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日本古代史講座ノート その5

2008-06-28 | 歴史
今回のテーマは「蘇我倉山田石川麻呂の変」

日本書紀の記述を元に解説してくれた。

日本書紀には主に2度登場する。
大化の改新のクーデターの際の道化的な姿と、謀反事件における忠実で毅然とした姿とにギャップを感じる、と言う講義。
持統天皇の祖父であることが考慮されたから、という結論だったけど、考慮されたならクーデターの際にも活躍させればいいのに・・・、いまいち納得できなかった。

もうひとつの論点は、「日本書紀は中大兄皇子を評価する記述のように見えて、実は貶めている記述と考える」という意見に対して。
これに対しては、考えすぎという講師の意見でした。


日本古代史講座ノート その4

2008-06-14 | 歴史
今回は先生が変わって、テーマが『難波宮の発見-半世紀余の調査結果と課題』

この先生は『掘り屋』自称していた。
考古学者というんだろうか、発掘調査が専門みたいね。
それなりに興味深かった。
自習の効果もあって臨場感があった。

でもさ、なんか細切れの知識の補充なんだよね。
まぁ、知りたいことがワンセットでお手軽に、なんて考えるほうが間違っているのはよく解っているんだけどね。


日本古代史講座ノート その2

2008-05-10 | 歴史
今回3回目の講義は『遣唐使 対等外交への歩み その一』

3回とも先生が違ったのだけれども、今回は専門的過ぎて・・・寝てしまった。(少しだけだけどね)
学生時代は授業中に眠るの平気だったけれども、月2回×3ヶ月で1万円弱コースで、寝てしまうなんて・・・今は途方なく勿体無い気になる。
平仮名なし(^_^.)

考えてみれば、うちの息子娘ふたりの大学の授業料は、一日・一時間いくらの授業料になるのか、怖ろしくて計算できないよ・・・。
まぁ親元から通ってくれているだけ親孝行と思って計算しないけど、有意義な4年間を送ってくれる事を(盲目的に)信じているからね~。


日本古代史講座自習帳 その1

2008-04-28 | 歴史
『孝徳天皇とその時代』ということで、難波宮跡公園へ行ってきました。

ビールの美味しい洋食屋の看板についつい
(例によってPicasaウェブアルバムで公開)

まず、大阪歴史博物館へ直行。
10Fの古代史フロアに上がると、難波宮跡公園や大阪城が眼下に見える素晴らしい景色。
難波宮は前期と後期に分かれるのだけれど、前期の難波長柄豊埼宮が大化の改新(645年)後、飛鳥から難波の地に遷都され造営が開始し652年に完成されたという。
ちょうど孝徳天皇の時代なので一度見ておこうっと自習のつもり。

大阪歴史博物館は、その難波宮の北西に位置し、なんと地下の遺構を保存した上でビルが建っている。柱の跡がガラス張りの床から見学でき、学芸員の説明が日に何回か聞くことができる親切さであった。10Fの古代史フロアだけで時間がいっぱいになった充実した一日でした。
「遺跡はなぜ地下に埋まっているのか?」が一応わかったよ。(ウェブアルバム参照)


日本古代史講座ノート その1

2008-04-27 | 歴史
1回目の講義の資料(A4コピー4枚もの)が見当たらなくて、探しているうちに2回目。
今回はなくならないうちに書き込みしておこう。

1回目の講義は、大化の改新後の官制について、で細かすぎてよく解らなかった。
早い話が大化の改新は『有名無実の出来事で、それまでの氏姓制度が温存された』という説には与せず、確かに氏姓制度が暫くは残ったにせよ中央集権国家が成立し始めた、との講義。
それは改新後の官制(お役所の職務)が、文献により機能し始めているのが解る、という。
(資料が行方不明で詳しいこと書けない(涙))

今回は『孝徳期における大伴氏』つーテーマ。
時代的にいうと、大伴氏はもう全盛期を過ぎているという認識があるだろうけど、いやいやこの時代でも朝廷の中枢に一定の勢力があった、という講義でした。
それと、この時代から古墳というかお墓が、横穴式石室から横口式石槨墳に変わる。
○横穴式石室:複数の遺体を埋葬 → 伝統的な氏族的体制
  ↓
○横口式石槨墳:1体埋葬が原則 → 個人を重視した官僚体制
ここでも大化の改新の意義が現れている、という講義でした。

ちょっと専門的すぎてオイラの興味とは少し違うよな(残念)
でも、人に習うってラクチンだよね、もっと学生時代に勉強しておけば良かった。


日本古代史講座ノート その0

2008-04-15 | 歴史
今月から月2回、某新聞系の日本古代史公開講座を受講することになった。
3ヶ月で1万円弱。(本当は1回2,000円で様子見ようと思ったのに・・・受付のねーちゃん有無も聞かずに3ヶ月コースに。)

ずっとシリーズでやっている講座らしく、現時点は『孝徳天皇とその時代』
と言われてもピンとこないよね。マイナー孝徳天皇の時代って。
大化の改新の時の天皇なんだけど、中大兄皇子のちの天智天皇の叔父さんなんだけど、実質は中大兄皇子が実権を握っていた傀儡政権だったそうな。

とういう話は『逆説の日本史』(井沢元彦)で知っていた(うろ覚えで再確認したけど)。
で井沢さんが著書の中で日本歴史学会の三大欠陥
 『史料至上主義』
 『宗教的(呪術的)側面の無視、軽視』
 『権威主義』
となんども指摘しているのだけど、学会側の先生たちはどのように言っているのかな・・・、と嫌らしい動機も半分ある。

のだけれども、やっぱり生の講義を(+αクラスで出逢いが・・・と多少の助平根性も含め)期待して受講することと相成った。