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恋愛・結婚

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選抜高校野球 県岐阜商、好機逃す

2015-03-30 07:51:17 | 地域

 選抜高校野球 県岐阜商、好機逃す


 県岐阜商は29日、準々決勝で2年前の優勝校の浦和学院(埼玉)と対戦。中盤まで緊迫した投手戦となったが、エース高橋純平選手が終盤に集中打を浴びた。打線も相手の左腕エースに4安打、無得点に抑えられ、ベスト4進出は果たせなかった。


  連投となった高橋選手は、浦和学院の強力打線を六回まで4安打、無失点に抑える好投を見せていたが、七回に4安打で3点を失った。八回にも連続二塁打などで2点を追加された。


  打線は、一回一死一、二塁の先制の好機を逃し、その後は七回まで得点圏に走者を進めることができなかった。ようやく八回、高橋選手の右前打と敵失、犠打で二死二、三塁と攻めたが、後続が倒れた。


  試合後、小川信和監督は「打力のなさを感じた。序盤の好機を逃し、リズムに乗ることができなかった」と振り返った。高橋選手は「打順が2巡、3巡目になると詰まった打球も安打にされた。相手打者が一枚上手だった」と悔いのない表情を見せた。



東山焼と巨匠作品共演 姫路の美術館

2015-03-30 07:50:36 | 地域

 東山焼と巨匠作品共演 姫路の美術館


 姫路市本町の三木美術館で、姫路生まれの焼き物「東山焼(とうざんやき)」と、関西ゆかりの作家の作品を集めた企画展「姫路藩窯東山焼と関西作家の共演」が開かれている。5月24日まで。


  東山焼は「呉須(ごす)」と呼ばれる藍色の顔料を使った染付や青磁で、文政5年(1822年)に同市東山の興禅寺山で始まったと伝わる。天保年間(1830~1844年)に姫路藩お抱えの窯として最盛期を迎えるが、明治期に民営となった後に廃窯となった。


  企画展では、染付の大とっくりや茶道で使う水指、青磁の花入など15点をそろえ、白地に深みのある青で描かれた花や山水が印象的だ。ともに京都市出身の人間国宝で、鉄釉(てつゆう)陶器の清水卯一、染付の近藤悠三らの関西出身の巨匠たちの作品17点も鑑賞できる。


  同館の伊賀仁美学芸員は「平成の大修理を終えた姫路城が再注目される中、姫路には東山焼という陶芸もあることを知ってほしい」と話す。午前10時~午後6時。一般600円、高校・大学生400円、小・中学生100円。火曜休館。問い合わせは同館(079・284・8413)へ。



米朝落語 魅力に触れる 伊丹で追悼展

2015-03-30 07:49:00 | 地域

 米朝落語 魅力に触れる 伊丹で追悼展


 上方落語の復興に大きな功績を残し、19日に亡くなった桂米朝さんを追悼する企画展が、伊丹市宮ノ前の市立図書館「ことば蔵」で開かれている。4月30日まで。無料。


  同館によると、米朝さんは昭和40年代から同市で、弟子の二代目桂枝雀さんと寄席「米朝・枝雀親子会」を開始。今も毎年行われている一門会寄席へとつながっており、伊丹と関わりの深かった米朝さんをしのぼうと企画した。


  3階に設けられたスペースでは、米朝さんが大切にした「一期一会」という言葉を自ら記した色紙や、サイン入りの一門会寄席のポスターを展示。「米朝落語全集」(全7巻)や米朝さんの演目などを基にした絵本「じごくのそうべえ」シリーズなど、同館所蔵の約30冊も並ぶ。


  三枝芳美館長(54)は「伊丹市とのつながりを知るとともに、米朝さんが人生をささげた落語の魅力にも触れてほしい」と話している。毎週月曜と4月2日は休館。



立命4番目キャンパスお披露目/大阪・茨木

2015-03-30 07:47:00 | 地域

 立命4番目キャンパスお披露目/大阪・茨木


 大阪府茨木市のビール工場跡地に建設が進んでいた立命館大・大阪いばらきキャンパス(11万平方メートル)が完成し、29日、報道陣に公開された。同大学にとって4番目のキャンパスで、4月1日から利用が始まる。「地域に開かれたキャンパス」として塀を設けず、防災公園を組み込んだほか、図書館やレストランは市民に開放する。


  9階建ての学舎をはじめ6棟を建設。3キャンパスから経営学部、政策科学部など2学部、4研究科の学生約6000人が移る。学舎には幅18メートル、長さ200メートルに及ぶ巨大空間を設け、そこに学習・交流スペースを配置した。壁一面のホワイトボードに画像を投影できるようにした教室もある。


  JR東海道線や大阪モノレールの駅に近く、海外へのアクセスが便利になるといい、この日開かれた竣工(しゅんこう)式で、吉田美喜夫学長は「アジアに羽ばたく人材を育てたい」とあいさつした。



<近江と人と>「壊れる」母 家の力で回復

2015-03-30 07:46:12 | 地域

 <近江と人と>「壊れる」母 家の力で回復


 ◇介護記録を電子出版した 川村 啓子さん 60


  「壊れていく…」。この言葉でしか母を表現する言葉は見つからない。


  2011年4月。85歳だった母静江さんは、おかしな言動が目立つようになり、手当たり次第に物を投げ、「殺してやる」と叫んだ。認知症を疑ったが、診断の結果、持病だった生活習慣病の影響らしかった。


  以前から「介護は在宅で」と決めていた。彦根市佐和町の自宅で母が寝付いた後、ありのまま記録をつけた。


  母はほとんど飲食ができず、おかゆでも米3粒ほどしか口にしなかった。「このままならあと2、3週間の命」。地元の医師、松木明さん(67)にそう告げられた。幻覚も現れた。


  5月3日、夜12時頃から覚醒がまた始まった。「早よしてえな」と大声でうなり続けた。こうして人間は死んでいくのか。寝られない一夜。私自身も壊れていきそうだ。


          ◇


  「介護は大きなゴールを望んではいけないマラソンです。あまり頑張らないで、時々息抜きをして続けて下さいね」。知人で地域医療に通じた北海道の医師、村上智彦さん(54)に再々、メールで励まされた。


  雅楽が好きな母の枕元で、「琵琶湖周航の歌」を竜笛で吹いた。歌が返ってきた。眠らせるときは、赤ちゃんに接するように肩を軽くたたいた。少しずつ落ち着いていった。


  6月になり、食べるおかゆの量が指の先くらいに増え、検査の結果も好転した。


  松木さんの往診は続き、母はとびきりの笑顔で迎えた。「おしりみせるの恥ずかしい…」。母はまた乙女心になった。


  翌12年4月。「レ・ド・レ・ミ・ソ・ミ・レー」と、君が代を音階で口ずさんだ。触れたこともなかった家のピアノで教えると、「ほたるこい」「ねこふんじゃった」など、13曲も弾けるようになった。


  母の頭はまったく普通になっていった。


  これが在宅医療や在宅介護なんだ。家で母をみてよかった。家には力があるんだと思った。


  11月。母は県の「あったか介護ありがとうメッセージ募集事業」で優秀賞を受けた。


  〈いつも、オムツかえてもらっている時、心の中で「ありがとう、ありがとう。」とゆうてるの、あんたには伝わったらへんやろう。〉


  「涙とともにありがとう」というタイトルで、ひたすら娘への感謝がつづられていた。


  そして、13年1月30日。87歳の母は「えらいから寝かせて」と言った。


  まだぬくもりがある母の体を両手でだきしめた。「ずっとそばにいてて」。それが母の最期の言葉だった。


  2年弱の記録は400字詰め原稿用紙約200枚になり、今年2月に電子出版した。


  幸せな最期を迎えるにはどうすればいいか――読む人に考えてもらえたら、との願いを込めて。(布施勇如)


  ◇メモ


  彦根市生まれ。ピアノや書道の教室を開く傍ら、2010年に「彦根市の地域医療を守る会」を作り、代表を務める。市民向けの勉強会を通じ、かかりつけ医を持つことや予防医療の重要性などを訴えている。


  電子書籍「母の恋人 松木先生 私の恋人 村上先生」(300円)は、アマゾンのキンドルストアで購入できる。