皇居の落書き

乱臣賊子の戯言

欠けているもの

2004-10-06 00:45:32 | 皇室の話
 皇室について考える場合、今一番、大事なのは、皇室というお立場への想像力であろう。
 日本建国と密接に関わり、125代の長きに渡って、日本人と共に歩んだ、そのような歴史を背負ったお立場とは、いったいどのようなものであろうか。
 くだらない憲法学者などは、「象徴にすぎない」と、自らの無責任、無教養をさらけ出すような発言を平気で行うが、象徴であることとは、いったい、どれほど大変なことなのであろうか。
 もちろん、陛下のご境遇については、完全に理解できるはずもなく、どこまでも想像にすぎないのであるが、それでも想像をしてみると、なんともたまらない気持ちになるのである。
 とてつもない責任感、現在の日本人だけでなく、過去の無数の日本人たち、そして未来の無数の日本人たちへの責任感を常に感じざるを得ない、崇高であるが、とてつもなく孤独なお立場であるに違いない。
 そして、不十分ながらも、そのような想像をしてみると、陛下のご公務一つ一つが、実に胸に迫ってくるのである。
 陛下のご公務について、陛下が背負われているお立場に対する想像力というものを、まったく働かせずに理解するということはできないであろう。
 もっとも、想像力というのも、各人程度に差があるわけであり、深く働かせることができれば、それだけ深く理解することができる。
 また、ここに、皇室というご存在の深みがあるとも思うのである。
 さて、そうなってくると、現在の日本人において、肝心なのは、皇室に対する想像力ということになるのではないかと思う。
 この点について、皇室を大事に思う人々の中においても、どれくらいの認識があるのだろうか。
 日本会議など、筆者が期待している団体においても、皇太子殿下のご発言以降、皇室のあるべき姿についての議論が見られるが、皇室のあるべき姿については、皇室の方がもっとも問題意識を有している課題なのであって、広く国民に訴えるのであれば、皇室に対してどのような捉え方をするか、想像力を働かせることの重要性を説く方が有意義ではないかと思われる。
 皇室は無私なる存在であり、エゴによりその在り方を決めるものではなく、国民の求めるところを感じ取って、国民の求める方向で、自らの在り方を定めるものである。
 したがって、今重要であるのは、皇室というご存在に対する自覚を喚起することであり、それなくして、自らの考えに基づく皇室の在り方を一方的に主張するというのでは、皇室の方々が、あまりにお気の毒である。
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