新潟久紀ブログ版retrospective

農政企画5-2「驚愕の"3ジャンプ"運動とマンガリーフレット自作」編(2/2)

●驚愕の"3ジャンプ"運動とマンガリーフレット自作(その2)
 イラストや作画を真面目に習ったことなど無く、学生時代に少し自費出版誌の制作に関わり落書きに近いマンガを描いた程度で、甚だ恥ずかしいものであったが、お金の無い中で自分でやれる事を全力でやるしかない。当時はパソコンも普及する以前で、作画ソフトなども無く、紙への手書きだ。リーフレットとして外向けに配って恥ずかしくない程度として、スーパーマーケットの新聞折り込み広告のような、ツルツルの紙に二色の濃淡を使えるくらいの印刷費用は確保できたので、線画も鉛筆やボールペンという訳にはいかない。庶務担当に頼んで製図用筆記具である"ロトリング"を太さ数種類分など買ってもらい、10年ぶりくらいの作画に臨んだ。
 「魅力ある農業経営の実現を支援します!!~夢の地域農業実現を目指して…新潟県スリージャンプ運動開始!~」と題し、農業経営基盤強化促進法等に基づく農業者育成支援の各種施策とその推進について、イラストでテンポ良く紹介していくリーフレットは、テキスト原案からイラストまで全て自分一人きりで制作した。係員が少なく皆忙しかったこともあったが、良い意味で係で只一人の事務屋としての独立性を尊重してくれていたことが効いたようだ。もちろん、誤りの指摘や良い物とするための助言は係内外から頂きながらである。一週間で原稿が仕上がり、さらに一週間後には折りたたみでのA4判縦8ページ青黒二色刷のリーフレットが10000部仕上がった。
 「3つのジャンプでスリージャンプか…。スリーというのが少し洒落こいていて堅い印象だなあ。田舎の父ちゃん母ちゃんには"サン"ジャンプと言う方がいいかもなあ」などと、完成したリーフレットを受け取った課長補佐は、いつものように色々とつぶやいて見せたが、思い起こしたように私に話し続けた。「ところで、先日、大型小売店に行った時に、フロア案内図に"サンデーコーナー"と記してあったんだけど、事務屋のあんたには何のことか分かる?」。そこからはやり取りだ。
私は「"日曜に催し物をするスペース"という意味では」。
課長補佐「ステージが有るわけでは無さそうなんだわ…」。
私「アイスクリームにチョコやらトッピングした"サンデー"を売る場所では」。
課長補佐「食べるような場所では無いんだわ…」
私「ほな、どんな字づらでした。カタカナでっか」と思わず大阪弁。
課長補佐「数字の3とアルファベットのDで"サンデー"やって」。
私「それ言うなら"スリーディー"ですわ。立体映像のコーナーですやん」。
しまいには吉本の"ミルクボーイ"並の掛け合いにて…チャンチャン。
 一回限り一点物のリーフレットでは、ましてや素人制作のものでは、注目度も低いし直ぐに日々の書類等に埋没して忘れられてしまうだろう。そこで私は企画当初から、リーフレットを連載マンガのように順次制作して定期的に発行することとし、そうした"動き"を見せる展開により話題となると共に趣旨が次第に広まり浸透していくことを狙うこととしていた。
 それまで、国が現場向けに発出するものと言えば、役所言葉がつらなった通知や資料が殆どであり、現代のようにビジュアル重視でなかったことが逆に幸いして、私の制作したリーフレットはマンガが"目休め"になるとのお褒め?を頂いたことも。活字ばかりの書類や写真を用いた印刷物の中で、"下手くそなマンガ"でもそれなりに印象を残せたと思う。
 次第に、リーフレットを見た市町村の役場や農業委員会から、農業経営基盤強化関連制度の説明者として来て欲しいと呼んで頂いたりもするようになった。随分前から取り組まれていた割には遅遅としていた農地流動化の促進対策において、事務屋の末席主事ごときが講師として呼ばれることは大変珍しいことで、自作のリーフレットがそれなりに地域農業の現場にインパクトを与え、普及啓発に寄与していると実感できた。
 自作マンガリーフレットは、「3部作」として平成7年中に半年ほどかけて順次発行し、さらに調子に乗ってその「総集編」を書き下ろしマンガも加えて制作して、農業関係者にくまなく配布。さらに翌年、「帰ってきた新潟県スリージャンプ運動'96」を新規に制作して、継続性やダイナミズムをもって取組を発信し続けた。
 私は上司から随分と裁量を任せてもらえた中で独自色を持って仕事を展開できて、一人の職員として課題への対応にあたり一定程度の"爪痕"は残せたのだと自負するところがある。しかしバブル崩壊後の経済の低迷や諸情勢の停滞、地価の下落等の中で、外国産ミニマムアクセス米が実態として思ったほど脅威にならない事なども相まって、農業を取り巻く環境のダイナミズムも少し足踏みとなり、農地流動化による農業経営改善の動きは、少なくともデータ上は、"ジャンプ・ジャンプ・ジャンプ"とはいかなかったのは残念であった。
 「構造政策」に強く興味を持つも、国の政策推進の手下のような立場と膨大な事務量に辟易とし、それでも自分ならではの仕事を心掛けて面白く楽しいものにしていく…。そうこうしている間に在職は4年が経ち、「まだまだこの職場で事務屋としてやれることがある」と思いつつも、自分の年頃や在職年数だとそろそろかも…と考えている頃合いにやはり、県職員になって3回目の異動内示は出た。次は「総務部人事課」。しかも内示表を見て驚いたことに、配属先が聞いたことも無い「行政システム改革班」と記されている。またしても感じる不穏な気配に「毎度とは言え私の職業人生はいつも前途多難だな」と思うのであった。

(「農政企画5-2「驚愕の"3ジャンプ"運動とリーフレット自作」編(2/2)」終わり。番外エピソード短編として、集農政企画課6「定着!!早起き習慣・昼食早食い習慣」編へ続きます。)

☆農政企画課勤務時代に自作したマンガリーフレットもご笑覧ください。
☆ツイッターで平日ほぼ毎日の昼休みにつぶやき続けてます。
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