にじの木通信

小さな家族の日々のこと。
安心安全栽培の菜園も、カメの歩みで一歩ずつ。

祈らずには行えない

2016-06-26 02:55:55 | 育て方研究
いつかにもメモ(投稿)していた、

自分の育て方研究なんですが、

辛いとき、大変な場面でこそわたしは、

祈ってきています。



例えばですが、以前に、

精密機械の工場、受け入れ検査部にて、

入荷してきた部品が、正しいものかどうか

伝票と照らし合わせる、というお仕事を

担当させていただいたときに、


それは‘もの’と、

伝票に入っている10桁以上の数字とアルファベットの並びを

間違いないかをできるだけ早く正しく合わせてチェックするのですが、

ここで間違いがあると、続く部署にて、

作りたい部品、機械ができなくなるわけです。


あのときの部品チェックが間違っていたからと、

正しいものを作ることが遅れたり、他部署の方から

「どこで間違っていいたのか?」「ここで誤ったからものができない」と、

受け入れ検査の方たちにご迷惑をかけてしまうことになる。。

・・・わたしには言われない、

部署の責任者の責任になるのだから

恐怖でした。


このように、すべてのお仕事が、本当に本当に大切で、

かけがえのない、「全体の一部」たと体験することは

わたしにとっては、癒しでありました。


わたし一人いなくてもいいんじゃないか、

というような感情を手放すには、

このような、社会の一部として、その場で

必要な仕事をさせていただくときであるのでした。


それはきっと、今も変わりがなく、わたしのことを

妻・母・子どもだと、認識してくれている家族はわたしにとって、

前を向いていく、また生きている意味、でもあります。


ところで話を戻しますと、

責任もってことにあたる、ということや、

自分の集中力や眼力の許容範囲を越えて間違わずに仕事をし続けること、

入荷してくる、繊細ですごく重いものを持ち上げて、安全に運ぶ、

人前で正しく話して責任もって情報をお伝えする、

などなど、自分が、今までのわたしを越えて、

相手や仕事に合わせて変化することが必須な

‘‘大変なとき’’にわたしは、祈ってきたのです。



‘もの’を、一度、神様にお供えするきもち

合わせるべく数字とアルファベットの羅列もそうでした。


大変神聖なものとして、一品ずつおあげし、

それから降ろしてわたしのもとでチェックさせていただくような

イメージを繰り返すのでした。


すると本当に、間違わない。

毎回そうしていたら、正しい仕事がわかってくるようになる。


どんどん入荷してくる大量な部品と数字に

ドキドキしなくなる、冷静に、丁寧な対応ができるようになる。


だんだんと効率をあげていき、コツもつかめるようになって、

自分なりに仕事を組み立ててスピードもあがり、

周りの方たちにも喜ばれ、大切にしている仕事が伝わり、

仕事ぶりどうしの強い信頼関係を築かせていただくことができ、

しあわせな職場となる。


「大変(大きく変わることが必要)」だから、

‘‘人(わたし)の目・集中力の範囲を越える’’仕事だから

の効果です^^


毎日くたくたでしたが、

‘要らぬ感情・思考’の、入る隙がなくなるのでした。


仕事や苦労は、ありがたいこと。







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