新潟久紀ブログ版retrospective

新潟独り暮らし時代42「鈴木辰治ゼミの一年目(その2)」

●鈴木辰治ゼミの一年目(その2)

 昭和60年度に新潟大学経済学部3年生となって私が参加した鈴木辰治教授のゼミは、先輩からの前評判どおりで、よく言えば「学生の主体性を重んじる」であり悪く言えば「放任」であった。教授が前年にドイツの大学での客員教授となって不在であったため、昨年度のゼミ員がおらず、新3年生の我々12人のみだったこともあり、何をどう進めて良いのやら、ゼミ長となった私も皆目見当がつかなかった。
 教授の研究室に赴いてヒントをもらおうにも教授は著書の執筆に忙しく「悪いけどこんなの参考にして」と過去のゼミの諸先輩達がとりまとめたガリ版刷りの冊子「ドラゴン(辰)」(というタイトルだったと思う)を渡してくれるのみ。これと、最初に参考として渡された数冊の図書を各々で読み解きながら、ゼミとして何らかの成果を残す必要があるだろうから、課題設定をして議論し、年度末に向けてレポートのようなものにまとめようかと考えた。
 情報通のゼミ員に聞くと、他のゼミでは古典的な経済学説を読みながら皆でああでもないこうでもないと言い合ってみたり、教授からの講義を受けて経済の真理を探るべく議論をしたりと、担当教授が構築したカリキュラムのような筋立てに基づいてゼミを展開していたようである。
 他のゼミのしっかりと形付いた進め方をうらやましがる者もいたが、私は気にしなかった。レポートでも論文でも単位に必要とあらば、求められる要件で指定の期限までに書き上げてみせられると考えていたので、放っておいてもらった方が良かったのだ。その過剰なほどの自信は、サークル活動で厳しい日程の下で同人誌を編纂して出版したり、各種バイトで揉まれてきた経験の表れであった。
 週一回のゼミでは、参考図書に項目立てして記されていた組織経営上の論点について、より効率的で効果的に企業の経営組織を運営するためにどんな課題にどう対応すべきなのかを議論してみた。図書の内容そのものは例の「ホーソン実験」といった戦前の西洋における工場での労務管理の研究を記したもので、産業のソフト化が進む1980年代の日本に学ぶ我々には遠い世界の話のようだというのがゼミ員の印象だった。
 しかしながら、そんな今時学生の思いを分からない教授ではあるまいとも私は考えていた。私自身は、高校生の時分に実家近くの世界規模で金属部品を製造する工場にてバイトしていた経験があり、いわゆるブルーカラーの雰囲気を体感していたし、生身の人間が汗と油にまみれるような仕事こそ、どのような労働においても通じる重要な何かを会得できるものと信じているところがあった。教授は何年も前に出版された一見古めかしいベーシックを敢えてなぞらせて、現代の労務管理の真理を自分の頭で見出せと促しているのかもしれない。
 少しうがち過ぎなのかもしれないが、私は半ば空想にふけるように組織経営論というものを自問自答しながら、学生ならではの自由な時間において果てしなく考えを掘り下げていった。今から振り返っても、あれほど外界から邪魔をされず制約を受けずに物事を考えてみたという経験は希少だ。就職して激務で泣きそうなくらいに切羽詰まった時でも、どこか落ち着いて自分を客観視して考えてみる、いつでも自身の内に逃げを打てる空間がある、そんな心持ちができるのは、大学時代の思索のおかげのように思えるのだ。

(「新潟独り暮らし時代42「鈴木辰治ゼミの一年目(その2)」」終わり。仕事遍歴を少し離れた独り暮らし時代の思い出話「新潟独り暮らし時代43「鈴木辰治ゼミの一年目(その3)」」に続きます。)
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