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ねぎ置き場~ひっそり貯えるネタの貯蔵庫~

(自称!)青春系ダンスユニット○~まる~の左。ダンスやったり、表現したがりな三十路が送るブログエンターテイメント

埼玉の外れ、俺の故郷。思えば最高だった。

2016-01-15 07:02:00 | 小説及び小説になりうる原料


生まれたときは埼玉の外れにいて、物心ついたときには、日本地図の東京に近い場所だと教えられて、でも実際に目で見る世界の全ては地元だった。

冒険のフィールドは市内にあり、毎日が予想のできないアドベンチャーだった。五時の鐘がなるまでがタイムリミットで、それまで時間を余すことなく探検した。

寄り道禁止だったけど、たまには神社で一息ついて、街の田んぼが広く見渡せる境内で、どっちの茎が強いか勝負した。なんだか、神様に見られている気がして、ちょっとだけ背筋が伸びた。思わず寄り道が本気になりすぎて、走って帰った家までの道のり。

運動が苦手だった僕に友達は何度も木登りを教えてくれた。中央公園の木に何回上っても最後の足をかけるところばっかりは何度も緊張した。木の上に腰かけてもドキドキして落ち着きはできなかったが、友達と同じことをできたという喜びは感じられた。

あれから、故郷をちょっと離れている間に中央公園は綺麗な中央公園へと勝手に変わっていた。僕らは抵抗する間もなく、大人になったころには、あの木は無くなっていた。なんと、歩きやすい公園!僕らの足跡はとっくに無くなっていた。

キラキラのカードが出るまで粘った、ガチャガチャの自動販売機。同級生の家族が営んでいた駄菓子屋。100円あれば大金持ちだった。頭を使ってお買い物をし、当たりが出ると英雄だった。買い物の後は中央公園まで走って、あの木に登って駄菓子を食べた。商店街はだんだん綺麗になっていく。僕らの思い出とは一致しないほど綺麗になっていく。ガチャガチャも駄菓子屋もない、初めて子どもたちだけでいった、もんじゃ焼き屋さえもシャッターが締まっている。

ザリガニ釣りをしたどぶ川
冷たい水を飲んだ図書館
野球ごっこをしたテニスコートわきの空き地
テスト前だけ友達といった公民館


全てが僕らの生きた証。
全てが音を立てて崩れていっているわけじゃない。
それぞれ故郷に帰ったときに、それぞれ想いを馳せる。そのたび、故郷は蘇る。変わった変わった嘆くのもありだが、旧友にあってトークで一晩限りの復活するだけでもいい。

当時はこんな田舎なんて嫌だと言った。
当時は早く東京に出たいと言った。
毎日毎日おもしろくないと言った。
おもしろくないのを故郷のせいにした。


想いを馳せれば馳せるほど、故郷の良さを思い出す。どうしようもなくガキだった自分と、優しく包んでくれた故郷。冒険する場所に富んでいた。

大人になって冒険できなくなった自分に、故郷は静かに訴えかける。

今の自分に満足か?
あの頃の自分に誇れるか?


見えないあの頃の仲間たちに胸張ってがんばってるって言える、そんな毎日を送れる自分でありたい。

必死で友達についていった木登りの先の景色は今でも俺の中にある。


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