にじの木通信

小さな家族の日々のこと。
安心安全栽培の菜園も、カメの歩みで一歩ずつ。

桜桃

2016-03-10 22:59:28 | 娘たちへ
昔父に対し、反抗的だったような時期に

父から「桜桃」という本を借りて読み、

大泣きしたのだけを覚えている。


内容は覚えていませんが、

そこには男性の切なさを描いてあったように記憶する。




さて年老いてもある意味青春のようでもあり贅沢せず楽しんで、

父はどうして凪ぎのような心の安定感を保っているのか?


人(わたしの、でもあります(^.^))のお世話をして

見返りもなく行いが報われなかったとしても

平静な心な様子なのはどうしてかなと、ちらと聞いてみました。



「それについてはすでに昔に、孔子さんが上手に言ってられる」

旨の答えが返ってきた。


『人のため、誰かの役にたとう、と思って行動しているうちはまだまだ。

気づいたことをする、誰かや評価を意識するわけでなく、ただ

自然に行っていることで人に喜ばれるようになれたら』

ということでした。


もちろんその、自然にすることで、どなたかに迷惑をかけたり

社会的に良くないことはすべきではなくいけないのですが、そうでなく、

自分の気づいたことをする、というのです。


気づいた‘よいこと’、ということかな?


ではどうしてか?というと、人のために、と言ってもそれが

相手にとっては嬉しいこととは限らず、

逆に迷惑に思われていることもあるかもしれないと。

役に立つことか、ためになるかは、わからないというのです。

こちらが思ってある意味勝手にしていることだと。



そしてこちらが(好きで)気付いて行ったことならば、

相手に対して、こう反応してくれるはず、

などという、期待もしないですみます。

期待をしないから、がっかりしたり、イライラもしないと。



・・・母が、家のことをしてくれるようになった父に対して

「わたしのためにしてくれている」、と思って言ったことがあるそうで、

でも父は違うと、気づいたことをしているだけだと、言ったのだと

この時聞いてびっくり。

もちろん時間や優先順位はあるので、優先のほうからするだけだと言う。


父は面白い人で、「Kさんはいてくれるだけで」

「Kさんがいたらその場がおさまる」と

母はいろんな人に聞いてきたのです。


この間は、楊貴妃の時代のお話を、ちょこっと娘が聞いてきて、

わたしに教えてくれた。。なんでそんなこと知ってるの?って(^_^)

中国の歴史が好きで、おじいちゃん面白いなあって笑い合い。


知らない世界がまだまだいっぱい、

楽しいことです✨



















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