2008年
柏レイソル

ベガルタ仙台
柏レイソル公式
岡山 一成選手からサポーター皆様へのメッセージ
なかなか自分の気持を文章にできなかったから、心情を書くので、読んでください。
柏レイソル、石崎監督就任。この報せを受けて、俺は動き出した。
もう一度石さんとJ1昇格争いが出来る。あの時叶わなかった想いを叶えよう。
その想いだけやった。
ただ一つ懸念があった。
それがあなた達、柏レイソルのサポーターに対して。
サポーターの存在自体、嫌いになっていたかもしれない。
応援をするというなら何をしてもいいとおもってるんじゃないか。日頃のストレスを発散しているだけなんじゃないか。昇格を決めて喜びサポーターの前に行ったときに、大勢の人達に背中を向けられ、「こんな昇格はいらない」監督、選手の個人名で辞めろとコールをされたことがあったから。ロッカールームでの脱力感。俺達もプロであるまえに、人間やから傷つくねん。そんな想いを抱いていた。
柏レイソルのサポーターのイメージも俺は良くなかった。
弾幕のメッセージに書かれてる辛辣な文字を相手チームでアップしながら見ていたし、試合後のブーイングや怒号を聞いたこともある。お金を払ってる人はお金を受け取っている人達に何をしてもいいのか。プロとして契約した限り、全部を受け入れないといけないのか。俺達もプロであるまえに、人間やから傷つくねん。声を出して言いたかった。そんな想いを抱えていた。
ちばぎんカップ。そんな想いでいた俺を変えてくれたターニングポイントやった。
0-2で千葉に負けて、レイソルのサポーターの前に行く時、感情を押し殺し、何を言われてもブーイングされても、心を閉ざしとこう。そんな俺達の元に届いたのは温かい拍手だった。
「いいサッカーやったぞ、今年はずっと支えてサポートして行くからな」。
ほんまに嬉しかった。ほんまに心のわだかまりが消えていった。ほんまにこの人達と向き合おうと想った。アウェーの地、千葉で誓い合い確かめ合った絆はアウェーの地、湘南で結ばれることになった。あなた達と過ごした2006年のシーズンは書ききれない思い出があるし、お互い素晴らしい1年やった。
だけど、俺が本当に書かないといけないのは2007年シーズンの事。
一つのけじめとして2007年をあなた達に俺自身に書かないと2008年に行けないから。
2006年を語るのはいくらでも楽しい気持で書けるけど、2007年は書くのが辛い。
それは俺のあなた達への懺悔だからです。
石さんと昇格しようから始まり、サポーターと一緒になり、サポーターのお陰で昇格出来た。そんな事をみんなには言っておきながら俺自身は自分のお陰で昇格出来たと想うようになっていた。俺が昇格させた。この想いが2007年シーズン、柏レイソルで向き合えなかった原因です。
そんな想いがあったから試合に出れなくなり、ベンチに入れなくなっても現実を受け止めないままだった。たぶん人との付き合いもそうなんやろうな。 こんだけしてあげたと、考え出すと関係はあかんようになっていくように。それでもベンチを外れても関東圏のいける範囲のアウェーゲームはチームの応援に行っていた。応援する事でちょっとでも力になればいいなと、応援される事の力をあなた達に教えてもらったから。チームが勝って喜ぶ中でくすぶる寂しさ。その心のバランスのズレが怪我をし、体調を崩したり良くないほうにいった。
それが決定的になったのが等々力でのフロンターレのメンバーに入れなかった事やった。どうしても石さんと巌と等々力のスタジアムに行きたかった。色んな想いを抱えながらフロンターレからレイソルに移籍の決断をしたから。勝ち点1で上がられなかった等々力の地で、俺らが這い上がってきた姿を見せたかった。メンバー外では試合を観に行けなかった。後でチームメイトから聞いた。石さんと巌が拍手で迎えられた事。俺がフロンターレ戦のポスターになっていた事。
自分の心が壊れた。
なんで。去年あんだけやったのに、昇格さしたのに、サポーターを一つにしたのに、チームを良くしようとしたのに、なんでなん。
向かい合わずに現実から逃げ出したのもこの時からやった。
ここからがあなた達に謝らなければなりません。どんな風に書いたら伝わるのか分からないけど、向き合わないと次に進めないから。レイソルと契約して、あなた達と苦楽を共にして、J1の舞台に挑む。本当に自分のプレーを見てもらわないといけないのはあなた達なのに。俺の良かったときのプレーをもう一度観たがっていたのに。俺と一緒に喜び合いたいと想っていてくれたのに。俺がグランドに帰ってくる事を願ってくれてたのに。
俺は逃げました。
そこから這い上がろうとせず、オファーを出してくれたベガルタに必要とされてる明確なものを感じて。移籍の時の文章もただの言い訳です。ファン感の最後に移籍についての報告をしたけど、声が小さくて聞こえなかったのは、自分の心の小ささそのものです。もう帰って来れないと、レイソルには俺は必要のない人間だと、勝手に自分で決め付けていたから。
ファン感で、俺が何を歌うか迷っていた時、観客席から「柏バカ一代」のリクエストがあった。それを、聞こえていたのに聞こえないふりをしました。
その歌だけは歌えなかった。初めてその歌を聞いた時は何を歌っているか分からなかった。少しずつ歌詞を憶えていき、その意味を知り、俺もそうなろうと思ったはずなのに。みんなと一緒に歌った時、誓い合ったはずなのに。全てを捧げようと。一緒に掴もうと約束したのに、俺にはもう天下無敵の柏の星は見えへんわ。みんなはまっしぐらにその星を掴む日が来る。
俺はもう歌う資格がないわ。そればかりか、中途半端に逃げ出す俺が、覚悟も無いまま一緒に歌って、期待をもたしてほんまにごめんな。だけど、昇格を決めて日立台でみんなと歌った時、俺はなほんまに天下無敵の柏の星をみんなと一緒に掴んだと想ってん。でも違ったんやな。J2の星はJ2。J1の星。アジアの星。と続いていって、世界の星を掴むまでは見果てぬ修行やのに、まっしぐら行かなあかんのに、俺は立ち止まってもうた。
俺やっとわかった。どう書けばいいんかなとか、ずっと考えて、悩んで書かれへんかった。シーズン始まる前にと焦っていたけど、答えは「柏バカ一代」のなかに全部あった。俺、書きながら号泣したもん。たぶん、俺といっしょのところで号泣した人いるなあと、想うもん。
共有した間柄やから、そんな気がする。ずっと悪いなと思っていたし、みんなの中にも思い入れある選手が入れ替わっていく中でのなんともいえない感情があると思うねん。俺もあった。でもな、レイソルがいまの位置でいいんやったら、俺、シュウシャ、ユッキー、亮、アゴ、みんなレイソルにいててもいいねん。でも、天下無敵の星を掴もうと誓ったんやろ。そしたら、俺達の想いを背負って歌い続けて。たとえ一緒にやった選手が一人もいなくなっても、歌い続けていてくれたら、俺らの想いも受け継いでいってくれてると思えるから。俺らがレイソルにいた事が無駄じゃなかったと、意味があったと思えるから。
長渕剛の「しゃぼん玉」が浮かんできた。歌を聴いてみて。
俺達の関係を歌っているみたいやで。
くじけないで、なげかないで、うらまないでとばそうよ。
あの時笑って作った、しゃぼん玉のように。
柏バカ一代とレッツゴー柏が受け継がれている事を願って。
ベガルタ仙台 岡山一成
ベガルタ仙台公式
岡山一成選手からサポーターの皆さまへのメッセージ
メッセージ遅くなってごめんなさい。
レイソルに向けて書くのがなかなか自分と向き合えず、この時期になりました。そのかわり、レイソルへの想いは整理できました。いまでもレイソルは大好きです。フロンターレも大好きです。そんな俺をどう思われても、この想いは変わることはないし、変える気もありません。だけど、ベガルタと本気で向き合っていこうと、今以上に好きになっていきたいから、このシーズンが始まるまでの自分の状況を書こうと思うので読んでください。
去年の12月20日にベガルタと契約をしました。遅いと思われるかもしれなけど、俺のプロ人生で1番早い契約更改です。俺は自分の気持ちが納得するまで、判子を押しません。1番遅かった時で、1月27日やったし、ここ数年、年内に決まったことはなかったです。自分の想いは決まっていました。ベガルタ仙台との条件交渉だけでした。ベガルタとは代理人を通さず、一人で交渉しました。なぜなら、強化部長の丹治さんと1対1でとことん話したかったから。去年、レイソルからベガルタに来るきっかけは、丹治さんと話し合いをして決めたからです。その時ベガルタについて話したことに一つも偽りがなかったので心から信頼していた。
その丹治さんから告げられた契約の提示はダウンだった。どうしてもダウンが納得できなく現状維持を主張した。自分の働きはダウンされるものではない。この想いがずっと消えなかった。現状維持ならすぐに契約するつもりだった。そのなかで、俺の移籍話が報道された。そのことによって色んな人達に心配をかけた。それで丹治さんに電話した。「半年前みたいに俺を口説いてください」。色々な話をしました。ベガルタ仙台の取り巻いてる状況。チームの進む方向性。そして最後の言葉で口説き落とされました。
「俺はベガルタ仙台の強化部長としてはこの提示しか出せない。だけど、俺の後ろにはサポーターみんなの想いがある。俺自身、岡山一成に感謝している。サポーターもオカに恋愛しようと言われ、向き合ってあんなにサポートしてくれたやろ。あのサポーターと一緒に昇格しよう。」
見事に口説き落とされた。
俺もけじめをつけないといけないと思った。レイソルのサポーターに当てた文章でも書いたけど、俺はベガルタに逃げてきた。言葉では絶対昇格出来る。自分に言い聞かせるように強気なことを言ってたけど、半年、試合に出ていなかったブランクが不安だった。愛媛にボロ負けして、草津に引き分けた。全部俺が失点に絡んだ。ほんまに落ち込んだ。ベガルタにとって俺は来ないほうが良かったかも…。
そんな時「岡山よく来てくれた。ベガルタを頼むぞ。」何人も何人も言ってくれた。俺のコールも作ってくれて、勇気づけられた。力が湧いてきた。引き分けたり、負けたりした時もロッカールームに引き上げた後も、ずっと、ずっと、ずっと、ずっとベガルタコールをしていてくれた。京都で昇格が消滅した時、泣きながら俺達にコールをしてくれた。来年の俺達、選手を信じて。あの時のみんなの姿を見たから、目に焼き付いていたから、ベガルタ仙台というクラブに対する不信感で去った選手は一人もいなかった。萬代もクラブに対する不信感ではなく、自分の夢の為に、凄く苦しんで出した決断だから解ってあげてほしい。
俺もサポーターにあんな想いをさせて、現状維持で自分だけ痛みを伴わないのはおかしいとやっと気付いた。条件面で他のチームに行くと、自分のしてきたことが嘘になる。あっちゃん(永井)と萩とキン(菅井)と3人で一緒に飯を食いに行った時、俺に言った。
「ベガルタでよかろうもん。」「オカさんとあほなこと来年もやりたい。」きわめ付けにキンが「これで違うとこ行ったら金の為に今までしてきたと思うからね。」
プロとしてお金は大事やけど、人としてこんだけ思ってくれることのほうがもっと大事やな。
選手、スタッフ、サポーターすべての人達が俺に教えてくれた。だから、一緒に昇格してみんなで良くなっていきましょう。
2007年
川崎フロンターレ

柏レイソル
フロンターレ日記
2007年01月16日(火)の日記
『岡山一成です。』
「麻生グラウンドを訪れたのは、ちょうどいまから五年前。
小高い丘から見下ろしたグランドは、川崎の街として持っていたイメージからは程遠い田舎の田園風景がひろがっていた。この場所を3年間通っていたのに、レンタル移籍をするようになり、いつしか1年に一回契約の時に訪れる場所に変わっていった。だけど、その都度お帰りなさいと声をかけてもらい、俺自身も帰ってきたなという想いを抱いていた。それは等々力競技場への想いを強くしていった。あの競技場でどんな想いを感じるのか、その一心でやってきたつもりだった。
5年前、大阪の地にわざわざ俺を欲しいといって、訪ねてくれた人が石さんだった。第一印象で抱いたイメージのままフロンターレでのシーズンを戦った。それはフロンターレサポーターもいまなお心に残っているでしょう。あの時、勝ち点1足りなかったことにより、どれほどの人達の人生の転機となったことか。俺自身もその勝ち点1に人生を翻弄された一人だった。チームすべての人達で勝ち取った勝ち点が、1点足りないのを、どれほどの人達が自分の行動を振り返り、後悔をして、自分を責めたことだろう。俺も後悔して、自分を責めた一人だった。そのときに彷徨った昇格への魂は、翌年、たくさんのフロンターレに携わる人達に戻っていったのに、俺の元には還ってこなかった。
病室のベットや、リハビリ中のチームの快進撃。自分の復帰の時期には見えてきた昇格。歓喜の輪のなかで喜ぼうとしている自分。シャンパンかけの昇格の美酒に酔えない自分。膝がどうなってもいいからチームの為、サポーターの為に、石さんの為に。そんな想いで戦っていた2003年の昇格争いは、なんだったんや。だけど、確かにあの時、魂を共有して一つになったのは、まぎれもない真実だった。共に笑い、共に泣いて、共に刻んだ時間はまぎれもない誇りだった。だけど、俺の心の時計はあの時止まったまま動かなかった。昇格さえすれば動き出すのかと想っていたけど、アビスパで昇格しても壊れた時計のように動かなかった。それが去年、動き出した。それは俺自身だけではない力で動き出した。
『1万人の観衆のなかで試合がしたい。友だちや知り合いを連れてきて。』そう呼びかたら次の試合、2万人が詰め掛けてくれた。試合の後、『1万人来て欲しいって言ったら2万人来てくれた。だったらもっと早く連れて来い(笑)。』その時、たくさんの人達が動いてくれた事も知らず、言ってしまった。サポーターとの関わりを教えてくれたのはフロンターレサポーターだった。想い合うことの素晴らしさも教えてくれた。トラメガやみかん箱の上の小麦粉、初めて自分の応援コールを作ってもらったし、勝った試合の後で一緒に歌ったりもした。サポーターフェスタでのふざけ合い。きりが無いほどの思い出がある。レンタル移籍する際の500通にも及ぶ励ましのメールはほんまに嬉しかったし、帰ってこようと想った。だから、フロンターレでの思い出と重なることは、アビスパではしないでおこう。そう想っていたら、良い関係を築けなかったしフロンターレサポーターの温かさが身にしみた。石さんがもう一度、J2でチャレンジをするのを知り、他のJ2のチームへのレンタルが決まりかけていた段階だったけど、石さんの元でやることに決めた。フロンターレのフロントや相手先のチームにも迷惑をかけたけど、止まったままの時計の針を動かす為に。その時に自分の中での持論のサポーターが持つ勝ち点10の力をプラスにする為に、フロンターレのサポーターとの思い出と重なってもレイソルのサポーターとの関係を築いていこうと決めた。それが去年一年の俺のやってきたことです。湘南に勝ち、神戸が負けて昇格が決まり、石さんと抱き合った瞬間。2003年、広島に勝ったけど、新潟が勝ったため、昇格出来ずに彷徨っていた昇格の魂は俺の元に還ってきた。
歓喜に心から涙が溢れてきて、その涙と鼓動が止まっていた時計の針を動かした。
あの時、勝ち点1足りなくて、自分自身を悔やみ責め続けたフロンターレのすべての人達が、俺に、石さんに、巌に祝福してくれた。2003年の自分が俺によくやったと、笑いながら褒めてくれた。
2007年から柏レイソルに完全移籍をしてプレーします。
フロンターレではなくレイソルを選んだのは紛れもなく俺自身での決断です。色んな想いや状況があっても、あんなに想ってくれて、心配してくれて、愛してくれたのに、俺はレイソルを選びました。ほんまにすいません。ほんまにすいません。ほんまにごめんなさい。
俺たちの想いは。誰よりも熱く。
青黒に光る星と共に行こう。
もう一度、等々力でラブ川崎を歌う。それを励みにやってきた。それなのにレッツゴー柏を発案した俺です。そして、等々力で勝った時、笑顔でレッツゴー柏を踊るでしょう。
そんな俺やけど、信じてください。ほんまに大好きでした。ほんまにあなたたちと過ごした期間は一生忘れません。レイソルのサポーターを大好きになった俺が言っても説得力ないけど、フロンターレサポーターと言ってひとくくりにして、あなたたちの名前もわからないけど、あなたたちと共に流した涙は一生忘れません。あなたたちと共に笑いあった笑顔を一生忘れません。あなたたちと共に刻んだ思い出は一生忘れません。
いまの俺があるのもあなたたちのお陰です。ほんまにありがとうございました。」
でも、『岡山一成』は、やっぱりコレじゃない

「岡山くん、話があるの。私、赤ちゃんができちゃったみたい。
誰の子?なんて言わないでね。
お腹の赤ちゃんのパパは岡山くんひとりなんだから。
あっ、岡山くん、誤解しないでね。私、結婚してなんていわないから。
ただひとつだけお願いがあるの。
私のお願い聞いてくれる?
ねぇ、柏に完全移籍してほしいの。
ねぇ、岡山くん、お願い、柏に完全移籍して。お願い。」