新潟久紀ブログ版retrospective

新潟独り暮らし時代32「学業は燃えていたか(その3)」

●学業は燃えていたか(その3)

 試験課題への回答は、例に漏れず真面目な学友からノートを借りて、教授の講義のポイントを押さえた上で論述したものであり、論理展開は立派なものだと自画自賛する自信作であったはず。ちなみにノートを貸してくれた学友に聞くと、評価段階の「優」「良」「可」「不可」の「良」だったとのこと。手元資料が同じならなおさら評価の違いが腑に落ちない。我ながら極めて身勝手にも、評価の因果関係に乏しい外形的な状況証拠が同じことまで引き合いにして憤ったのだ。
 怖い物知らずだった私は、「このまま泣き寝入りできるものか」、というよりも、「これは何かの間違いではないか」と真面目に思い込んで、成績表をもらった次の日の夜、なんと当該の教授に直接電話で問い質すという愚行に及んだ。
 携帯電話はもとよりアパートの自室に固定電話も無い貧乏学生時代。夜風も冷たい中でアパートの共用のピンク電話の受話器からは、初老の教授のしおれたような声で「貴方は不可で間違いないですよ」と伝えられた。良や可ならまだしも不可ということに若いプライドを傷つけられたことが結局のところ本当のところだったと思うが、私はあくまでも感情的ではなく理屈で腑に落ちないという主張を長々と繰り返し、評価を差し替えていただいてもいいんですよといった趣旨まで繰り出した。恥を知らないとはこういう事だと思う。教授は身の程をわきまえない学生に激高しても当然だったのだが、たまにこういう勘違いした生徒がいるんだよなーといったような、ため息交じりのようでいて穏やかな口調で、しかし毅然と、「評価は変わりませんよ」と言って不可の理由を極めて概括的ではあるが応答してくれた。
 この一件は、思い返せば恥ずかしいばかりなのだが、一方で良くも悪くもぶつかってくる若い学生のその勢いあるベクトルを、やる気へと変向させてくれるような対応がほしかったなあとも思う。当時の新潟大学においては退官間近の教授が意図を持って集められているかの様相で、長く座して年々強固さ増していく彼らの諦観の念のような空気に、毎年新たに流れ込んでくる学生達の新鮮な勢いがいなされては枯れていくような印象を感じていたのは、私だけではなかったと思う。
 そんな訳で、私は経済学部生だというのに「経済学」の単位を卒業まで遂に取らなかった。プライドを大いに傷つけられた私はもう二度と履修してやるかと頑固だったのだ。実際、卒業要件となる単位取得の範囲と数は3年生で実質クリアした状況であり問題は生じなかった。ただ、県庁に就職して4年目に、福祉事務所に配属された時に、資格試験を受けずとも一定の要件で文系大学の学位をもって付与される「社会福祉主事」の手続きをしていた時に、庶務担当から「経済学部卒なのにこの要件に当てはまる経済学を取っていないんですね」と不思議がられた時は、苦笑いだった。他の単位の組み合わせで要件はクリアできたので、何とか文系大学卒の対面は保てて安堵したことを覚えている。

(「新潟独り暮らし時代32「学業は燃えていたか(その3)」」終わり。仕事遍歴を少し離れた独り暮らし時代の思い出話「新潟独り暮らし時代33「学業は燃えていたか(その4)」」に続きます。)
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