こんにちは。
あのさ、思うんだけれどね。悩んで、ろくな努力をしなくて、壁にぶち当たってその壁の高さに、唖然としているだけの奴。
それをさ、凄く後でやってきて、「あの壁超えられません」って言いつけに来る奴のその後の未来についてなんだけれどね。
壁が超えられないなりに、壁を超えるために、筋トレやったり、無駄に鍛えてみたり、腕力つけたり、壁以外の方法を考えついたり、努力ってのをする人は、その先が開くんだよ。
目の前のことだけに執着して、目の前のことだけにすがりついているとさ、結局は、後になってその壁を乗り越えませんって事になった時、
「ただ年取っただけのおばさん・おじさん」
になっちゃうよ。
苦しんでいる間も、別な所で努力はしようぜ。一見目の前のことに結びつかないから、無駄だと思うかもしれないけれど、無駄なことなんて世の中いっぱいあって、それが引き出しを多くして、自分を助ける命綱として色々な方面で生きていくからね。
だから、無駄とか言い捨てる前に、本当に無駄かどうか、考えてみなよ。
案外無駄なのは、あんたのその、なんでも無駄無駄言い切って、追い込まれているだけの部分かもしれないけれどね。
無駄なあがきをしていく中で、色々やっておくと、意外と命綱は色々な方面に働くよ。
わたしなんか特に、こんな年で、病を持ちながらまさか働くとは思わなかったし、雇用難の時代に、就職があるとは思わなかったし。でも、病を持ちながら自制して生きているよ。休みがちですって言ったら、首キられるしね。
生きていくって意外と、壁にぶつかった時に己の真価が問われるのだと思ったほうがいいかもしれないよ。
後、何年も先を見て、その先の自分の為に種を蒔く。
必要なことだよ。
朋