日本の真実

日本人自身が知らない「世界に誇るべき日本の真実の姿」を様々な面から紹介するブログです。

世界に誇る日本人の発見 物理学編 その二 土星型原子模型

2006-06-28 00:41:34 | Weblog
◎世界で初めて土星型原子模型を提唱:長岡半太郎

20世紀初頭、物理学の世界では原子の構造に注目が集まっていました。1897年にイギリスのJ.J.トムソンは電子を発見し、レントゲンによるX線の発見、キュリー夫人によるラジウムの発見などもこの頃でした。
電子を発見したトムソンはブドウパンのような原子模型を提唱しました。それは陽電気を帯びた球体の中に電子が散らばっているというもので、現在よく知られているボーアの原子模型とは全く異なる形をしていますが、当時の多くの物理学者たちがこの原子模型を支持していました。

しかし、この原子模型に疑問を持ったのが、当時東大教授だった長岡半太郎でした。長岡は正電荷を持つ核の回りを電子が土星の環のように回っているという「土星型原子模型」を世界で初めて提唱しました。それはボーアの原子模型によく似た形をしています。長岡はこれを1903年12月の東京数学物理学会で発表し、翌年にはイギリスの学会誌に発表して世界に知られました。しかし、長岡の模型には一部説明困難な部分があり、また実験的裏付けが無かった為、ロッジやポアンカレなど一部の学者を除いて、支持されることはありませんでした。
しかしそれから8年後の1911年にラザフォードが原子核模型の実験を発表し、1913年にボーアがより詳細な原子模型を発表するに至って、トムソンの模型ではなく、長岡の模型がより正しかったことが立証されました。

長岡の模型はラザフォードやボーアの発表の数年前に発表されており、極めて先進的な提唱だったことが分かります。しかし早過ぎたが故に充分な評価が得られなかったことが残念です。更にトムソン、ラザフォード、ボーアいずれもノーベル賞を受賞しましたが、長岡が受賞することはありませんでした。当時、日本の科学水準がまだ世界に充分に認められていなかったことが影響していると思われますが、間違いなく受賞に値する研究だったと思います。
(信)

日本人の世界記録 スピードスケート編

2006-06-25 01:05:21 | Weblog
<男子500m>
・1969年 3月 1日 鈴木恵一 39秒2
・1970年 3月 7日 鈴木恵一 38秒71
・1996年 3月 2日 清水宏保 35秒39
・1998年 3月28日 清水宏保 35秒36
・1998年 3月28日 清水宏保 34秒82
・2001年 3月10日 清水宏保 34秒32
・2005年11月19日 加藤条治 34秒30

<男子1000m>
・1994年 3月26日 宮部保範 1分12秒37
・1996年 3月 1日 堀井 学 1分11秒67
・1997年11月22日 堀井 学 1分10秒63

<男子1500m>
・1996年 3月 2日 野明弘幸 1分50秒61

男子は強いですね。女子の記録が無いのが残念!!
(信)

W杯 日本人サポーターは高得点をゲット

2006-06-22 21:24:18 | Weblog
 今大会のW杯で精彩に欠けるサッカー日本代表チームに対する評価が、開催国ドイツで乱高下しているらしい。
 日本経済新聞(2006年6月19日夕刊23面)によると、日本は、昨年6月のコンフェデレーション杯でブラジルと戦って引き分け、W杯開幕直前のドイツ戦でも健闘して、地元メディアは「魔法のサッカー」「とても危険だ」と絶賛。ところがその後の親善試合のマルタ戦、w杯でのオーストラリア戦では、「元に戻ってしまった」と酷評される始末。
 これに対して、高得点をマークしたのが、日本人サポーター。各国の熱狂的なサポーターが大勢集まるドイツで、日本人サポーターの礼儀正しさは目をひくらしく、「とても紳士的で、親切」と高く評価されているそうだ。(ほ)

「動脈硬化のペニシリン」スタチンは日本人が発明した

2006-06-19 21:17:22 | Weblog
先日、テレビで今年の日本国際賞受賞のことをやっていました。今年の受賞者は東京農工大学名誉教授の遠藤章氏で、受賞理由は血中コレステロール値を効果的に下げる薬である「スタチン」を発見・開発したということでした。
スタチンのことは知っていましたが、発見したのが日本人だったとは知りませんでした。
現在、スタチンは世界中で約3,000 万人の患者さんに毎日投与されていて、年間売り上げは約2兆8,000億円にもなるそうです。同じ日本人としてとても誇りに思います。ただ医薬品としての上市がメルク社に負けたというのは口惜しいですけどね。

遠藤章先生の講演記録
http://www.jhf.or.jp/shinzo/mth/images/History-37-8.pdf
心臓 V o l .3 7 N o .8 (2 0 0 5 )

(く)

アジア発の国際学術誌創刊

2006-06-16 23:46:54 | Weblog
 日本、中国、韓国、インドを中心としたアジア発の国際学術誌「Chemistry-An Asian Journal(CAJ)」が今年7月に創刊される。本誌を通じて、アジアの有力化学会が一致団結して、自前の学術誌を発刊し、欧米のトップジャーナルに対抗していく。初代編集長(Chairman of Editorial Board)は、ノーベル化学賞受賞の野依良治博士(理化学研究所理事長)である。
 編集者の一人である東京大学の中村栄一教授によると、「アジア発の研究の評価は、欧米の一流誌への掲載の有無で決まってきた」が、「これを是とするアジア人は恐らく今はいない」。CAJ創刊は、「台頭著しいアジアが自分たちの研究の方向性を自ら決定し、自ら評価するという決意表明である」。(「アジア化学雑誌の発刊について」中村栄一著より)
 CAJ創刊の背景には、アジア発の一流誌が存在しないために、学術分野で主導権を握ることができないという事情があるが、わが国の研究成果の海外流出という懸念も見落としてはならない。日本人の論文発表の世界シェアは12%であるが、実にその80%が海外の学術誌に発表されている。日本の研究者は、欧米のトップジャーナルに論文を発表しようとしているが、学術論文を雑誌に投稿する場合、著作権は出版社に移譲されることが慣例となっているため、日本の知的財産の多くが欧米の出版社に帰属してしまっているという由々しき状況をひき起こしている。野依博士らは、日本発の国際的学術誌の発刊を目指しているが、今回、アジア発の国際学術誌創刊の運びとなったことは歴史的な第一歩である。(ほ)

アジア化学雑誌の発刊について(東京大学 中村栄一教授)
http://www.chemistry.or.jp/kaimu/ronsetsu/ronsetsu0602.pdf
Chemistry - An Asian Journal Editorial Board
http://www3.interscience.wiley.com/cgi-bin/jabout/112140232/2451_edbd.html

世界に誇る日本人の発見 物理学編 その一 中間子論

2006-06-13 21:27:23 | Weblog
◎中間子の存在を予言:湯川秀樹

物質は分子によって出来ていて、その分子は原子が集まって出来ていることは
皆さん、学校の授業で習って覚えていることと思います。
(例えば水は水素原子2つと酸素原子1つで出来ている)
更に原子は原子核(陽子、中性子)と、電子などの素粒子から出来ていて
素粒子はクォークとレプトンと呼ばれるもので構成されていることが
現在までに明らかになっています。

1930年代初め、物質の構成単位はまだ3つの素粒子(陽子、中性子、電子)
までしか解明されていませんでした。
そして「何故陽子と中性子はバラバラにならずに、小さな原子核の中に
閉じ込められているのか」が議論されておりました。
陽子は+の電位を持っており、中性子は電位を持たないため
それだけでは+同士が反発して、バラバラになってしまう筈です。
その反発力より強い力がどこから生じているのかが大きな謎でした。

当時、大阪大学理学部の講師をしていた湯川秀樹はこの問題に取り組み
陽子と中性子の間を行き来している粒子があるのではないかという仮説を立て
1934年11月、東京大学で開かれた日本数学物理学会で「中間子論」として発表しました。
発表当時は全く相手にされませんでしたが、1937年にアンダーソンが宇宙線の中からそれらしき素粒子を発見したため、世界中から注目されるようになりました。
その後、その素粒子は湯川博士の予言した「中間子」ではないことが分かりましたが、1947年、遂にパウエルによって宇宙線中に「中間子」が発見され、湯川博士の予言が正しかったことが証明されました。
2年後の1949年、湯川博士はこの功績により日本人初のノーベル賞(物理学賞)を受賞しました。

20世紀の物理学は自然界にある力が重力(万有引力)、電磁気力、弱い力、強い力の4つしかないことを解き明かしましたが、湯川博士が発見したのはこの4つの力のうちの「強い力」でした。
「重力」はご存知ニュートンが発見し、「電磁気力」はボルタ、アンペール、ファラデーといった著名な学者たちが発見しました。「弱い力」を発見したエンリコ・フェルミは1938年にノーベル物理学賞を受賞しています。
湯川博士が世界で初めて「強い力」を発見したことは、先の3つの力の発見と肩を並べる歴史的な快挙であると言えると思います。

(信)



日本人の発明 カメラ編

2006-06-10 12:53:05 | Weblog
◆1958年 レンズ交換式カメラ         オリンパスの「オリンパスエース」
◆1975年 ストロボ内臓カメラ          小西六(現コニカミノルタ)の
                           「コニカC35EF」
                            (通称 ピッカリコニカ)
◆1976年 CPU搭載カメラ           キャノンの「AE-1」
◆1977年 オートフォーカスカメラ        小西六の「コニカ C35AF」
                            (通称 ジャスピンコニカ)
◆1979年 フィルムの自動装填、自動給送 小西六の「コニカ FS-1」
       内蔵一眼レフカメラ 
◆1985年 オートフォーカス           ミノルタ(現コニカミノルタ)の
       一眼レフカメラ             「α7000」
◆1986年 電子画像カメラ           キャノンの「キヤノンスチル
                           ビデオシステム」
      ※デジタルカメラの先駆けとなる開発
◆1992年 水中専用オートフォーカス     ニコンの「NIKONOS RS」
       一眼レフカメラ 
◆1995年 手ブレ補正ズームレンズ     キャノンの「EF75-300mm
                           F4-5.6 IS USM」
       全自動ソーラーカメラ        キャノンの「オートボーイSE」
◆2000年 腕時計型デジタルカメラ      カシオの「WQV-1」
◆2003年 IPv6対応無線デジタルカメラ   三洋電機

(信)

世界を席捲する日本製バイク

2006-06-08 23:15:29 | Weblog
1949年に始まった世界最高峰のオートバイレースであるロードレース世界選手権は日本製マシンの独壇場である。

昨年までの年間総合優勝回数、グランプリ勝利数カテゴリー別に見ると
●MotoGPクラス(旧500CCクラス)
 ☆年間総合優勝回数:1位タイ ホンダ 16回 
               3位   ヤマハ 10回 
               4位   スズキ  7回
    1974年以降、32年連続して日本製マシンが総合優勝。
   昨年もヤマハのバレンティーノ・ロッシがチャンピオンになる。

 ☆グランプリ勝利数:1位 ホンダ 196勝 
              2位 ヤマハ 142勝 
              4位 スズキ  89勝

●250CCクラス
 ☆年間総合優勝回数:1位 ホンダ  19回
               2位 ヤマハ  14回 
               4位 カワサキ 4回

 ☆グランプリ勝利数:1位 ホンダ  197勝 
              2位 ヤマハ  164勝
              4位 カワサキ  45勝

●125CCクラス
 ☆年間総合優勝回数:1位 ホンダ 15回
               4位 ヤマハ 4回

 ☆グランプリ勝利数:1位 ホンダ 163勝 
              3位 ヤマハ  47勝

ホンダは総合優勝回数、勝利数共に全クラスで1位を独占している。

(信)


日本人の発明 電卓編

2006-06-06 21:32:32 | Weblog
◆1964年 オールトランジスター式電卓 シャープの「CS-10A」
◆1966年 IC電卓              シャープの「CS-31A」
◆1969年 LSI電卓             シャープの「QT-8D」
◆1971年 ポケットサイズ電卓       ビジコンの「LE-120A」
◆1973年 液晶電卓            シャープの「EL-805」
◆1976年 ソーラー電卓          シャープの「EL-8026」
◆1977年 ボタンレス電卓         シャープの「EL-8130」
◆1978年 カード電卓            カシオの「LC-78」

(信)

日本人の発明 テレビ・ビデオ編

2006-06-04 23:00:07 | Weblog
◆1926年 ブラウン管による受像       日本ビクターの高柳健次郎。
◆1960年 トランジスターテレビ        ソニーの「TV8-301」 
◆1963年 トランジスター小型VTR      ソニーの「PV-100」
◆1965年 家庭用VTR             ソニーの「ビデオコーダー」
◆1975年 VHS方式VTR           日本ビクターの「HR3300」
◆1979年 光ディスク方式画像情報     東芝。
       ファイル装置             現在のDVDの先駆けとなる開発
◆1980年 CCDビデオカメラ          ソニーの「XC-1」
◆1982年 パソコンテレビ            シャープの「X1」
◆1983年 カメラ一体型VTR          ソニーの「ベータムービー」
◆1984年 液晶ポケットカラーテレビ      エプソンの「ET-10」
◆1984年 VHSカメラ一体型VTR       日本ビクターの「GR-C1」 
◆1985年 8ミリビデオ               ソニーの「CCD-V8」
◆1989年 カラープラズマディスプレイ     富士通
◆1990年 VHSコンパチブルビデオデッキ   日本ビクターの「HR-SC1000」
◆1991年 液晶ハイビジョンテレビ       シャープの「HX‐L100」
       壁掛け液晶テレビ          シャープの「9E‐HC1」
◆1995年 ポケットサイズデジタル       日本ビクターの「GR-DV1」
       ビデオカメラ 
◆1997年 DVD-Rドライブ           パイオニアの「DVR-S101」
◆2000年 DVD-RAMビデオレコーダー     松下電器の「DMR-E10」
◆2001年 HDD&DVDビデオレコーダー    東芝の「RD-2000」
◆2003年 ブルーレイディスクレコーダー    ソニーの「BDZ-S77」
       家庭用デジタルハイビジョン    日本ビクターの「GR-HD1」
       ビデオカメラ 
(信)