ねぎ置き場~ひっそり貯えるネタの貯蔵庫~

(自称!)青春系ダンスユニット○~まる~の左。ダンスやったり、表現したがりな三十路が送るブログエンターテイメント

勝ちと負けで勝負

2017-11-27 21:59:00 | 小説及び小説になりうる原料
よく「勝負するぞ」という言葉を人は口にする。
仕事の中でここぞというときのチャレンジのようなニュアンスで使うことが多い。
勝負するというからには、「負け」の可能性を多分に含むということを忘れてはならない。
もちろん「負け」る気でやれとなんて言わない。むしろ、強気に「勝ち」にいくのが「勝負する」の一番のニュアンスであろう。

しかし、最近「勝負する」という言葉が便利に使われ過ぎている気がする。科学が発達してきた近年、便利で埋め尽くされている世の中。その世の中にはもはや「負け」なんて無いのではないかというくらいに生活の中の勝率が上げられてきた。人々はそんな道具に慣れてしまい、結果ほとんど「負け」ることを知らずに成長してきてしまった。

そんな人々の使う「勝負する」とはほとんどが「勝ち」を前提とするものなのかもしれない。それを証拠に「負け」てしまった場合は、これでもかというくらい落ち込んで、もう二度と勝負しないなんて台詞まで出てきてしまうのだ。悔しがることは構わない。問題は覚悟がないまま挑んでいることにある。

「勝負する」
それは負けたときの覚悟をもちつつも、リスクに負けない強い意志で勝ちに挑むということだ。
すべて失ったとしても、全力をかけて「勝ち」にこだわる。それくらいの気持ちで勝負をしたというのならば、それはその時点で次の成長につながっているということだ。

久しぶりに筆を執る

2017-11-03 07:47:00 | 小説及び小説になりうる原料
久しぶりに筆を執る

筆を執るというのはもちろん慣用的な表現で、いま現在は携帯のアプリを久しぶりに開くということになる。

久しぶりにアプリを開く

だと格好がつかないというのは一目瞭然だろう

先人の筆を執るという言葉には
そのものの意味以上の重みを感じる

特にそれが「久しぶりに」という付属をつけることにより、いっそう意味が重くなるように感じる

人生の心境の変化があったのかとか
これから何か重大なことを言い出しやしないかとか
そんなニュアンスも込められている気がする

執るという意味には、「取る」以上に手にとって行動するというニュアンスが込められているようだ

つまり、筆をとったその先の行動を強く暗示しているのだ

私はこれから久しぶりに自分を表現する
私はこれから私を語る

その表現には一大エネルギーを要し、受け手はその一大エネルギーがいかにして生じたのかに興味がいく

さあ、私も久しぶりにこのアプリに投稿する
久しぶり筆を執ったわけだ

うーん
やっぱり私には
筆を執るという言葉ほどの重みはない
アプリを開くくらいがちょうどよいかもしれない

理由があまりない
表現者であることを忘れないために書いただけだ

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