昨年の12月から近所の保育園建設問題にかかわり,この2ヶ月間色々と勉強させて頂いた。
私立幼稚園に勤め、保育園・幼保園の経験もあったのに、どのようにして保育園が認可・選定されていくかということを今まで知らなかった。
今回の場合、12月に保育園運営業者からの挨拶があり、たまたま庭を掃除していたノブリンが対応した。私もノブリンからそれを聞いてもそのときはよくわからず、なんとなく聞き流してしまっていた。それからしばらくして、「そういえば、保育園どこにできるの?出入口はどこなの?」と気になり、業者から渡されたチラシをきちんと確認し、これはへんだ、と気が付いた。
ノブリンは、区役所に電話して問い合わせをしたけど、「まだ決まってません。安心してください」「決まってから、お話します」との対応でらちがあかない。決まってからでは、遅い。決まる前にアクションしないと。
私は、区役所の保育園選定と運営事業者について調べた。
区が、
「令和3年4月1日開設認可保育園の整備に係わる提案書募集」を12月に掲げておりそれに対して運営業者として応募する。ある意味補助金事業だ。待機児童に困っているから、
補助金がすごい。区としては、対策としてやってます!成果をだします!という感じにしないとだ。
これを熟読した。
「土地・施設所有者の資産活用の選択肢の1つとして保育事業を考えているといった時点での提案はお断りします」
とあるけど、たぶん建前だ。みんな利を求めて募集する。本当に待機児童解消したいのなら、無認可で私財を投げうってやればいい。生活できなければ困るけど、私は保育の仕事に過剰な利は求めなかった。
区の保育事業予算は、年間202億。保護者の方々の保育料11.7% 国・都負担が21.5% 私たち区民の税金が66.8%。
ノブリンが対応したときに、「認可保育所の開園計画に関するご挨拶」という簡単なチラシを渡された。東京・千葉・大阪に幅広く保育施設・介護施設を運営してる株式会社だ。創業13年あまりの急成長している会社。「待機児童ビジネス」だ。新しい保育園をたくさんつくり、保育者・施設長(園長)をだいだい的に募集している。HPはよくつくられているし、今風だ。保育内容もなかなか魅力的(派手)である。「主体性を引き出す学びメソッド」「IQパズルの学習プログラム」「ベネッセの英語教室」「食育」「運動プログラム」「オリジナル遊具」。
今どきの保護者の方々は、こういうのを喜ぶのだろう。私は、ちょっとついていけない。本当の意味の保育内容が見えない。
ちょっと、私の勤めていた幼稚園のHPを見てみた。地味。まぁ、アットホームといえば、アットホームなのか。でも嘘がない。(ひいき目があるかもだけど)創立70年という重みがある。私はこういう重みが好き。
ここの会社は、土地所有者に土地所有者名義で保育園を建ててもらい、賃貸料を払い運営していくというシステム。近くにこの会社の今年4月開園の保育所があるので、建設を見に行った。どこにも「保育園建設」とはない。土地所有者の名前で、「〇〇様邸 新築工事」とあった。ここの地域住民にも十分な説明はないのではと思われる。保育園ができてからなんらかの問題が起こるのでは?と危惧されるような、運営システムだ。
レオパレス方式?こういったやり方があるのだろうけど、こういうのはあまり好きじゃない。保育園をやりたいのなら、やりたい運営業者自分のお金を出して土地を買ってそこでやったほうがいい。
ノブリンは、この運営業者のチラシを持って近所の人に「こういう話があるの知ってますか?」とノブリンが説明していたけど、ほとんどの人が「知らない」とびっくりしていた。「区の説明はないのか?」と言っていたそうだ。
運営業者の方は、はたしてどのぐらいの人にお会いし、説明したのだろうか?チラシをポスティングしただけなのだろうか?
地域住民の反対を恐れ、こういう説明はおざなりで形だけで、決まってからの説明、と考えているようだ。このことが今回の事態を大きくした要因のひとつでもある。
区の言い分は、選定前の住民への説明は、運営業者に任せる
、選定されたら、区も運営業者と一緒に住民へ理解・協力を求めていく、という方針だ。
ということは、やはり運営業者は報告として、「住民への説明はやりました」と言えばいいだけで、おざなりになりがちだ。区は運営業者を信じるしかないし、それじゃあ、地域住民は意向はどうなんだ、ということになる。
私は、運営業者・区役所・土地所有者への意見書を提出した。運営業者は、会社まで行き手渡した。区役所にも足を運んだ。
ノブリン・近所の方(2名)と運営業者の方との話し合いが行われた。その時に保育園の平面図を頂いた。
平面図が、すごい。優しさがない。土地所有者本位で近隣の方のことを思いやっていない。土地所有者の土地は広い。2つの道路に囲まれているのも関わらず、「2か所2方向」の避難経路がとれるのに、無理やり「1か所2方向」で、無理やりの10mである。不自然だ。
指定された条件を満たしていたらいいというものではないはずだ。「反対」されないような「思いやり」のあるものでなければ。
2度目の話し合いは、私も参加し、土地所有者の方もいらっしゃった。保育園に隣接している高齢者の方が、土地所有者の方に「私たちの生活はどうなるのか」とお怒りになられ「ただ、謝るしかない」と30代と思われる土地所有者の方は、土下座。久しぶりに嫌なものを見た。話してもむだ、とお隣の高齢者の方はお怒りになり帰られてしまった。
大義名分の「待機児童解消」。待機児童問題は、重々承知している。解消すべきだと思っている。だけど、どんな保育園でもいい、というわけではない。私が今までかかわってきた保育がビジネスになっているのが嫌だった。保育だから、私の意見が通じるのかと思っていたら、違った。びっくりした。保育じゃない、ビジネスだ。
私は、運営業者の会社、保育園を調べ資料も用意していたけど、運営業者の方は資料を用意していなかった。彼が会社説明、保育園の説明をし、嘘でもいいから、「いい保育してます!」と言って欲しかった。
保育に関するお話はまったくなかった。
無駄だと思ったけど、私は「平面図に優しさがない」「この保育園の保育方針の
、周りの人との関係を築く・周りの人の力になれる・周りの人に応援されるというのがここで見えません。ここでできないことを子どもに伝えることはできません」との意見だけは言ってみた。
「待機児童解消」という「ビジネス」に手を出すのなら、まず、小さな身の回りのことをきちんとできないとだめだ。
自分自身が人との関係、地域住民との関係を築けなくっちゃ。
すごいことに、この土地所有者は本家であり、分家である親戚の家も保育園に隣接するので、親戚同士での対立になってしまっている。またお怒りになって帰ってしまった高齢者の方は、土地所有者からの借地という関係で、なおさら、土地所有者の傲慢さが目立ってしまったような気がした。土地所有者の方のお母さまは、ここにお住まいだけどその息子である土地所有者の方は、ここにお住まいでないのでよけい誠意が伝わらない。
うちの近所は、高齢者が多い。隣接しているMさんはひとり暮らしで今は施設に入られている。今月末にはまた戻ってこられるようだ。建設予定の前のお宅も一人暮らしの高齢者だ。
1月になり、私は個人的に再度意見書を土地所有者の方・運営会社に提出し、区役所にも足を運び、担当者と話した。このときすでに手応えは感じていた。
「住民の反対があったらできない」と担当者はおっしゃっていた。
ひとりでも反対者がいるとその保育園はうまくいかない。保育園園長、保育者、保護者の方々、お子さん方が、反対者のすぐ隣というのはいい環境と言えない。
保育園開設後、大変な想いをなさるのは保育関係者、保護者の方々、お子さんたちだ。運営業者・土地所有者は、この話以前に、隣接者に「ご協力お願いします」と根回し、いい関係を築いてられれば。
ノブリンが代表世話人になり、副代表世話人のYさん(分家)と一緒に署名活動を1月5日から10日間ぐらい行った。
町会役員とはいえ、ノブリンも色々勉強になったと言っていた。色々な対応の方々がいらっしゃる。大変な思いをしたようだ。地域の為かねてから、ボランティアのようなことをしていたし、国税調査も経験しているし、もちろん極貧時代の営業も。ノブリンの人生の重みが強さだ。声をあげたくってもできない人がたくさんいる。本当は嫌だけど、土地建物所有者の借地だから、事を荒げたくない。
ノブリンと私だって本音は面倒なことはしたくない。でも困っている人がいる。表立って泥をかぶるのは、私たちだけでいい。
Yさん(分家)とYさんのお母さまも、隣接しているお宅のご高齢の方も、署名活動を手伝ってくださった。ありがとうございました。
初めは30人ぐらい集まればいいかなぁと思ってたけど、結果的に142名。それを持って、ノブリン、Yさんと区役所に行ってきた。ノブリンは、こういうとき話が上手いけど、長い。
署名がなくっても、今回の話は、進まなかっただろう。優しさ、思いやりがなかったから。ある意味署名は、とどめだ。ノブリンは怖い。とどめをさすのが得意だ。ノブリンを敵にしたらだめだ。学生運動をしていたので、ディベートは得意。
区役所の感触は良かった。
運営業者が、株式会社だと選定に慎重になる、突っ込んだ保育の質問をすると答えられない、とおっしゃっていた。担当の方は、やはりきちんと「保育」というものを考えてくださっていた。私自身色々調べてすでに知っていたことであるが、「小規模保育事業者の公募」は応募してきた運営業者すべて認定されてなかった。待機児童解消はしたいけど、区はきちんと選んでいる。
そして2月上旬、ノブリンに区役所からの連絡があった。今回のこの地域、この運営業者は選定されなかったと。賢明なご判断、ご配慮、ありがとうございました。Yさんも、ご立腹されていた近隣の方も、うちに挨拶にいらしてくださった。
土下座までされて、嫌な気持ちになった方が、とても明るいお顔をなさっていたのがうれしかった。
今回、色々なことを勉強させていただいたけど、何よりもご近所の方々ときちんとお話しできたことがとてもよかった。もっと地域の方々を大事にしていかないと、と反省させられた。小さなことだけど、
近所の方々に挨拶を心がけよう。土地所有者のお母さまもお一人で、ここに住まわれている。今回はじめてお会いしたけど、もっと気にかけていい関係を築いていたならばと反省させられた。
社会といってしまうと、大きすぎるけど身の回りで、これはへんだ、おかしい、と思ったことは関心をもって、自分にできることをしていくことは大切なことだ。ノブリンは、学生運動をしていたので、こういうことは関心がある。
乱暴な言い方をしてしまえば、私とノブリンはここが嫌なら、別荘に行ってしまえばいい。ここの家の処分も考えていたところだ。でも、ここに住んでいるほとんどの人がここに住み続けるだろう。高齢者の方々が多い。気持ちよく暮らして欲しい。
「待機児童解消」は社会に役立ついいことだし、必要だ。大きなことだ。私は大きなことはできない。小さな、自分にできることをしていきたい。ボランティアももっと参加していきたい。
区役所の方々、運営業者の方、土地所有者の方、地域の方々、ノブリン、ありがとうございました。いい経験をさせて頂きました。
https://note.com/mkt_555/n/n19c6a275047a
面白いものを見つけたので、参考・記録まで。立場が違うと考え方が違う。反対意見、対立する意見は尊重しないと自分自身の成長にならない。本当にいいお勉強をさせて頂いたし、いい経験だ。
地名がはっきりあげられているし、町会長役員と個人を特定できそうな表現、イラストにも悪意を感じるけど、これはこれで面白い。私たちが泥をかぶると、覚悟していたから。
色々言いたいことは、あるけど 私は保育者としての立場での意見だ。
私は保育のプロだ。
保育の現場において子どもの声を「騒音」と思ったこともないし、子どもに「うるさい」と言ったこともない。「うるさい」という保育者は保育者として失格だ。子どもがうるさいとしたら、その保育者の責任である。私はそういう幼稚園で、園長、先輩方に教えられたし、私自身の保育指針だ。
町会長の記述も指摘されていたけど、区議・都議にも迷惑にならない程度にコンタクトはとった。ここに住んでいれば、街を歩いていても区議・都議に挨拶する機会はある。彼らの同意ではなく、今、この地域でおこっていることとしてお知らせしていた。ビジネス関係のつながりはないけど、保育者、園長のつながりは恵まれている。ネットワークでこの運営業者の保育園を聞いてみたけど、誰もわからなかった。ネットで調べてくれた後輩の先生は、「若い人には、魅力のある給与体制かも」と。
身近な保育園(後輩が勤めている)でも保育者の離職率が高い。
勝つための戦略として、「過激」な表現もした。
運営事業者の方に「選定されなかった場合は、どういった連絡があるのですか?」と聞いたら「理由はなく、今回は選定されませんでした」と言われます。と言っていたけど、理由は、「住民の反対によります」とnoteに書かれている。区も、私たちが反対したことで断る理由が明確にできてよかったと思う。運営業者や環境に疑念を抱いていたように感じられたから。
これで選定してしまったら、区が出てこなければならなくなる。区の責任になるし、また土地所有者の方にも面倒になってくる。反対がある場合はできない、と署名提出の前に話していた。
署名活動がなくともこれは進まなかっただろう。
「陳情書」には「騒音」という言葉はない。「陳情書」にあげた第1の項目は、「土地建物所有者・保育園運営企業・江戸川区のいずれからも当地域住民に正式広報されておらず、地域住民の理解がされていない。」ということだ。区の対応が「決まってから」に不信感を抱いた。この点、noteに書いている方も指摘している。
待機児童問題で、保育園がどのように作らていくのか知っている人ははたしてどのくらいいるだろうか?
物事を考えるにあたって、相手の立場になって考えてみる。私が土地建物所有者だったら。運営事業者だったら。反対されないような、理解、協力をお願いするにはどうしたらいいか。一番簡単なのは、図面だ。自分の利は捨て、相手を考える。住民・保護者・子ども・保育従事者。
ノブリンが、「運営会社の方に保育園に隣接しているお宅が、あなたのお宅だったらどう思いますか?」と聞いたら、応えなかったそうだ。2回聞いたけど、2回とも。
すばらしい保育をします!と言って欲しかった。保育内容で闘って欲しかった。
きょう、近所の方(高齢者一人ぐらし)とお会いしたとき、ご挨拶したら「あなた、マスク持ってないの?うちにたくさんあるからあげるわよ!でも、あなたは元気だから大丈夫ね」とお笑いになっていた。私が走っているのを知ってらしたので。なんだかこれだけで、うれしかった。
保育園が建設される場所に隣接しているお宅の工事が始まっていた。ここも高齢者の一人暮らしで、今は施設に入ってらして来月ここのお宅に戻ってくる。玄関を引き戸にし、スロープをつくっている。その弟さん(高齢者)が柏からいらしていて、お話をさせて頂いた。弟さんは、近所の方々が気にかけてくれるのでありがたい、とおっしゃっていた。私は何もできてないけど、他の近所の方々は助け合っている。
「街の未来のため」「区が推進する事業」。こんな小さなことでも「街の未来のため」にならないだろうか?事業ではないけど。今、この地域での問題は、高齢者の見守りなのではないだろうか。
対立する立場として、私もnoteにあげようかと考えた。
真実はひとつぢゃない、というところが面白い。それぞれの立場がある。私はそれを面白いと言えるし、楽しめるし、しあわせだ。私は私で、いつも通り日常をきちんと生きて楽しもう。
このnoteの方は、今現在こちらにお住まいではないけど、地域住民のひとりとして快く挨拶をかわせるような街として、見守っていただければと願う。待機児童解消のため地域社会、街づくり、未来のため、という彼の意欲はすばらしいし、うらやましい。まだまだこれからの方だ。今後の活躍、成長に期待したい。
4年前の幼稚園の卒園式での園長のお話。
「人は、自分とまわりのほかの人、2つの足で歩いている。自分とまわりの人を大切にし、みぎ、ひだり、みぎ、ひだりと歩いていってほしい」以前お釈迦様の「二足尊」ということで話したことがあった。そのときは2つの足で歩くことの大切さ。みんな2つの足を持っている。1つの足は逞しさ。どんな困難にも負けないで、諦めないで進んでいく足。もう1つの足は思いやりの足。どんなことがあっても、自分の他の人のことを思いやられる優しさ。園長のお話しは、お釈迦様の「二足尊」ということだった。2つの足で歩くことの大切さ。みんな2つの足を持っている。1つの足は逞しさ。どんな困難にも負けないで、諦めないで進んでいく足。もう1つの足は思いやりの足。どんなことがあっても、自分の他の人のことを思いやられる優しさ。
ご卒園おめでとうございます。歩いていってほしい。私たちも歩いていこう。
以前、卒園式で歌う「Believe」の歌詞を担任が子どもたちに話していたときの問答。
「きぼうってわかる?しっているひと!」
「こころがきれいになることです!」
「ゆめがかなうことです!」
「こうなったらいいなと思うことです!」
「すなおって、どういうこと?」
「すなおにごめんなさいということ!」
「いとしいって、どういうこと?」
「としよりのこと!」???
「・・・おもしろいけど、ちがいます・・。すき、だいすきってことです」