新潟久紀ブログ版retrospective

活かすぜ羽越本線100年16「新発田駅以北・私の提案(その1)」

■JR羽越本線100年を機に新発田地域の振興を考えます。
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◆新発田駅以北・私の提案(その1)

 JR東日本のローカル鉄道である羽越本線が、私の勤務する新発田地域振興局の所管区域を正に縦貫していることから、令和6年に全線開通100周年を迎えることを機に、沿線の地域資源などを絡めて鉄路の活かし方を考える中で、その利用増と地域の活性化に結び付けられないかと考え、管内の各駅と沿線を視察してきた。
 丁度中心に位置する「新発田駅」を挟んで、「南側」の鉄路は広大な稲作田園地帯の真ん中を走り抜けるようなロケーションであったので、「新発田駅以南」という括りで独善的ながらも農業振興を切り口にして鉄路や駅の活かし方を先行的に取りまとめてみたところだ。
  ※「新発田駅以南」編はこちら
 もう一方の「新発田駅以北」は、沿線を見て回るとやはり想像通り「以南」とは大きま異なる状況であって、現代の車社会における日本海側の大動脈である国道7号とほぼ並行する形の鉄路が、数キロごとに散在する農村らしい”小集落たち”と駅周辺に二次三次産業従事が生計の柱と思しき”住宅の小規模のまとまり”をネットする駅を擁していて、パークアンドライドの駐車に見られるような正に都市部へ通じる玄関口の役割を果たしているような雰囲気だった。
 自然と口を衝いた「玄関口」という言葉に我ながらハッとする。勝手な受け止めなのであるが、新発田駅「以南」の無人駅たちは、田圃のど真ん中で直ぐに農作業が始められそうな立地と少々汚れても気にならない駅舎の簡素さと古さなどから、農業の構造改善のための作業とか労力を呼び込むための現場農地における乗降口という、ある種の良い意味での泥くささをイメージするものであったのに対し、新発田駅「以北」の駅は、住宅地から車で乗り付けて都市部と行き来することが主であるかのような、幹線道路に近い立地と駅前の駐車に適した広めの敷地から、逆に都市部から人を呼び込んだときに駅を起点にして地域内各所へと誘導するための「玄関口」であるかのように直感したのだ。
 「中条駅」のように都市部を始めあらゆる方面からのウエルカムゲートに相応しい設えの駅舎や施設を見たことにも影響を受けているのかもしれない。
 それでは、「以北」にはどのような誘因で人々を、しかも鉄路を使わせて、呼び込んだらよいのか。視察で巡った現場を思い出しながらアイデアを捻りだしてみよう。
 新発田駅近くにある私の職場の新発田地域振興局を乗用車で出発してからというもの、新発田駅以北の羽越本線の鉄路は国道7号と並走していたので、車窓から左手となる西側、日本海側を眺めながら、ほぼ4kmほどの長い区間を殆ど隣り合うように近接しているレールと道路敷地を活かして何かの技術の実証や試験などのフィールドに出来ないものかなどと、暫くはぼんやり考えていたものだ。
 新幹線などは新型車両の試験走行時に、全線が高架で安定していて直線区間も長くデータなども取りやすいからなのか、上越新幹線の鉄路をよく使うという話を聴いたことがある。羽越本線と国道7号の近接並行区間も、お互いに何かの実験などを行うに際して、並走しながら監視したりデータを取ったりなどには好都合だろう。ただ、それには4km区間というのは短いか。
 定時で走る鉄路と大動脈として車の流れが殆ど途絶えることのない一桁番号国道ということで考えるとどうか。雪国といわれる新潟県においては、温暖化によりすっかり暖冬小雪が基調になった近年なのであるが、一方で日替わりの様に寒暖差が大きくなったし、短時間で局地的に豪雪が降る「ドカ雪」に見舞われることも頻繁になった。
 令和4年にドカ雪による長時間に及ぶ車の立往生で全国的にも有名になった柏崎市では、路肩に並べたポールからの熱源照射による融雪の実証試験が登坂道路で行われているようだが、その電源そのものに列車の運行による回生エネルギーの蓄電を活かすということで、エコな電力循環による車道融雪の実証実験場として、この鉄路と国道の近接並行4kmが活かせるのではないか。そうすると幾ばくかの資金や人員がこの地に投下されるのではないか…などと運転しながら"都合の良い夢物語"も妄想したものだ。
 しかし、仮にそんなアイデアが具体化するにしても候補地の競争が起きれば、もっとロケーション的に有意だったり抗しがいのある厳しい自然環境だったりする地があるに違いない。標準化できたり代替化できるプランは、特に実験的な位置づけともなれば、実施されたとしても所詮は何処でも良かった中での選択肢でしかなかったという言い訳が残り続け、結果して”文化”のようにその地に根を下ろすようになることは望めまい。
 発意にあたっては"初心"に返らねばならない。
 代替の利かないこの地域ならではの資源や環境を活かす事柄であって、しかも、同時一斉でなく、ばらけたとしても、延べにして比較的大勢の人々が、発着時間が決まっていて移動中もあまり裁量の利かない列車に乗るという方法を選択して、新発田地域にやってくるようなアイデアが必要なのだ。
 鉄路のある左側を見やりがちだった私は、正面に直ったあと、凝りをほぐすように首を右側に向けてみる。新発田地域振興局を出て直ぐの加治川に架かる国道7号「加治大橋」を渡って以来、殆ど無意識だったが、左側に並走する鉄路と同様に、右側は豊かな緑の木々が茂る里山のような、少し懐かしみを感じさせるような、広い空を大きく遮らずに圧迫感を与えない高さが安定してずっと続く景色と共に車を走らせていたことにようやく気が付いた。
 山景色でありながら国道が走る麓沿いにおいても覆いかぶさるような威圧感を与えず、この何とも言えない親しみや心地よさを感じさせるのは「櫛形山脈」ではないかと改めて意識する。新発田駅以北の沿線とは、国道7号との並走であり、また、正に櫛形山脈の山裾を伝うような道筋なのだ。うかつにも現場を走って今更ながら気づく。昨年4月の着任以来、現地視察などは公用車に乗せてもらって移動したので、地図で理解していてもこの魅力的な山裾についてしみじみと眺めて考えることが無かったのだ。
 「櫛形山脈」というキーワードは同時に「日本一低い山脈」というフレーズを頭に浮かばせる。そして、「コロナ禍でのレジャー志向の変化も背景に、ハイキング感覚で登れる低山が人気」といった昨今の新聞記事や、スパルタンなスタイルでの、まるまる終日を山中で持参する食料のみで費やすような、高山登りとは異なり、ゆるいハイキング感覚登山は、前後の平地滞在の時間における地元での飲食や買い物の需要が見込め、目的地となる高みにおいても公園に近い感覚なので、バーベキューなどの商品需要があると側聞したことなども続けて頭を巡る。
 日本一低い山脈という唯一無二のアイデンティティと、麓で地酒も楽しむということになれば公共交通機関の利用ということになるという"鉄道活用の論理"を繋げて考えると面白いのでは。俄然アイデアを掘り下げてみたくなってきたのだ。

(「活かすぜ羽越本線100年16「新発田駅以北・私の提案(その1)」」終わります。「活かすぜ羽越本線100年17「新発田駅以北・私の提案(その2)」」に続きます。)
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