「賀茂の古道を歩く会」通信

平成29年度に発足した「古道を歩く会」案内人からのお知らせページです。会は令和6年3月に解散しました。

第3回「南伊豆町一条の明治トンネルをくぐる」報告

2019年09月22日 23時48分50秒 | お知らせ
令和元年度第3回の古道ウォークは、「南伊豆町一条の明治トンネルをくぐる」でした。

南中地区の小学校に集合したのは、精鋭の8名。うーん、もっと参加してほしいですねー。

小学校のグラウンドの土が入れ替えられ、東側の草地がアスファルトで舗装されていたので、びっくりしました。

それはともかくとして、さっそく出発して県道を北へと歩く一行。


上賀茂はかつて軟石の伊豆石を産業として切り出していた場所なので、こうした石垣が残っています。


辺りには栗畑があり、大きな栗がたくさん実っていました。


対岸の日当たりの良い山際には、堂々とした屋敷が建っています。屋根には、蚕を飼うための換気口である箱棟があります。うーん、私は一度あのお宅の内部を拝見したいです。


100m先に玄通寺が見えたら、左の細い道に入ります。いよいよ古道ワールドの始まりです。私が下見をした時に古道入り口にあるお宅のお姉さんに聞いた話によると、「この道はかつて一条から毛倉野に行く主要道だったけど、今は誰も歩かないので、もう行けないでしょう。」ということでした。

最後のぽつんと一軒家を過ぎると、舗装が切れます。このところ雨が多いので、ただでさえ湿った感じのある古道が、さらにじっとりと重い空気を溜めていました。


沢の合流点で進路を右にとり、ゆっくり上っていきます。目の前の、壁のように立ちはだかる山肌をさらに上ると、「あっ、あれ? トンネル?」というメンバーさんの声が響きました。そう、明治の手掘りトンネルが見えたのです。


トンネル直下のつづら折りの道で、遅れてきた仲間を待ち、いよいよ隧道に入ります。




いったい、誰がここにこのトンネルを掘削したのでしょう。北側の坑口には銘が掘ってあり、明治32年にこの隧道が掘られたことが分かります。

トンネルで峠を越えてからもしばらく古道を辿ります。


やがて町道「一条-毛倉野」線に出ました。古道はここから町道とほぼ同じレベルで西進しています。峠には、江戸時代に立てられた二尊のお地蔵様があります。お地蔵様を見学した後は、歩行困難な古道を避け、町道を歩いて毛倉野に降りました。




さあ、ここから古道歩きの後半になります。毛倉野から一条につながるもう一つの古道を歩くのです。
その古道は、本当なら元みのり食堂の辺りから峠を目指すのですが、踏み跡がはっきりしないので、ケグラニアンの近くから別荘地に入り、管理道路を上りました。この年、日本を襲った台風15号の爪痕により、道は荒れています。杉の大木が道に倒れているのですから。


峠には、一尊のお地蔵様が立っています。


かつて毛倉野の人たちはバスに乗って下田に行く際、この峠を越えて、バス停からバスに乗ったということです。今はもう、歩く人はいないのでしょうね。

こうして再び一条の地に立ち、出発地点の南中小学校に戻りました。


栗の木に栗がいっぱいなっているのが印象的なウォーキングでした。(参加者8名)
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