昨年のお盆は、スケジュールの都合で、
芦別のお墓へ行けず、失礼をした。
今年こそはと、13日に家内の両親が眠る芦別市民墓地へ
行くことにした。
そして、15日には私の両親のお墓参りへと計画を立てた。
まずは、13日について・・・。
芦別までは、高速道を利用して3時間半はかかる。
私も後期高齢者である。
日頃、運転には十分に気をつけている。
それにしても、この距離をいつまで運転できるか。
今年限りとは決めていないものの、
近い将来にはマイカーを止め、
「列車とバスでお墓参りへ行く」時がくるだろう。
そう思うと、助手席に家内を乗せたロングドライブも、
貴重な時間のように思えた。
さて、お昼をかなり過ぎてから、
芦別の道の駅に着いた。
駐車場は、お盆ならではの賑わいだった。
「まずは昼食!」と、2階のレストランへ行った。
その混雑は予想以上だった。
出入口のフロアは、
予約表に記入した人たちでいっぱいだった。
容易に1時間以上の待ち時間が予想できた。
早々に退散し、お土産品が並ぶ1階で、
菓子パンやおにぎりなどで昼食替わりにしようとウロウロした。
そのフロアの奥へ進むと、
『ピッツァ芦別』と言うオープンカフェのようなピザ専門店あった。
カウンターを囲むように、4人がけのテーブル席が5つ6つあった。
ここには空席があった。
カウンターに尋ねると、注文を受け付けているという。
2階の混雑との差に違和感があった。
勝手に、「評判が良くないのかも」と思った。
それよりも今は空腹を満たしたかった。
店のコーナーにあった自販機から、
ピザマルゲリータの食券を一枚求めた。
写真にあった大きさなら、2人でシェアするのに十分だった。
備え付けのピザ釜があった。
焼き上がるまで、時間がかかるようだった。
空いていたテーブル席で待ちながら、
スマホで『ピッツァ芦別』を検索してみた。
「横市フロマージュ舎のカマンベールチーズ」や
「横市フロマージュ舎直営」の言葉が並んでいた。
つまりは、地元にある横市フロマージュ舎で
作ったチーズをつかったピザをこの店で提供し、
経営していることが分かった。
急に、期待で胸が膨らんだ。
「横市」さんの名は、若い頃からたびたび家内から聞いていた。
高校時代の友達が結婚した相手が「横市」さんなのだ。
手作りチーズ工場で頑張っていた彼女とは、
毎年年賀状交換をしていた。
しかし、数年前に他界した。
その「横市」さんのお店、
「横市」さんのチーズを使ったピザなのだ。
丁度、お盆であった。
テーブルに置かれた焼きたてのピザを、
黙ってゆっくりと味わった。
トマトにマッチしたチーズの美味しい味、
そしてピザ生地の美味しさにもチーズは合っていた。
私の中では、美味しいと思ったピザベスト3に入った。
「評判が良くないかも」などと推測したことを、
家内の友達にそっと詫びた。
そして、たまたまに違いないが、
席まで空けてくれていたことに感謝した。
だって、食べ終わる頃には、
店の入口に長い行列ができていたのだ。
次は15日について・・・。
去年は、兄と姉、私たちの4人でのお墓参りだった。
姉が横浜の娘の所で、術後の療養をしているため、
今年は3人だ。
お墓参り後のことだが、
数日前に、珍しく兄が我が家の庭が見たいと連絡があった。
「それじゃ、夕ご飯も一緒に食べることにしよう」
と、話がまとまった。
和食店なら行き慣れているだろう。
きっと中華や焼き肉も美味しい店を知っているに違いない。
なら、市内に私も家内もお勧めのイタリアンレストランがある。
急ぎ「5時半過ぎに」とそこを予約した。
その店はイタリアンらしく、
取り分けて食べるコースメニューがある。
気取らずにシェアでき、3人には丁度よかった。
最初の4種の前菜を食べ始めてすぐ、
兄は「美味しい」と呟いた。
その中の2種は鯖と桜鱒の魚を使ったものだったが、
どれも驚いたように「美味い!」とうなずいた。
次の、パスタ料理は2皿だった。
ペペロンチーノ風とボロネーゼ風。
どちらも、軽い味付けで私好みだが、
兄は、慣れないフォークに苦戦しながらも、
黙々と食べていた。
そして、静かに、
「オレの店では、小鉢料理にスパゲティーを使うことがあるけど、
こんな味付けはしない。美味しいなあ」。
デザートの前は、
いつ食べても満足するピザマルゲリータだった。
1枚を3人で取り分けた。
兄は、不慣れな手つきで6つに切られた1つを、
自分の小皿に移した。
私たちのようにはかぶりつかず、
それを再び小さく切り分け、ゆっくりと味わっていた。
食べ終えてから、
「スーパーなんかで売っているのを、
チンして食べたことはあるけど、
それとは全然違うなぁ。
初めて本当のピザを食べたよ。
なるほどな、美味しい。
今日は、いい物を食べさせてもらっている」。
兄の顔は、コース料理を終えるまで、
終始仕事人の表情だった。
私の教職生活は、兄の援助があったからである。
わずかだが、お礼ができたのかも・・・。
遠くで母が、喜んでいるように思えたお盆であった。
米不足解消を願う
芦別のお墓へ行けず、失礼をした。
今年こそはと、13日に家内の両親が眠る芦別市民墓地へ
行くことにした。
そして、15日には私の両親のお墓参りへと計画を立てた。
まずは、13日について・・・。
芦別までは、高速道を利用して3時間半はかかる。
私も後期高齢者である。
日頃、運転には十分に気をつけている。
それにしても、この距離をいつまで運転できるか。
今年限りとは決めていないものの、
近い将来にはマイカーを止め、
「列車とバスでお墓参りへ行く」時がくるだろう。
そう思うと、助手席に家内を乗せたロングドライブも、
貴重な時間のように思えた。
さて、お昼をかなり過ぎてから、
芦別の道の駅に着いた。
駐車場は、お盆ならではの賑わいだった。
「まずは昼食!」と、2階のレストランへ行った。
その混雑は予想以上だった。
出入口のフロアは、
予約表に記入した人たちでいっぱいだった。
容易に1時間以上の待ち時間が予想できた。
早々に退散し、お土産品が並ぶ1階で、
菓子パンやおにぎりなどで昼食替わりにしようとウロウロした。
そのフロアの奥へ進むと、
『ピッツァ芦別』と言うオープンカフェのようなピザ専門店あった。
カウンターを囲むように、4人がけのテーブル席が5つ6つあった。
ここには空席があった。
カウンターに尋ねると、注文を受け付けているという。
2階の混雑との差に違和感があった。
勝手に、「評判が良くないのかも」と思った。
それよりも今は空腹を満たしたかった。
店のコーナーにあった自販機から、
ピザマルゲリータの食券を一枚求めた。
写真にあった大きさなら、2人でシェアするのに十分だった。
備え付けのピザ釜があった。
焼き上がるまで、時間がかかるようだった。
空いていたテーブル席で待ちながら、
スマホで『ピッツァ芦別』を検索してみた。
「横市フロマージュ舎のカマンベールチーズ」や
「横市フロマージュ舎直営」の言葉が並んでいた。
つまりは、地元にある横市フロマージュ舎で
作ったチーズをつかったピザをこの店で提供し、
経営していることが分かった。
急に、期待で胸が膨らんだ。
「横市」さんの名は、若い頃からたびたび家内から聞いていた。
高校時代の友達が結婚した相手が「横市」さんなのだ。
手作りチーズ工場で頑張っていた彼女とは、
毎年年賀状交換をしていた。
しかし、数年前に他界した。
その「横市」さんのお店、
「横市」さんのチーズを使ったピザなのだ。
丁度、お盆であった。
テーブルに置かれた焼きたてのピザを、
黙ってゆっくりと味わった。
トマトにマッチしたチーズの美味しい味、
そしてピザ生地の美味しさにもチーズは合っていた。
私の中では、美味しいと思ったピザベスト3に入った。
「評判が良くないかも」などと推測したことを、
家内の友達にそっと詫びた。
そして、たまたまに違いないが、
席まで空けてくれていたことに感謝した。
だって、食べ終わる頃には、
店の入口に長い行列ができていたのだ。
次は15日について・・・。
去年は、兄と姉、私たちの4人でのお墓参りだった。
姉が横浜の娘の所で、術後の療養をしているため、
今年は3人だ。
お墓参り後のことだが、
数日前に、珍しく兄が我が家の庭が見たいと連絡があった。
「それじゃ、夕ご飯も一緒に食べることにしよう」
と、話がまとまった。
和食店なら行き慣れているだろう。
きっと中華や焼き肉も美味しい店を知っているに違いない。
なら、市内に私も家内もお勧めのイタリアンレストランがある。
急ぎ「5時半過ぎに」とそこを予約した。
その店はイタリアンらしく、
取り分けて食べるコースメニューがある。
気取らずにシェアでき、3人には丁度よかった。
最初の4種の前菜を食べ始めてすぐ、
兄は「美味しい」と呟いた。
その中の2種は鯖と桜鱒の魚を使ったものだったが、
どれも驚いたように「美味い!」とうなずいた。
次の、パスタ料理は2皿だった。
ペペロンチーノ風とボロネーゼ風。
どちらも、軽い味付けで私好みだが、
兄は、慣れないフォークに苦戦しながらも、
黙々と食べていた。
そして、静かに、
「オレの店では、小鉢料理にスパゲティーを使うことがあるけど、
こんな味付けはしない。美味しいなあ」。
デザートの前は、
いつ食べても満足するピザマルゲリータだった。
1枚を3人で取り分けた。
兄は、不慣れな手つきで6つに切られた1つを、
自分の小皿に移した。
私たちのようにはかぶりつかず、
それを再び小さく切り分け、ゆっくりと味わっていた。
食べ終えてから、
「スーパーなんかで売っているのを、
チンして食べたことはあるけど、
それとは全然違うなぁ。
初めて本当のピザを食べたよ。
なるほどな、美味しい。
今日は、いい物を食べさせてもらっている」。
兄の顔は、コース料理を終えるまで、
終始仕事人の表情だった。
私の教職生活は、兄の援助があったからである。
わずかだが、お礼ができたのかも・・・。
遠くで母が、喜んでいるように思えたお盆であった。
米不足解消を願う