横浜市港北区新羽町

横浜市北部にある「にっぱ」の町会活動を紹介いたします。
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平成30年度新羽小学校文化スポーツクラブ総会

2018年04月24日 | 地域・学校行事
4月24日(火) 新羽小学校文化スポーツクラブ総会が開催されました。

文化スポーツクラブとは、学校開放事業の一環で、新羽小学校の施設を利用する地域団体、スポーツチーム、文化サークルの代表者で構成する運営組織です。

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10年ほど前から、学校や教育施設での事件事故が発生したことから、こういった開放事業を中止して、防犯設備の導入、警備会社への委託し、厳重な施錠、規則、そして部外者の立ち入りチェックなどで防犯体制を強化する傾向にあります。
しかし、どんなに設備を強化しても、警備体制を強化しても、日常の地域の皆さんの目に勝る防犯はありません。
学校施設を利用させていただく皆さんの目が、学校をそして子供たちの安全と安心を護ることに繋がっています。

「体育の日」を「スポーツの日」に改称する話があるようです。スポーツという外来語が、今ではすっかり日本に馴染んだ言葉になりましたので、体を育むということを包括した、親しみやすい「スポーツ」を使うということだと思います。
ところが、ある新聞記事では「体育は、教育的な押し付けを感じる表現なので」というような理由を挙げていました。残念なことです。日本では、すべての国民にたいする教育を昔から大切にしてきました。

米百俵(こめひゃっぴょう)といえば、戊辰戦争のとき、小林虎三郎は、やってくる官軍に対し、幕府の正当性をしっかりと訴えながら、なおかつ戦わないという独自の非戦論を唱えましたが、長岡藩は戦い、官軍に敗れて14万2700石あった藩の収入は、わずか6分の1の2万4000石に減じられてしまいました。藩士たちは貧窮のどん底に追いやられてしまいます。
あまりの藩内の貧窮ぶりに、藩主の親戚の三根山藩の牧野氏がみかねて、長岡藩に米を百俵送ってくれることになりました。
飢えに苦しむ藩士たちからしてみれば、ひさびさに米にありつけるありがたいことです。
けれど、百俵の米というのは、藩士とその家族の数で頭割りしたら、ひとりあたり、わずか2合程度にしかなりません。
長岡藩の武士たちは、その妻子に至るまで、みな腹を空かせていました。
しかし武士は民のためにあります。戦乱を招き、結果として民にまで苦労をかけている。
二度とそうならないためには、二度と同じことが起こらないようにしっかりとした人材を育成する必要がると​藩の大参事となっていた小林虎三郎は考え、その百俵を元手に、藩に学校を造ろうと提案しました。

時は明治になり、明治政府は日本中の津々浦々に学校を作ることを計画します。しかし、できたばかりの政府には、まったくお金がありません。では、明治政府は一体どうしたのでしょうか。
「全国津々浦々に学校を建設せよ」と日本中に伝えただけした。
それを伝え聞いた者は、誰もが自身で何ができるかを考えました。地域の有力者は土地を提供し、あるいは、資金を提供しました。商人は資材や材料を提供しました。職人は技術を提供しました。村人は労力を提供しました。技術や教養あるものは子どもたちにそれを教えました。そうやって、なんと10年後には日本中津々浦々に小学校が建設されていたのです。このように、日本の教育は、いつの時代も地域と学校が一心同体で育んできました。

この学校開放事業における文化スポーツクラブの皆さんは、学校の施設を利用することで、学校の施設を管理することで設備面での安全を維持し、皆さんの目で子供たちの安全を守ってくださっています。

会 長:大谷正元(PTA会長)
副会長:長澤英雄(利用団体)
副会長:小松賢吉(スポーツ推進委員)
事務局長:豊岡修(青少年指導員)

顧 問:三枝秀明(校長)
顧 問:小野明美(副校長)

会  計:米山茂子
電気料会計:米谷文美代
監  事:和田国紘
理  事:五明貴宏
理  事:神澤 誠
会計監査:宮崎尚子

校庭
体育館管理:堀内 猛
校  庭:金子高之
校  庭:奥山 豊
相 撲 場:吉田恵三
相 撲 場:桜田 聰
運営委員:八幡美佳
運営委員:大谷 直子
運営委員:望月正行
運営委員:佐藤健二
運営委員:平等 登
運営委員:中野明子