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恋愛・結婚

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新幹線 夢乗せ出発 一番列車5000人見送り

2015-03-15 05:42:48 | 地域

 新幹線 夢乗せ出発 一番列車5000人見送り


 国が決定した基本計画から43年――。北陸新幹線が営業運転を始めた14日、JR金沢駅で行われた出発式では、この日を待っていた県民ら5000人近くが、一番列車「かがやき500号」の出発を見送った。金沢駅周辺や各観光地では、お祭りムードの中、伝統芸能の披露や地酒の振る舞いなどで、訪れた観光客をもてなした。


  新幹線改札口前で午前5時に始まった開業式典で、JR西日本の真鍋精志社長は「長い年月を経て開業を迎えて感慨深い。より多くの方が訪れ、北陸との交流が広がることを期待する」とあいさつした。


  式典に出席した谷本知事は「石川にとって100年に一度の節目を迎えた。開業効果を持続、発展させ、県内各地、各分野に行き渡らせたい」と意気込んだ。金沢市の山野之義市長は、「もう1回来たい、友達を連れて来よう、住んでみたいと思われる町をつくっていく」と誓った。太田国土交通相は「首都圏と北陸が近づいた。石川の魅力が高まり、多くの観光客を呼び込むことを期待する」と祝辞を述べた。


  駅には一番列車の乗客や鉄道ファンらが次々と押し寄せると、自動改札機が詰まるトラブルも起きたが、備えた駅員たちが速やかに対応した。


  11番ホームでは、東京行きの一番列車「かがやき500号」の乗客らが、和服姿の県内のミスたちと記念撮影をしたり、「W7系」をイメージした服を来て乗車したりと、祝賀ムードを盛り上げた。午前5時50分頃には先頭車両の横で、関係者がテープカットとくす玉割りで祝った。一番列車の発車を見送ろうと、約5000人が集まり、発車時に列車を写真に収めようという鉄道ファンらで混雑。駅員が「危ないので下がってください」とアナウンスするなど、安全確認も重ねた。


  その後、辻昭夫駅長と女優土屋太鳳さんの合図で、定刻よりも1分遅れの午前6時1分、一番列車は多くの人々の夢、希望、未来も乗せて出発した。



聖地のマウンド再現

2015-03-13 05:45:16 | 地域

 聖地のマウンド再現


 21日に開幕する選抜高校野球大会(兵庫・甲子園球場)に、21世紀枠で出場する豊橋市の県立豊橋工高野球部。四つの部活動でグラウンドを共用し、困難な練習環境を克服したという21世紀枠の選考条件の一つを満たし、創部68年目でかなえた甲子園初出場には、工業高校ならではの工夫があった。(宮島出)


  ◇部員も測量、整地


  「あれが甲子園のきっかけかもしれない」。就任7年目の林泰盛監督(34)は4年前を思い出す。


  いてつくような冬の寒さがグラウンドを包み込んでいた。かじかむ指ではノックを受けても、けがが怖い。屋外でボールを使った練習がほとんどできない時期だ。


  そんな時、当時野球部副部長だった大羽芳裕教諭(32)がひらめいた。「あこがれの甲子園と同じマウンドを作ってみたら、部員の意欲も高まるのではないか」。建築科で教え、測量の技術や知識もある。甲子園球場のグラウンド整備を任されている会社に電話し、マウンドの形状などを尋ねると、「うちは公認野球規則通り、1ミリも違わないものを作っている」という答えが戻ってきた。


  公認野球規則でマウンドの高さ、勾配などを調べ、高校にある測量機器を使って調べ直すと、かなり違うことがわかった。投球板は沈み込み、25・4センチの規則にある高さはなかった。投球板の下を掘り、割石を敷き詰め、再び沈むことがないように地盤を固め、投球板を置き直した。あとはマウンドの頂点の平らな部分を作り、傾斜をつけて整地する。どれも測量機器を使い、規則に忠実に。この作業に、授業で測量を勉強していた部員が興味を持った。授業が終わると、グラウンドに飛び出し、機器をにらみ、1ミリの誤差もないように整地を繰り返した。


  「レギュラーになれない選手もこんな方法で力になれる。楽しくて仕方ないようでした。実は工業高校にはやれることがたくさんあったんです」と大羽教諭。


  ほかの部員はいつの間にか石拾いを始めた。練習前の5分間、黙々と拾い、高校野球の聖地のマウンドを再現した。投球板を頂点にした美しい稜線はみるみるダイヤモンドをのみ込み、その裾野を広げた。グラウンドの周囲を巡る側溝の泥まですくい始め、大羽教諭らを驚かせた。部員の意識が大きく変わった。


  ◇手作りの道具残す


  昨年3月卒業した元主将で、田原市の会社員水野悟さん(19)はこのダイヤモンドができた春に入部した。「おしゃべりしながら石拾いをしていると『黙ってやれ』と注意されました。先輩たちの思いが伝わってきました。本当に、イレギュラーバウンドの少ないグラウンドだと感じました」と振り返る。


  卒業生が学んだ溶接や電気工事などの技術を生かし、練習に役立つ道具を残していく伝統も、この時期から本格的に始まった。水野さんの代は防球ネット、試合用のバット立てなど。強豪校なら当たり前にあるカウントの表示板やスコアボード、グラウンド整備用のトンボのほとんども手作りだ。少ない資金の中、先輩たちの思いと技を込めた道具が、後輩たちの成長を後押ししてきた。



災害発生前に連絡室 県計画改定

2015-03-13 05:45:00 | 地域

 災害発生前に連絡室 県計画改定


 ◇警報段階で設置、即応



  • 県防災会議であいさつする会長の西川知事(中央)(県庁で)

  •   県は12日、県地域防災計画を改定した。国の防災基本計画の修正内容を反映させたほか、土砂災害や大雪、津波、地震の際の初動対応を強化する県独自の見直しも加え、この日、県庁で開かれた県防災会議(会長=西川知事)で改定案が了承された。


      土砂災害なら「記録的短時間大雨情報」などが発令される、大雪対応なら幹線道路で大型車が立ち往生する――など、災害に至る前の、危険度が高まった段階で安全環境部長がトップの「災害対策連絡室」を設置。集まった職員が情報収集や市町や関係機関との連絡調整にあたり、被害の未然防止や軽減を図る。


      従来は災害に至っていない場合は、危機管理部門の少人数の職員らだけで対応。災害が発生してから知事がトップの災害対策本部を設けていたが、より早い段階で即応できる態勢を敷く。


      連絡室の設置基準も「土砂災害警戒情報」「大雪警報」の発令などと具体的に定め、桜本宏・安全環境部長は「災害が生じてからではなく、災害が生じる前の段階から部局全体で臨む。態勢構築時は躊躇(ちゅうちょ)がありがちだが、基準を明確化した」と説明した。


      このほか、原子力発電所の重大事故時など多数の被曝(ひばく)患者が出た際、軽度の患者に対応する初期被曝(ひばく)医療機関で受け入れきれない患者に対応する「初期被曝(ひばく)医療支援機関」に国立病院機構あわら病院や坂井市立三国病院など5病院を新たに指定。この改定で被曝(ひばく)医療機関は10から15に増えた。



「丹波布」伝習生の創作展

2015-03-12 06:54:35 | 地域

 「丹波布」伝習生の創作展


 


  • 入門1年目の長期伝習生の作品が並ぶ会場(丹波市青垣町の市立丹波布伝承館で)

  •  

      国の無形文化財に指定されている「丹波布」の継承に取り組む丹波市青垣町西芦田、市立丹波布伝承館で、長期伝習生5人の創作展が開かれている。21日まで。


      丹波布は、草木で染めた手紡ぎの綿糸を用い、縦糸に木綿糸、横糸に絹を交ぜ織りにし、茶色、紺色、緑などのしま模様を表現した織物。紡ぎ、染色、織りの全工程が手作業で、化学染料は使わない。合併前の旧青垣町が、技術保存のため伝承館を建設し、2年間で全工程を習得する長期伝習生の養成を始めた。


      会場には昨年、入門した9期生5人が、通常の半分の長さの反物や、子ども用スカート、ワンピース、スカーフなど54点を出品。素朴な味わいを表現している。問い合わせは同館(0795・80・5100)。



手書きのぬくもり…被災者に手紙を

2015-03-12 06:54:07 | 地域

 手書きのぬくもり…被災者に手紙を


 あなたの気持ちを手紙につづってみませんか――。東日本大震災の被災者や手紙の愛好者が書いた手紙の交換を仲介するボランティア活動を続ける夫婦がいる。姫路市の介護福祉士、佐藤佳美さん(31)と夫の章さん(34)。「てがみ屋」と称し、ペンネームで届いた手紙を取り持ち、知らない相手にそれぞれ届ける。文通とは違い、一度きり。「顔の見えない相手だからこそ打ち明けられることもある。手書きの文字のぬくもりを1人でも多くの人に届けたい」と話す。(藤本綾子)



  • 被災地と手紙を交換する活動を続ける佳美さん

  •   活動のきっかけは昨年3月、章さんが福島県南相馬市にボランティアに行ったこと。仮設住宅で出会った小学2年の男児が「来年どこに住むのか、学校はどうなるのか、修学旅行はどこに行くのか、全くわからない」と嘆くのを聞いたが、かける言葉がなかった。佐藤さん夫婦には5歳と8歳の息子がおり、姫路に戻ってから「彼の将来の夢も聞いてみたかったな」と悔やんだ。


      何かできることはないかと話し合い、佳美さんが子どもの頃から好きな手紙での支援を思いついた。中学時代から北海道の同年代の女性と文通を続けており、「手紙で自分の気持ちが整理され、悩みを聴いてもらうだけで楽になることが何度もあった」という。


      昨年6月からインターネット投稿サイト・フェイスブックなどで便箋を配り始め、東北の知人やボランティアにも便箋を託す。昨夏からは、活動に賛同してくれた同じ「てがみ屋」という店名の長崎県の文具店にもチラシと便箋を置いてもらっている。


      これまでに夫婦のもとに届いた手紙は約20通。被災地からは、まだ2通だけだが、福島県から神奈川県に避難している70歳代の女性の手紙には原発事故でふるさとを奪われた怒りと悲しみがつづられていた。


      「手紙を読むあなたはもっとお辛い経験をされて、厳しい毎日かもしれませんね」。兵庫県の30歳代の女性は便箋に家族を亡くした悲しい体験と周囲の支えで少しずつ前を向けるようになった今の心境をつづり、“見えない相手”の苦しみにも思いを寄せた。


      ほかの手紙にも、「暑いですが、夏バテ気味ではないですか」「あなたにもいいことがありますように」など相手を思う心が文面ににじむ。


      発生から4年が過ぎた今も、多くの被災者が先の見えない生活を続ける。それでも、仮設住宅のポストに届く手紙が被災者にとっての「小さな幸せ」になればと、佳美さんは願う。「自分の名前が書かれた手紙がポストに入っていたときの喜びを、たくさんの人に感じてほしい」。


      手紙の送付先は「〒671・2299 姫路市飾西41の3 飾西郵便局私書箱2号 てがみ屋」へ。