●昭和の修学旅行は京都と奈良(その1)
~柏崎駅6:19、長岡駅、上野駅、東京駅、京都駅15:05~
~柏崎駅6:19、長岡駅、上野駅、東京駅、京都駅15:05~
柏崎市立第二中学校での3年間において最大のイベントといえば昭和59(1979)年5月の修学旅行であったに違いない。
義務教育最終年の幕開けを意識付けられ、遠い地域の風土や人々と触れ合うことは、同じ学年の生徒達にとって少なからず、これから具体化する卒業後の進路を考えさせるエポックになったであろう。
ところが、私自身といえば、この二泊三日にも及ぶ行程を殆ど覚えていないのだ。行った先での断片的な印象すらも鮮明には中々思い出せない。不思議なことだ。
そんなある日、実家の納戸を整理整頓している時に、中学時代の修学旅行の思い出を三年生一人ひとりが行く先々の箇所を分担し合って短い作文で綴る「リレー作文集」なるものが"発掘"された。
『「春の都」修学旅行リレー作文集、京都・奈良1979.5.8~10/柏崎市立第2中学校第3学年』[非売品]で書き綴られているのは、4つのクラスごとに三日間の行程の順を追って各々で観た施設等の印象や感想など。それらを眺めながら、私なりの記憶を呼び覚まし、なぜ思い出せることが少ないのかも含めて振り返ってみたい。
昭和59年5月8日。早朝の5:40分が柏崎駅での集合時間だった。当時の自宅から駅は遠かったので出勤前の父親の車で送ってもらったと思う。教室での授業から解き放たれて、しかも遠く関西にまで長旅に出られるとなれば、今から思えばどれほど嬉しかったかと考えがちだが、駅前に到着して半ば集まり始めていた生徒達に加わった時に晴れ晴れとしていたという印象がない。「リレー作文集」を読んで、その一因なのは小雨で肌寒くどんよりとした天気だったことを思い出した。幸先よくないなと感じていたのかもしれない。
先ずは柏崎駅から京都駅まで、といえば、今では長岡駅から新幹線乗り継ぎで5時間程度ということになろうが、新幹線が未開通の当時は、長岡駅まで20分、在来特急「とき」に乗り換えて上野駅まで4時間弱、山手線で東京駅に行き、新幹線で京都駅まで4時間弱という行程だった。
上越新幹線が未開通だったとはいえ、10時間近くかけてというのは今から思えばクレイジーにすら感じる。昭和の当時で柏崎市在住の中学生といえば、経済的な事情のみでなく土日も部活があったりで、県外旅行を慣れた者は多くなかったし、なによりも車中で喋ったり遊んでいれば時間はあっという間なので、長い乗車も苦にならなかったと思うのだが、引率の教諭方はよくぞ耐えられたものだと感心する。私なら音を上げるに違いない。
小学校の修学旅行は福島県会津地方だったし、当時は東京に親戚などもなく、小学校3年生の時に急に思い立った父に連れられて母、兄とともに上野に一泊で来て以来の実に6年ぶりの東京なのであった。その当時は訳も分からず親について回り、東京タワーやモノレールで羽田空港やらを観たことと、上野駅の玄関口の片隅に寄せてあったボロ毛布がモサモサと動くのを見て「野良犬でもいるのか」と親に問うと「乞食だよ」と言われ、初めて見る実際のその姿に衝撃を受けたことくらいしか印象に残らなかった。
この時の上京では、少し成長して辺りを洞察する余裕があったので、埼玉の県境を超えて都心に向かうあたりから、私は車窓を通じて街並みが混み合い始めるのを興味深く見ていたようだ。狭いところにぎゅうぎゅう詰めの家屋が立ち並ぶ姿に、都会は窮屈そうで嫌だなあなどと思いながら。その後、大学やその卒業後の進路を考える時に東京暮らしを劣後に考えがちになる原因は、案外幼い日のこんな印象に根差しているのかもしれない。
東京駅では、一部の男子生徒などに盛り上がりが見えた。初めて新幹線の実車両を目の前にして、それに乗り込めるからだ。ただ、我々が生まれた頃に運転開始して15年近くのそれは間近で見ると年季が入って煤けてさえ見える。ピカピカを予想していた向きには少しがっかりだっただろう。それでも、車外で待つ間に内部の清掃の風景、特に座椅子の回転が在来特急「とき」より速いことなどに感心する”通”な生徒もいたようだ。
初めて体験する新幹線の時速200km超えや、車窓を小雨が横に伝う中で富士山が見えるかどうかなどを気にする者は少なく、私もトランプなどに興じ続けていたと思う。思い返せば、トランプ、花札、マンガ本などの持参はなんでもアリだった。長い移動時間を配慮してのことだろう。平日の昼間にはありえない遊興に皆が騒いでいる間に、なんの情緒もなく、私にとって初めての京都駅に着いたのだった。
(「柏崎中学生時代17「昭和の修学旅行は京都と奈良(その1)」」終わり。「柏崎中学生時代18「昭和の修学旅行は京都と奈良(その2)」」に続きます。)
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↓柏崎市立第二中学校の修学旅行作文集。よくぞ保管していたものだ。

