「賀茂の古道を歩く会」通信

平成29年度に発足した「古道を歩く会」案内人からのお知らせページです。会は令和6年3月に解散しました。

次回の古道ウオークのお知らせ

2019年02月19日 05時16分16秒 | お知らせ
・期日 平成31年3月2日(土)予備日3日(日)

・集合 下田市加増野ポーレポーレ駐車場 午前8時50分

・日程 9:00加増野ポーレポーレ発-<旧松崎往還>-10:00婆娑羅峠とその周辺の探索10:40-11:30加増野ポーレポーレ帰着・個人負担で蕎麦で会食(加増野ポーレポーレは知る人ぞ知る手打ち蕎麦の名店です)-12:10解散

※参加か不参加かのご連絡を係の方にしてください
※詳しい計画は後日掲載します 


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・2月16日(土)縄地-奥谷津「河津桜ウオーク」の報告

 さて、2月16日(土)に、縄地から奥谷津への古道を歩いてきました。この道は、河津から落合を経て下田に至る道とつながる道で、かつては縄地北東部に住んでいた子どもたちが小学校4年生になると縄地分校を離れて河津南小学校に通った通学路でもあります。
 
 集合時刻の午前8時50分、案内人を含めて9名の参加者が集まりました。さっそく挨拶を交わして歩き始めました。


ここ縄地でも河津桜は植えられており、濃い桃色の花を開いていました。


旧国道から離れて谷筋に入り、山間部の古道を登っていきます。かなり奥まで民家があるので、皆さんから驚きの声が聞かれました。


 出発して40分間ほどで峠に着きました。名前は知らないのですが、谷津峠とでもいいましょうか。古道にしては珍しく眺望がよいです。みんなで蜜柑やチョコを食べながら、「これが大人の遠足だ~。」などと言いながら休憩しました。と、一人の若いハンターがやってきて、「この辺りで猿が出たという連絡があったので、来たんです。猿は凶暴なので、気をつけてください。」と言い、山に入っていきました。恐るべし、縄地の山…。


峠では、文政年間のお地蔵様や、かなり古いと思われる道標などを見学しました。




 そして谷津への古道を下り始めました。しかしこれが荒れた道によって思ったより難儀してしまい、時間がかかりました。かつては山田が作られていた様子が見て取れるのですが、何しろ放置されたままなので荒れ果てており、歩きにくいのです。慣れてくればルートファインディングの楽しみが感じられるようになるのですが・・・。

それと、途中に半ば白骨化したイノシシの死体が横たわっており、「あっ、あれを見ろ!」というのでつい見てしまった私は、気持ち悪くなりました。そういうの、苦手なんです(涙)。





 これは、谷津金山のトロッコ道に架けられた橋の残骸です。そう、ここには伊豆でいくつも開発された金山の一つが眠っているのです。辺りには坑口や平場、捨てられたズリ(品位の低い鉱石)などが見られます。ズリの中には水晶が含まれるので、記念に拾われる会員もいました。


この難所は、それぞれ枯れ沢に下りて通り越えました。その姿は、まるで探検隊です。これが大人の遠足だ~。


これは坑道の一つです。第2次世界大戦前に、伊豆ではあちこちで金山が開発されました。しかし鉱脈の短いのが伊豆の金山の特徴です。戦争の激化によって昭和18年に出された金山整理令により、多くの金山が操業を停止しました。ここ谷津鉱山も、その一つだったのかもしれません。


 やっと舗装林道にでました。もうここは河津町の奥谷津です。ならんだの里も近いです。


 それから地震計の設置された元石切場を見学し、幻の南禅寺(なぜんじ)から掘り起こされた平安期の仏像を展示している「ならんだの里」展示館を見学しました(内部の画像はありません)。


 その後、かっぱ寺として知られる栖足寺に参拝し、荒倉橋を渡って、川沿いの道を歩きながら河津桜を眺めました。


それから河津駅前の中華料理店でみんな揃って昼食をとり、タクシーで縄地公民館に戻って解散しました。
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