、厳密な意味でこれも確証はない。そもそも「自閉症とは何か?」という問いに対して「それは脳の機能性障害である。」という答えしかなく、それは極論すれば単なる言葉の置き換えであって、真に命題に対する答えとは言えるレベルのものではないからである。

RDIが投げかけた疑問は、ICDやDSMが規定する自閉症の概念は、予後が不良、即ち一度自閉症と診断された者は、その特性が仮に治療効果が上がったと見えるほどに改善したとしても、生涯、自閉症という診断は覆らないとしている点である。それは例えば一度確定診断を受けた者が、診断歴を隠し10年程度の長い年月を経て、別の医師に診断を受けた時、自閉症ではないと言う結果を得ることがあるのではないか?という単純な疑問であった。俗っぽい言い方をすれば自閉傾向の薄い症例では起こり得そうな話である。ICDやDSMに立脚すれば、自閉症はそもそも症候群であり、診断者、診断時期によって診断結果は変わり得るとも言え、その疑問は決して診断基準に矛盾するものではないと言うことになろう。

しかし、実は、その論点もどうでもよいのである。ネットワークモデルに理論的基礎をおくと言っても、RDIは実際に脳を開いて、新たな接続を物理的に行うものではない。本質が全く別のところにあって、想定とは全く別の意味で変更が起こるのであっても、それは一向に構わない。要は長期スパンでのRDI療育によって自閉症の様態が改善されうる可能性がそこにあるという点が大切なのである。

それは、いわばリハビリテーションの範疇に入るものである。脳梗塞により手足の麻痺、言語喪失が起きた場合を例に挙げれば分り易い。脳のダメージの程度は自閉の深さに対応すると言えよう。ダメージが軽ければ100%と行かないまでもかなりのリハビリ効果は期待できよう。重ければ障害が拭い去られることはないにしろ、それでも何らかのリハビリ効果が期待出来るかも知れない。あるいはリハビリ効果が即日的に得られないために諦めを持つかも知れない。加えて、それは当事者として模索する身には客観的には分らないことかも知れない。

今回の勉強会で見せて頂いたビデオ事例は、明らかな改善を私たち参加者に見せてくれた。今日のその対象児の様態が健常児となんら変わらないとまでは言えないにしても、2年を超えるRDIベースの療育活動によって、そこには確実な進歩が見てとれたのである。

「10年という長期スパンで我々は療育を考えている。」と言われる白木先生の言葉には重みを感じる。
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