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歴史問題で決着つけば、中国は困る

2010年01月06日 | 過去記事倉庫
サーチナという中国系ポータルサイトの掲示板で、歴史問題についての議論が続いています。

  ◆

サーチナ 2009/6/3より転載)

  サーチナへの投稿の一部を紹介する。「中国は、国際政治の舞台で日本の立場が強くなっては困る」、「したがって、歴史問題で決着がつかず、日本を非難しつづけることができる構図を望んでいる」などと主張する。東寺(ハンドルネーム)さんの投稿。
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  日本人は「反省し、何度も謝ったじゃないか!」、中国人は「日本人が本当に謝ったことは、1度もない。日本人の態度は中国人の感情を傷つけている」と主張する。この言い合いは終わらない。終わらない必然性があるからだ。

  もしも「日本人は確かに反省している。歴史認識の点で問題は解消した」と中国人が納得してしまえば、中国政府と中国共産党は困ることになる。

  中国政府は技術向上や社会システムの安定化のために、日本からの投資・協力が必要だ。一方では、国際政治の舞台で日本の立場の強化を阻止しなくてはならない。そのための大義名分として、日本の歴史認識「問題」が重要になる。「日本の歴史認識は中国人の感情を傷つけている、したがって日本の政治大国化には反対せざるをえない」という理由づけができるからだ。

  このような構図の一端が露呈したのが2005年4月に起きた反日デモの後始末だ。日本の(歴史)教科書の定期改訂の時期に合わせて、中国と韓国で反日キャンペーンが起こることは、予期されていた。日本を含めた2、3カ国を国連安保理の常任理事国にしてはどうかという国際議論が盛り上がりつつあった時期でもあった。

  教科書を批判材料にして対日批判行動が予想通り盛り上がった。上海では4月16日、デモ参加者が暴走し、投石などで日本総領事館の一部を破壊した。どの国の政府も領内にある外国の大使館、領事館を警備し、安全を保証する重要な義務があるが、中国政府はこの義務を守れなかった。

  日本人は暴力的な反日デモにショックを受けたが、それ以上に驚いたのが、警備の不手際に関して中国政府が一切謝罪しなかったことだ。この非常識な対応に愕然とした日本人は中国人への認識を改めた。その結果、中国への投資には慎重になり、ベトナムやインドへの投資を増やした。この変化は表面上はゆるやかだったが、後世になれば大きな歴史的転換点として記憶されるかもしれない。

  総領事館の破損に関して中国政府が遺憾の意を表すことさえしなかったのはなぜか。その答えはすでに明らかにしたつもりだ。

  被害者としての立場で、日本の歴史認識を非難するのは中国でなければならないのに、この構造が消し飛んでしまう恐れがあったからだ。いかなる意味でも日本を加害者の立場においておく必要があった中国政府は、どんな小さな謝罪でもすることができなかったのだ。被害者はあくまでも、中国でなければならなかった。

  というわけで、日本人の見解と中国人の見解の対立がなくならない構造がある。
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◆解説◆
  筆者とは少々異なる考えを紹介する。中国の指導層内部でも、対日姿勢は決して「1枚岩」ではないとの見方だ。

  2002年に発足した胡錦濤政権は当初、日本との融和を目指していたとみられる。政権発足の前後から、◆日本の戦争謝罪はすでに十分だ◆日本が再び軍国化する可能性はない◆日本を“普通の経済大国”として認識すべきだ◆対日関係の強化を重視した方が、中国にとって有利――などとする「対日新思考」も、共産党系のメディアなどから発表された。

  一方、胡錦濤派との確執が伝えられる前政権の江沢民派は、かなり露骨な対日強硬路線だった。新政権発足後も江沢民派は大きな勢力を保ち、胡錦濤主席らが目指した外交に反対していた。

  一方、日本では小泉首相が2001年から靖国神社に参拝。その後も、外務省と中国側との水面下の交渉を軽視して、参拝を続けた。江沢民派は胡錦濤主席らを「軟弱姿勢で日本をつけあがらせた」と攻撃すると同時に、民衆の「愛国心」をあおった。そのため胡錦濤政権は、対日強硬姿勢をとらざるをえなくなった――。

  この見方は、中国・中国圏の政治を専門とする清水美和氏が著した『中国が「反日」を捨てる日』(講談社プラスアルファ新書)に詳しい。

  清水氏は現在、東京新聞論説委員。1998年4月15日の胡耀邦氏死去の直後に発生して追悼デモの真相を取材し、「大きな政治運動に発展する可能性あり」と世界に先駆けて報じるなどの実績も多い、ベテラン・ジャーナリストだ。なお、胡耀邦追悼デモは当初さほど目立たなかったが、6月4日に軍が出動した天安門事件に発展した。(編集担当:如月隼人)


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