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南房総館山・なぎさの自然詩

南房総館山の自然や海での出来事を紹介しています。

ザトウクジラの運び出しから埋葬まで

2025-01-28 21:25:28 | 漂着物



南房総市千倉に漂着したザトウクジラの1/6と1/20の状態です。
地元の方の話では年末位から沖に浮かんでいたという事で、約一ヶ月近く放置されていた鯨がようやく調査される事になったそうです。
調査関係者の方によると、このザトウクジラは未成熟のメスだそうで、体に添わせた計測で体長約10mとのことでした。
ここは岩礁海岸なので鯨を埋設出来ない為、近くの砂浜海岸へ移動するそうです。
更に入り江の奥に鯨がある為、海から船で曳航出来ないそうで、陸路で運ばれるようです。

1/23の朝に白間津の海岸へ行くと、鯨の運び出し作業がすでに始まっていました。
腹を上に向けて浮かぶ鯨には布の様な物が被せられています。

次に幅広のロープが鯨の体に数本巻かれていきました。

しばらくすると工事車両が到着し、道路が封鎖され道幅いっぱいに駐車しました。
大型のクレーン車、重りを積載した車が2台、鯨を運ぶトレーラーの全部で4台です。
そして鯨の吊り上げ作業に入るようで、重機のセッティングが始まりました。

それが終わると、クレーンを伸ばして鯨の吊り上げが始まりました。
クレーンの先に鯨に巻き付けたロープを取り付ける作業をしています。
何度か試しに鯨の体を上げた後、ゆっくりと引き上げ始めました。

海面から鯨が浮かび上がり、遊歩道を越え、道路の上まで移動していきました。

そしてトレーラーの荷台に鯨が載せられました。
荷台から胸ビレと尾びれがはみ出していて、全部収まるのが難しい程大きな体である事に驚きました。

尾ビレがはみ出したまま、鯨は道路で輸送されていきました。
誘導する車がトレーラーの後を走り、万が一に備えているようでした。
埋葬予定の海岸入口にトレーラーが到着したのがお昼少し前だったので、昼休み後に作業が再開されるようです。

作業が再開するまで時間が空いたので海岸を歩いたり、外房の力強い波を眺めていました。
砂浜には既に鯨を埋葬するための大きな穴が掘られていました。

運び出し作業の時と同じくクレーンで鯨が吊り上げられました。

深く掘られた穴へ鯨が運ばれていきます。


朝から始まったザトウクジラの移動は約6時間かかりました。
鯨が降ろされたのを見た時に、やっと落ち着ける場所に来れたと、ほっとした思いがしました。
一ヶ月近く海岸にあった鯨の屍はだんだん分解が始まっていました。
そしてトビやカモメにとって貴重な餌場となり、たくさんの鳥たちが集まって来ていました。
大きな生き物は小さな生き物の糧となり、多くの命を繋げていくのかもしれません。
埋葬された鯨がやっと成仏出来たと感じたのは、人間視点の特殊な考え方なのかと感じました。















ザトウクジラのストランディング

2025-01-24 22:47:57 | 漂着物

トウクジラのストランディングがあると知って、2025年1月6日に見てきました。
白浜と千倉の境辺り、白間津の岩場の続く海岸にその鯨は浮かんでいました。
鯨がいたのは岩場に囲まれた小さな入り江です。
地元の方の話によると、鯨は年末位から沖に浮かんでいたそうです。


腹を上に向けている鯨のその顎には白色のブツブツしたものが見えます。


これはオニフジツボで、鯨だけに付着するフジツボだそうです。
命の尽きた鯨と共に、そのフジツボも一生を終えていました。

このストランディングの前の2024年12月13日に、東京ディズニーランド沖に鯨が迷い込むニュースがありました。
鯨を見た漁業関係者の方の話では体長約10mのザトウクジラだったそうです。
このニュースを見た時に、鯨が無事に東京湾から脱出出来るのか心配していました。
しかし時期的みても、その時の鯨なのかもしれないと個人的には思っています。
まだ大人と呼ぶには少し小さな体のザトウクジラは、どうして親からはぐれてしまったのか。
死因は何だったのかなど、色々と疑問に思うことがあります。
これから先にこの鯨がどうなっていくのかと思い、しばらくザトウクジラの観察を始めることにしました。

1月11日のザトウクジラの様子は、前日に吹いた強い南西風の影響で、最初にあった場所から更に奥へと流されていました。


1月16日には鯨の尾の付け根に2本のロープが巻かれて、その先は岩場に打った杭に繋がっていました。
ユリカモメが近くを飛んでいるのですが、恐らく鯨を食べようと様子をうかがっているようです。

見物している方も数人いました。
人と対比するとザトウクジラの大きさがよく分かります。

海面には鯨の脂が浮いています。
表皮が剥がれ始めていて、脂肪が出てきているようです。


岩場の表面にも白い脂が付着していました。


更にオニフジツボの数が少なくなっていました。

5日前の1月11日の時のオニフジツボの様子と比べると半分以上無くなっている感じがします。


1月20日のザトウクジラは、かなり体が崩れてきていました。
表皮もどんどん剥がれていて、鯨の頭部近くの岩場はその脂で白く変色していました。
2本のロープは繋がれたままなので、恐らく調査されることになっているので、鯨が流されないように固定してあると思われます。
地元の方の話ですと、正月にはこの場所にザトウクジラが漂着していたそうで、多いときには50人位の見物人がいたそうです。
その時から20日程経っているのに、未だに放置されているのは、どうしてなのでしょうか。
鯨の体もだんだん崩れて来て、とても気の毒です。
その後にこのザトウクジラの運び出し作業が1月23日に行われると知って、やっと鯨も落ち着く場所が見つかって、浮かばれるような気がしています。
一ヶ月近い時間の経ったザトウクジラの体は最初に見た時から、かなり劣化が進み自然に分解が始まっています。
ここまで放置していたザトウクジラは、行政機関にとってどんな価値があるのか、知りたいと思いました。













ゴバンノアシとネコザメの卵殻

2024-09-26 21:27:50 | 漂着物
二日間吹き続いた北寄りの風は南房総にも秋を運んできました。
風が止んだので早速海岸へ行くと、たくさんの海藻類が打ち上げられていました。
更に風や波が遠くから運んできたエボシガイ付の漂着物もありました。
そんな中に南の島からやって来たゴバンノアシの実も。

普段目にするゴバンノアシとは何か様子が違いました。
よく見ると五角形で、星のように見えます。
ネットで調べたところゴバンノアシは通常は四角い形をしています。
植物の変異としてはあり得る形なのでしょうか?
ゴバンノアシ自体を見たことが無く、漂着した木の実しか実物を見たことが無いので、とても珍しい形だと思いました。
ゴバンノアシは果実の形が碁盤の脚に似ている事がその由来となったそうです。
ツツジ目サガリバナ科の植物、英名ではFish poison treeと呼ばれ、この果実を使って毒流し漁をしていたそうです。
実の外殻はとても硬いのですが、海を漂う間に割れてきて、海岸に流れ着く頃には内側にある繊維質が現れています。
そして、その中には丸い種が入っています。
この種を植木鉢で育てたら、ひょっとしたら芽が出るかもしれないと思うと楽しいです。
でも残念ながらこの実は軽かったので、種はどこかに落ちてしまったようでした。


更にネコザメの卵殻が多数打ち上げられていました。
海藻類と一緒に打ち上げられているので、一見すると海藻に似ています。
強風と波に揉まれて、海底にある岩や海藻類の間から孵化後の卵殻が海中に放り出され、その後波打ち際まで運ばれて来たようです。
千葉県南部の太平洋側の海岸ではネコザメが産卵しているようです。
1年かけて育ったネコザメの子供たちが無事に孵化した後の卵殻です。
孵化したネコザメは元気に海中で、大好物のサザエを食べているかもしれません。

同じ海岸には海藻類の中で休憩中のトウネン。
ユーラシア大陸極北のツンドラ地帯等で子育てを終えて、オーストラリア等ヘ渡るそうです。
スズメ位の小さな体で数千㎞を移動するなんて、ヒトから見たら驚異的な事です。
観察している中で思うのは、一カ所の海岸に長く滞在して、その間はゆっくり移動し、海峡等を横断する時は一気に移動しているのかもしれません。



採餌中のミユビシギ。
渡り途中に立ち寄ったこの海岸で、お腹いっぱい食べて、次の旅の準備をしているのかもしれません。
砂浜は渡り途中の鳥達の休息地、海中ではネコザメを育む、海はたくさんの命を守る場所なのだと思いました。
そして遠くオーストラリアまで南下する渡り鳥と、海流に乗り北上して来た木の実が出逢うのが海岸なのだと実感します。
たくさんの生き物が暮らすこの海岸が、いつまでも変わらぬよう願っています。








海岸に流れ着くものを見て思うこと

2024-03-06 20:58:13 | 漂着物

いつものように海岸を歩いていると、漁港近くの草地にアオイガイがありました。
どうしてこんな場所にアオイガイがあるのかと本当に不思議です。
おそらく風と波により漁港内に入り込んで、スロープへ運ばれた後に強風で飛ばされたのかと考えられます。
2月26日〜27日にかけて全国的に北寄りの風が強かった時の影響で漂着したのではないかと思います。
この次の日から館山湾内の海岸ではたくさんのアオイガイの殻が打ち上げられていて、2日間で11個拾いました。
私以外にもSNSのフォロワーさんがアオイガイを多数拾っている投稿を見ました。
この時は気温も低くて寒かったので、海水温度もかなり低くなり、加えて風が強く波も高く、とても荒れた海でした。
そんな海の状況に耐えられずに死んでしまったアオイガイがたくさんいたのだと想像します。こういう事が続くようだと、アオイガイが絶滅してしまうのではないかと危惧しています。
殻だけのアオイガイがそれを物語っており、海で暮らす事の厳しさを感じ、ここ数年の異常気象を実感する出来事でした。
海の上を吹くそよ風程度の風は心地よいですが、強風となると話は別です。
強風が吹くと海岸近くの我が家では車の窓は真っ白になり、塩害は日常茶飯事。去年あたりから風の強い日が多く3日に一度は強風のような感じがするほどです。
海から近いので海風との関係が密接で、強風の吹く日は気持ちが落ち着かず、あと何日吹くのかと諦めて風の止むのを待つしかない状況です。


漁港を後にして砂浜へ行くと白い袋が打ち上げられていて、カラス袋を破り中身が散乱していました。
近づいてみると焼きそばの袋、人参の切れ端等があり、ビニール袋の中にはビールの空き缶、飲むヨーグルトの紙パック等が見えました。
実はこの袋を前日にも見かけていて、その時は沖に白い物が浮かんでいたので望遠鏡で見てみるとビール袋っぽい感じがしていました。
これは私の想像なのですが、ゴミの中身から感じた事は、これは海で遊んだ人が捨てていったものかもしれないと思いました。
野菜を切って焼きそばを作り、ビールを飲みながら海で楽しく過ごし、ゴミを全部ビニール袋にまとめて自宅へ持って帰るのが出来ない事がとても残念でなりません。
せっかくゴミを袋にまとめたのに海へ投げ捨てる感覚は理解できず不思議に思います。
国道沿いでもたまにゴミの入ったビニール袋が捨てられているのを見かけますが、ゴミを片付ける事が出来るのに、なぜそれを持ち帰らないのでしょうか。
海岸へ打ち上がるたくさんのゴミを見ると本当に悲しいです。
ビーチクリーン等をしてゴミを片付けて海岸を綺麗にしても、ゴミを捨てる人がいる限り、永遠とゴミを拾い片付け続けなければいけないのです。
一人ひとりがゴミをちゃんと処理すればいいだけの事だと思うのですが、なかなかそう簡単にいかないものです…。


アオイガイを拾った後に満潮時の打ち上げラインでウニ殻を見つけて、ウニタワーを作りました。
海岸でこんな風に子供のように遊べるのは、誰もいないのを確認しているからです。
楽しく遊んだ海岸に残すのは、自分の足跡だけというのが理想の過ごし方です。









タコノマクラとアオサギ

2024-03-01 22:31:05 | 漂着物

普段は穏やかな館山湾ですがうねりが入り波が高くなっていました。
まるで台風の時のような力強い波が大きな音をたてて、ザバーンと砂浜や磯へ打ち寄せています。
こんなに高い波を近所の海岸で見るのは珍しい事なので、波の写真を撮るのに良い機会だと思い、堤防の上からチューブ状になった波を撮ることが出来ました。


そして港ではいつものアオサギに出逢えました。
このアオサギはこのあたりの海岸をテリトリーにしているのです。
漁港がお気に入りのようで、魚市場の屋根の上にいたり、堤防で休憩していることが多く、海岸で出逢うお馴染みさんなのです。
左脚の真ん中の指を骨折してしまったようで、その指が上を向いてしまっているので、それを見て識別しています。
秋から春にかけてこの海岸で過ごし、繁殖期になるとここから姿を消して居なくなります。


砂浜には綺麗な貝溜まりが出来ていました。
どんな貝殻が打ち上がっているのかワクワクします。
ゆっくりと貝殻を探しながら歩くと、ミスガイを見つけました。
手に取ってみると、住人がいて身を動かすのがわかりました。
生きていると思い潮溜まりに連れて行きました。


海水に浸かったら縮んていた体を少しずつ広げていって、ゆっくりと磯を移動していました。
元気な姿を見てひと安心です。


そして8本脚のヒトデ。
その名もヤツヒトデと言うそうで、初めて見ました。


荒波に揉まれてたくさんタコノマクラが打ち上がっていました。
表側の棘は無くなっていて、裏側の棘は残っていましたが、この状態では多分死んでしまっていると思われます。
タコノマクラ(蛸の枕)と名付けたのは神奈川県三崎の東大臨海研究所にいた漁師の青木熊吉さんという方だそうです。
とてもチャーミングな名前を付けてもらったこのウニですが、普段磯で見るウニと比べて棘が短くなっているのは、砂底や砂の中に潜って生息するからなのだそうです。
底生生物と呼ばれるこの生きものはこの海岸には他に、スカシカシパン、ハスノハカシパン等がいます。
どれも独特な名前ですが、みんなウニの仲間です。


タコノマクラと同じ場所にアオイガイもありました。
ここ数日でかなりの数のアオイガイを拾っているので、海がとても荒れていた事が想像出来ました。
アオイガイのように海面を漂いながら生活する生きものにとっては、穏やかな海と荒れた海で生死を分けることになるのだと思います。
自然の中に生きる事は厳しい条件の中で生き残ることだと考えますが、自分にはその中で生き残れるために必要なの事が、足りないものばかりだと感じます。
海岸で出逢う生きもの達にたくさんのことを教えてもらっているのですが、まだまだ色々と試行錯誤な状態です。