リバーリバイバル研究所

川と生き物、そして人間生活との折り合いを研究しています。サツキマス研究会・リュウキュウアユ研究会

群馬VS岐阜

2007-12-18 22:42:01 | アユの12ヶ月 川面からの記録
こんな記事を見つけた。河口堰の対決では長良川は完全に負けている。

県のサカナ アユ asahi.comより

☆テキスト版

VS群馬 群馬再発見

【vs.岐阜】

県の魚 アユ

2007年06月02日

 3月。利根川河口堰(かこうぜき)で今年初めて、アユの遡上(そじょう)が確認された。冬の間を海で過ごしたアユたちは、春を待って川を上り始める。県内の河川では6月以降、解禁日とともにアユ釣りの季節がやってくる。

 アユは89年5月、群馬の「県の魚」と決められた。それに遅れること1カ月半、やはり県の魚にアユを指定したのが、同じ海なし県の岐阜県だ。

 今月11日、岐阜市の長良川では、市の観光の代名詞・鵜飼(うか)いが始まり、観
光客でにぎわった。かがり火に照らされて鵜がアユを追う幻想的な風景を、屋形船から楽しむ。岐阜県内の一部の河川では、同じ日にアユ釣りも解禁になった。

 岐阜県庁には内陸県で唯一という水産課が置かれ、力の入れようがうかがえる。地元のバス会社が発行するICカード「アユカ」には、悠々と泳ぐアユの姿が描かれている。アユの存在感は絶大のようだ。

 岐阜県の05年のアユ漁獲量は460トンで全国3位。昔ながらのブランド力もある。郡上漁協などは現在、「郡上アユ」として地域ブランドを出願中だ。同漁協参事の白滝治郎さん(49)は「姿かたち、味ともに全国に誇れます」。

 一方、群馬県は80年に669トンで全国5位を誇った漁獲量が、03年に32トンにまで落ち込み、05年は56トンで全国31位と、岐阜には水をあけられているのが現状だ。だが、力の入れようでは負けてはいない。

 小寺弘之知事は03年の知事選で、「10年後にアユ漁獲高を300トンにして日本一のアユ生産県にする」と公約。04年には県蚕糸園芸課内に、「ぐんまの魚振興室」が置かれた。翌年から毎夏、利根川で「県民アユ釣り大会」を開くなど、アユのPRに余念がない。

 それでもアユを取り巻く状況は厳しい。冷水病の流行、カワウによる食害や水質の悪化など全国で抱える課題は群馬でも同様だ。

 こうした危機に、立ち上がったのが県内の釣り人たちだった。02年、県に1万7千人を超す陳情署名を提出したのを皮切りに、翌年「日本一のアユを取り戻す会」を結成。アユの釣り人主体の組織の誕生は全国でも例がなかった。04年には県内で全国規模のシンポジウムを開催。事務局長の福田睦夫さん(55)は「ただ大きなアユを釣りたいっていう単純な思いがきっかけ。でも、アユの問題は環境や社会問題ともリンクすることに気がついた」という。

 取り戻す会は05年、利根川のアユにとって大きな関門となっている取水施設「利根大堰」の改善を国土交通省と水資源機構に要望。アユが迷わず3本の魚道を見つけられるよう、水門の開き具合などの調整を実現させた。その効果もあってか、昨年の利根大堰のアユの推定遡上数は観測史上最高の124万尾を記録。今年も、昨年並みに好調の推移をみせているという。

 「釣り人が行政を動かした」。うわさは全国に知れ渡り、会は他県からレクチャーを頼まれるほどだ。

 郡上漁協の白滝さんは「岐阜県の行政にとってもインパクトになったはず」とその功績を認める。取り戻す会を参考に05年、岐阜県内でもアユを見直そうと、釣り人らを集めたNPOができた。

 「課題はまだ山積み」と福田さん。流域に首都圏を抱える利根川での対策は一筋縄ではいかず、「状況は日本一厳しい」という。「でも逆に言えば、利根川のアユを何とかできれば、日本中で何とかなるということ」。群馬での取り組みに、全国の釣り好きが注目している。(伊藤綾)

 
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