新潟久紀ブログ版retrospective

仕事観の形成と就職するまで編3「世論調査員・家庭教師」

<仕事観の形成と就職するまで編3>--------------------
●大学での生活費稼ぎのバイトが仕事観を刺激

 両親は共働きであったが、各々高給取りというほどではなく、私は公立高校を出て国立大学に進学したとはいえ、実兄も同ルートで就学していたので、2人目ともなると仕送りはなかなか厳しく、物価高が進んでいるにも関わらず6年も前の兄への送金額と同額でアパート暮らしをやれということだった。
 よって、1年生からアルバイトを探すこととなる。ウエブのバイト情報など無い時代。大学の事務室前の掲示板に張り出されるアルバイト募集のチラシが大学もお墨付き?の正規ルート案件となるが、単価や条件など"旨味の強い"バイト情報は、やはり口コミや人づてが最有力の時代であった。情報元となる先輩と数多く交流機会を増やすため、手っ取り早いのがサークル活動に入ることになる。
 当時、最も条件の良いバイトは家庭教師であり、ついこの間まで受験で使い込んできた頭脳一つだけで時給換算数千円が得られる。それは、属人的に信頼を得て長く家庭教師に就いていた大学生から、彼が就活等で引退する際に紹介して貰って引き継ぐということがベストのパターンだった。サークル活動は4年生でも続けている人が多く、好条件のバイトの引き継ぎをマッチングする上でも良い舞台なのだ。

●新聞世論調査員
 新入り一年生の春先ということでは、好条件の家庭教師の引き継ぎの話はさすがに無い。先ずは先輩達からバイトを紹介してもらえる候補者として信頼を得るため、単発のバイトをきちんと誠実に積み重ねる姿を見せる必要がある。新入学早々の5月の連休に最初に請け負ったのが、全国紙のA新聞社の「世論調査アンケート」だ。
 現代のように、機械的に抽出した相手に電話で順次聴いてデジタル処理する以前のアナログ時代。新潟県内の中山間地域の町村を分担して、指定されたリストの各戸を訪問し、アンケート項目を住人から順次聞き書きしていく。山あいの村などは家に居るのが大抵は年寄りで、押し売りや怪しいモノでは無いことを解って貰ってから、質問項目も大声でゆっくり伝えたりしていくので、一軒終えるのに結構時間が掛かる。
 3日ほど掛けて原付バイクで数十戸を回り、新潟市内のA新聞社支社に提出する。"上がり"は10,000円程度。面談して話を聴きながらメモを取る作業には面白いところもあるが、時間と労力の掛け方に我慢ができないと思える仕事だなあ…。高校時代の鉄工所のアルバイトに続いて、自分にとって仕事の向き不向きをおぼろげに意識できたという点では有意義であった。
 考えてみれば、進学主体の普通高校で受験勉強に注力する中で、随分と視野狭窄になり社会との関係も狭くなっていて、大学で勉強した先の出口となる仕事について、何をしたいか目指すのかということが全く空白になっていた。生活費を稼ぐというのが第一義であるが、就職してしまう前に、できるだけ多様なアルバイト経験をしてみた方が良いな…と思うようになったものだ。

●家庭教師
 30数年前は、今のように中高生向けの進学塾が随所でしのぎを削り合う時代ではなく、新潟市あたりでは新潟大学の学生を子供の家庭教師に付ける家庭が結構見受けられた。サークルで知り合った4年生の卒業後に際して中学3年生男子の家庭教師を引き継げた私は、一回2時間で月二回ほど1年間、数学を中心に勉強を見てあげた。
 中学生程度の家庭教師はそれほど面倒ではなく、偉そうに知見を披露できる一方で時間単価も最高水準で、予想どおりバイトとしては申し分なかった。ただ、上から目線で教えるスタイルが、どうにも自分の中でむず痒いというか"座りが悪い"のだ。
 大学への進学者が高校卒業生に占める割合が3割程度の当時、勉強好きの行く末として学校の先生になりたいという学友も多かったが、もともと子供時代から仕事人生までの生涯を、ほぼ学校の中だけの世界で暮らすことに抵抗感を感じていた私は、子供に教える仕事そのものが向いてないなと確信できたものだ。

(「仕事観の形成と就職するまで編3」終わり。「仕事観の形成と就職するまで編4「喫茶店ウエイター」」に続きます。)
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