「賀茂の古道を歩く会」通信

平成29年度に発足した「古道を歩く会」案内人からのお知らせページです。会は令和6年3月に解散しました。

令和元年度第2回ウオーク 下田市「大沢から相玉へ」実施報告 更新しました!

2019年05月22日 00時23分46秒 | お知らせ
令和元年5月18日(日)今年度2回目のウォーキング「大沢-相玉」を実施しました。

午前8時45分。集合場所に案内人を含めて13人の参加者が集まりました。初めて参加される会員さんもおられ、はたして古道歩きに満足していただけるか、案内人の胸は不安に震えるのでした。

そしていよいよ出発!


まずは吉田松陰寓寄処に寄りました。ここでは案内人が説明しながら外観だけ眺めて通ろうと思ったのですが、中から下田市のボランティアガイドさんが出てらして、松陰先生がここに寄られた訳などを話してくれました。流れるような、見事な語り口調でした。ガイドはこうありたいものだと思いました。関心のある方はぜひ改めて訪ねてみてください。入場料は100円です。




それから蓮台寺鉱山の跡を見て、下大沢の集落を目指して歩を進めました。


交通安全への願いがこもった手作り標識をいくつも見ながら、ぐんぐん標高を上げて、出荷場で一休み。下大沢の集落は、ここから中心地に入ります。






さあ、天空の集落大沢を抜けて、峠まではあと30分ほどで着きます。しかしここからが楽しいハプニングの連続でした。


「まだまだ上に家があるぞ~。」などと言いながら上り坂を登っていったのですが、そこかしこでご高齢の方々が元気に畑仕事や道ばたの草取りなどをしておられます。草刈りをする人との挨拶も楽し、道端で休む女性との会話も楽しいです。




辺りはほとんどが蜜柑畑です。緑の葉と黄色い蜜柑、そして白い花のコントラストが、この上なく季節感があって美しいです。


そのみかん畑で苗を植えていた爺様が木からニューサマーオレンジをもいで、私たちに持たせてくれたんです。


そう、古道歩きの楽しみの1つに、「現地の方々とのちょっとした交流」があるんです。挨拶をして言葉を交わすことで、ちょっとした交流が生まれるんです。

そしていよいよ集落で一番上にあるお宅では、庭にいた小さな子が私たちの姿を見て駆け寄り、挨拶してくれました。子ども園の年長園児だそうですよ。  


「バイバ~イ。」と、私たちが遠くなっても手を振る男の子にちょっと胸を熱くしながら、やがて古道へと入りました。放置されたみかん畑を見ながら、山道をゆっくり上っていきます。


十数分歩くと、そこはもう峠です。そこには石垣を組んだ祭壇があり、端正なお顔をした青面金剛明王を彫った庚申塔や、光背に「右ハ やまみち 左 ま津ざき」と刻んであるお地蔵様、山上様と思われる石祠が祀ってあります。これらの石造物につきましては、最後に解説します。

峠では一休みすることにして、休憩し、さっきお爺さんからいただいたニューサマーオレンジを食べたり記念写真を撮ったりしました。


さあ、ここから古道歩きを楽しむことにしましょう。なあに、ほんの30分も歩けば、現在の県道に出ますのでね。

峠からは、山の北斜面にほぼ水平に延びる暗い道を歩きます。数日前の雨によってやや滑りやすい道を、慎重に歩いていきます。


10分ほど歩くと、ちょっとした峠のような所に出ますが、そのまま道なりに進んではいけません。ここはまやかしの地点です。ここで進路を左にとり、尾根を進みました。するとほどなく踏み跡が現れます。山仕事の人たちが残したガラス瓶も、道しるべとしましょう。

そのうち、「馬の背」と呼ばれる細い道や、「掘り割り」と呼ばれるU字状の道が現れますので、古道を踏み外すことはほぼなくなります。やや傾斜のきついところはS字カーブで下ります。案内人が一番好きな古道の形状です。いいでしょう~?

途中に竹林がありますが、ここでは獣の臭いがしました。イノシシが竹の子を掘りにやってくるのでしょう。今日は奴らに会わなくてよかったです。私は下見の時にイノシシ家族に遭遇しましたからね。その時は相手が逃げていったので、よかったのですが。


ゆるやかに標高は下がり、下界が近くなりました。メンバーのお一人が「あ、人工物が見えたぞ。もうすぐコールだ。」と仰いました。そう、道ばたに水源のタンクや治水工事のダムが見えたのです。一人で古道探しをして山中を彷徨っていると、こうした人工物を見つけると、本当にほっとするものなのです。

古道の終点は、県道下田-松崎線の天神前バス停です。皆さん、やれやれやっと着いたと荷物を降ろし、近くにある「おふくりまんじゅう」の店に向かいました。そこでトイレを借りたりお土産を買ったりしました。このお店は、案内人が最も愛するお店の一つです。6個入り400円のおはぎや3個200円の草餅などのほか、野菜の苗や苺なども並んでいます。皆様、どうぞまたお立ち寄りくださいね。


天神社に戻ってからはお弁当を食べ、集合写真を撮って、13時07分の下田駅行きの路線バスに乗って帰りました。


☆とりあえずお終い


さて峠に祀られている石造物群ですが、ここでそれぞれについて説明します。

まず石の祠ですが、おそらくは山神様でしょう。林業や農業が行われていた地域では、よく見られる祠です。

次にお地蔵様ですが、光背(後光を示す光を表しています)にここからの行き先を彫ってあります。このようなお地蔵様は、道標銘と呼ばれます。「右ハ やまみち 左 ま津ざき」と彫られていますので、ここが江戸か明治時代までのプチ古街道であったことが分かります。

かたや庚申塔には、とても凝った造形が施されています。阿修羅像にも通じるような端整な顔立ちをされた明王様は、六臂(6つの腕)のお姿で武器などを持ち、足元に邪気を踏みつけています。

庚申信仰では、人間の体内には三尸(さんし)という3種類の悪い虫が棲み、人の睡眠中にその人の悪事をすべて天帝に報告に行くと言われています。そのため、三尸が活動するとされる庚申の日(60日に一度)の夜は眠ってはならないとされ、庚申の日の夜は人々が集まって、徹夜で過ごすという「庚申待ち」の風習が生まれました。各地域には庚申堂が建てられ、善男善女が集いました。今でもその講を守る地域が下田市にはあります。

さてこちらの明王様は、足元に邪鬼を踏みつけ、法輪・弓・矢・剣・錫杖・ショケラ(人間)を持つ忿怒相で描かれています。睨みつけているのは、私たちではありません。世の中の邪気を睨んでいるのです。ありがたい明王様です。


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