令和4年度の古道歩きは、第1回と第2回が天候不順のため中止となりましたので、今回実施した6月定例会が第1回の古道歩きイベントとなりました。
ようやく古道歩きを開催することができた喜びを噛みしめて、精鋭6名が集合場所の東伊豆町役場庁舎前に集まりました。
久しぶりに再会したメンバーで挨拶を交わした後、役場駐車場1階で週末に行われている朝市を見学し、史跡巡りに出発しました。
野菜やキンメの製品、わさび漬けなどが買える朝市は、観光客だけでなく地元の人にも人気があるようです。
役場庁舎前に展示されている江戸築城石と役場玄関前の石垣に使われている築城石を見学し、東浦路を伊東方面に歩きます。
ほどなく「栗田家の畳石」に到着。慶長年間に松平土佐守が江戸に向けて切り出した築城石を見学しました。
工作機械のない江戸時代に、石工職人の手によってきれいに成形された角石は驚きの存在以外の何物でもありません。
それから天草干し場である「ぶとないや」の跡を見て、素戔嗚神社に向けて東浦路の坂を上りました。神社の参道脇にある「三宅島二重遭難の碑」を見学するためです。
三宅島二重遭難の碑とは、明治時代に三宅島から戻ってくる舟が嵐に遭って遭難したのを救助しようと、新たに出かけた稲取の舟がやはり同じように強い波浪によって遭難してしまった二重の事故を悼む碑です。
漁業や海運業が盛んだった稲取の、ある意味どうしても避けられない悲運を伝える碑だと思いました。
次は道を引き返して、役場上にあるイルカの供養塔を見学しました。
稲取では昔からイルカ漁の追い込み漁が盛んに行なわれており、イルカを水揚げする時にはイルカの血で港が真っ赤に染まったそうです。供養塔が文政十年1827年に立てられたと銘が刻んでありますので、漁の歴史は長いことが分かります。
次はバス通りを南に向かって、吉祥寺の境内にある築城石を見学しました。畳石ほどは大きくないものの、きちんと成形された石であることが目を引きます。
この頃から雨が本降りとなったため、傘をさしていくことにしました。降水確率は20%で、雨は降らないはずでしたのに、どうなっているのでしょう?
稲取は湊を囲むように家々が立ち並んでおり、その間を路地が縦横に通っています。港町に見られる独特の街並みと思います。
いよいよ雨が強くなってきましたのでもうこれから先の八幡神社と稲取灯台を訪ねるのはやめて帰路につこうとしましたが、「稲取に来て八幡神社を見ないのは、東京に行って浅草寺をお参りしないのと同じ。」というメンバーさんの声により、八幡様だけは訪ねることにしました。
荘厳で落ち着いた雰囲気は、やはり八幡神社だからこそ。源頼朝公が使った井戸もあり、歴史を感じます。
最後は、私がぜひご紹介したかった八百比丘尼の像を見に行きました。
八百比丘尼は、人魚の肉を食べたばかりに不老不死の身となり、それを悲しんで全国を行脚して土木工事などを指導した女性です。最後は若狭の洞窟で入定したと伝わっています。
稲取の八百比丘尼は、かつて折口信夫という民俗学者が稲取を訪れた際に見つけ、それ以来大事に祭壇に祀られています。しかしもっと前に一部が破損されており、大変惜しく感じます。
なお、この像は不動明王である、という説もあります。どちらが本当なのかは分かりませんが、なぜ? という疑問を持ち続けるのもよいのではないかと思います。
今回の計画では、ほかに稲取灯台とどんつく神社、りゅうごんさん(龍宮神社)を訪ねる予定でしたが、雨が止まないため、断念しました。
稲取で育ったメンバーさんが複数おられたため、稲取にまつわる子どもの頃からの思い出話をいくつも聞くことができて、とても興味深かったです。ありがたく存じます。
参加者数 6名 行動時間8;30~11:30
ようやく古道歩きを開催することができた喜びを噛みしめて、精鋭6名が集合場所の東伊豆町役場庁舎前に集まりました。
久しぶりに再会したメンバーで挨拶を交わした後、役場駐車場1階で週末に行われている朝市を見学し、史跡巡りに出発しました。
野菜やキンメの製品、わさび漬けなどが買える朝市は、観光客だけでなく地元の人にも人気があるようです。
役場庁舎前に展示されている江戸築城石と役場玄関前の石垣に使われている築城石を見学し、東浦路を伊東方面に歩きます。
ほどなく「栗田家の畳石」に到着。慶長年間に松平土佐守が江戸に向けて切り出した築城石を見学しました。
工作機械のない江戸時代に、石工職人の手によってきれいに成形された角石は驚きの存在以外の何物でもありません。
それから天草干し場である「ぶとないや」の跡を見て、素戔嗚神社に向けて東浦路の坂を上りました。神社の参道脇にある「三宅島二重遭難の碑」を見学するためです。
三宅島二重遭難の碑とは、明治時代に三宅島から戻ってくる舟が嵐に遭って遭難したのを救助しようと、新たに出かけた稲取の舟がやはり同じように強い波浪によって遭難してしまった二重の事故を悼む碑です。
漁業や海運業が盛んだった稲取の、ある意味どうしても避けられない悲運を伝える碑だと思いました。
次は道を引き返して、役場上にあるイルカの供養塔を見学しました。
稲取では昔からイルカ漁の追い込み漁が盛んに行なわれており、イルカを水揚げする時にはイルカの血で港が真っ赤に染まったそうです。供養塔が文政十年1827年に立てられたと銘が刻んでありますので、漁の歴史は長いことが分かります。
次はバス通りを南に向かって、吉祥寺の境内にある築城石を見学しました。畳石ほどは大きくないものの、きちんと成形された石であることが目を引きます。
この頃から雨が本降りとなったため、傘をさしていくことにしました。降水確率は20%で、雨は降らないはずでしたのに、どうなっているのでしょう?
稲取は湊を囲むように家々が立ち並んでおり、その間を路地が縦横に通っています。港町に見られる独特の街並みと思います。
いよいよ雨が強くなってきましたのでもうこれから先の八幡神社と稲取灯台を訪ねるのはやめて帰路につこうとしましたが、「稲取に来て八幡神社を見ないのは、東京に行って浅草寺をお参りしないのと同じ。」というメンバーさんの声により、八幡様だけは訪ねることにしました。
荘厳で落ち着いた雰囲気は、やはり八幡神社だからこそ。源頼朝公が使った井戸もあり、歴史を感じます。
最後は、私がぜひご紹介したかった八百比丘尼の像を見に行きました。
八百比丘尼は、人魚の肉を食べたばかりに不老不死の身となり、それを悲しんで全国を行脚して土木工事などを指導した女性です。最後は若狭の洞窟で入定したと伝わっています。
稲取の八百比丘尼は、かつて折口信夫という民俗学者が稲取を訪れた際に見つけ、それ以来大事に祭壇に祀られています。しかしもっと前に一部が破損されており、大変惜しく感じます。
なお、この像は不動明王である、という説もあります。どちらが本当なのかは分かりませんが、なぜ? という疑問を持ち続けるのもよいのではないかと思います。
今回の計画では、ほかに稲取灯台とどんつく神社、りゅうごんさん(龍宮神社)を訪ねる予定でしたが、雨が止まないため、断念しました。
稲取で育ったメンバーさんが複数おられたため、稲取にまつわる子どもの頃からの思い出話をいくつも聞くことができて、とても興味深かったです。ありがたく存じます。
参加者数 6名 行動時間8;30~11:30