リバーリバイバル研究所

川と生き物、そして人間生活との折り合いを研究しています。サツキマス研究会・リュウキュウアユ研究会

戦争の遺跡 

2007-08-18 10:09:18 | アユの12ヶ月 川面からの記録
 こんな施設がこんなところにあったのか!
 グーグルマップで探してみると、果たして飛行場が写っている。
 不思議な気持ちがした。
 飛行場跡



“戦争遺跡”市民で活用を 特攻隊訓練、加西の鶉野飛行場跡(産経新聞) - goo ニュース

☆テキスト版
“戦争遺跡”市民で活用を 特攻隊訓練、加西の鶉野飛行場跡
2007年8月17日(金)16:28

* 産経新聞

 ■国に払い下げ要望、保存求める声も

 第二次大戦中、旧海軍の特攻隊員の訓練基地として使われた兵庫県加西市鶉野(うずらの)町にある鶉野飛行場跡について、同市は市民から跡地利用案を募るなど、国が管理する同飛行場跡の払い下げに向けて動きだした。約1200メートルの滑走路が今もそのままで、当時の面影を残した飛行場跡は全国的にも珍しい「戦争遺跡」。市は来年度にも土地利用計画を策定、国に提出する。市民からは戦争を風化させないためにも保存を求める声も寄せられている。

 鶉野飛行場は総面積約5万4000平方メートル。旧海軍の操縦士養成のための飛行場として昭和17年に着工、100軒を超える民家や学校が立ち退き、突貫工事で翌18年10月に完成した。

 全国各地から予科練生らが集まり、猛訓練に励んだが、戦況が悪化した20年2月、訓練生らによる特攻隊「白鷺(しらさぎ)隊」が編成され、63人が沖縄の海に命を散らした。

 同飛行場の情報は軍事機密で、白鷺隊の存在も当然極秘だった。そのため、戦後になっても隊の存在や飛行場の歴史を知る人は少なかったが、戦史研究家、上谷昭夫さん(68)=同県高砂市=が特攻隊員の遺族や住民らと「鶉野平和祈念の碑苑保存会」を結成し、平成11年に特攻隊員の名前や部隊名などを刻んだ碑を滑走路わきに建立している。

 近年はほとんど使用されておらず、加西市は長年、管理する国に払い下げを要望してきた。このほど防衛省から「具体的な跡地利用計画があるなら払い下げを検討したい」との回答が得られたことから、払い下げが現実味を帯び、市は具体的に跡地利用を検討することにした。市民からアイデアを募り、来年度にも土地利用計画を練り上げる予定だ。

 飛行場跡には長さ約1200メートル、幅約45メートルのコンクリート製の滑走路のほか、対空機銃座跡や飛行機を敵機から隠すための掩体壕(えんたいごう)、特攻隊員が別れの杯を交わしたというエプロンなども残っている。神戸大地域連携推進室の佐々木和子研究員(近現代史)は「当時のままの滑走路や周辺にも関連施設が残っているのは全国的にも珍しい。文化財としての価値があるのでは」と話している。
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