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私風徒然草

日高敏隆『人間はどこまで動物か』

2006-12-24 15:28:52 | Googol
かたい題名だが、エッセイ集である。著者は、動物行動学で知られた「日高センセイ」。単に身の回りのできごとの印象をのべるだけでない。

自然の営為-生物たちの、それぞれの戦略、行動、相互の関係-を解き明かしてくれる。たとえば、「ギフチョウ・カタクリ・カンアオイ」、「わかってもらえない話」、「ハエの群飛とかつての『科学』」。

日本だけでなく、世界各地の動植物が語られる。たとえば、「セミの声聞きくらべ」、「ホタル」、「夏の終わり」。

ただ、わかっていることだけを書くのではなく、わからないことは率直にわからないと書いてある。たとえば、「花粉症」、「季節」。

大学の先生(学長も務められた)だったせいか、大学や学生についてもふれられている。たとえば、「大学って何?」、「十八歳」。

そのほか、私のお気に入りは、「モンシロチョウとアゲハチョウ」、「情報と信号の関係」、「ある小さな川のホタル」など。

私にとって印象深かったことは、自然界では、生物たちはそれぞれ選択した「答え」をもっている、ということ。

どこから読んでもいい。楽しめるだけでなく、いろいろな課題に考えをめぐらす機会となると思う。


内部統制実施基準案その後

2006-12-23 22:13:47 | Information
前にこう書いた。

「実施上のガイドラインになると期待されている。」

また、先の記事に「(内部統制実施基準案は)非常にわかりやすい」というコメントをいただいたが、私の感想では「実務指針」にするほどには明快ではないと思った。ただ、米国(の失敗した、あるいは上手くいかなかったところ)を意識して、同じ轍をふまないようにするための措置(効果・効用がどれくらいあるかはよくわからない)がいくつかあることが特徴的である。

内部統制実施基準案の、その後の動向を見ると、11月21日に「公開草案」が出され、一般の意見が募集された。それも12月20日に終了した。おそらく、来年1月下旬(20日ごろか)に最終的に決定するだろうと予想する。

これから、年末年始の休暇を使って、私なりに公開草案を読み解いていくことにする。

その導入として、「おもしろい」と感じていることを述べたい。

いわゆるJ-SOX法で導入されたものは「内部統制報告制度」とよく言われるが、もう少し詳しく言うと「内部統制報告・監査制度」であった。

報告と監査でそれぞれ主体が異なる。主体は2つ。報告では経営者、監査では公認会計士や外部監査人といった外部監査人である。

単純に考えて、経営者は、自組織の内部統制について、「有効である」、「有効でない」という報告をなし得るとし、一方、外部監査人は、経営者の報告について、「適正である」、「適正でない」という意見をのべ得ると仮定する。

すると、その組み合わせは4とおり:
(1)経営者は「有効である」という報告-外部監査人は「適正である」という意見
(2)経営者は「有効である」という報告-外部監査人は「適正でない」という意見
(3)経営者は「有効でない」という報告-外部監査人は「適正である」という意見
(4)経営者は「有効でない」という報告-外部監査人は「適正でない」という意見

(4)は、おそらく、まずあり得ないのではなかろうか。(1)は理想というか、内部統制が良好に構築されている場合、(2)は内部統制に不備が見つかった場合であろう。

おもしろいのは(3)の場合。外部監査人が確かに内部統制は有効でないというお墨付きを付与することがあるということ。監査報告書の結論だけを見て判断すると見誤ることになるかもしれない?

We are REDS.

2006-12-17 19:48:50 | Journal
浦和レッズの優勝パレードがあるというので、のこのこ出かけていった。優勝が美酒ならば、毎度、飲みたいものである。

#まきちゃん、いいでしょう(業務連絡終わり)

紅白の紙ふぶきがすごかった。圧巻。庁舎のイチョウの木に降り積もって、なかなか綺麗だった。オツである。紅白ではなく、赤緑ならば、クリスマスカラーだったんだが…。

ただ、貧乏性なので、誰が切ったんだろう、誰が掃除するんだろうと、思ってしまった。

寒さ緩む、ココロ安らぐ

2006-12-16 20:30:58 | Journal
きょうは、いつもより、多少、暖かった。それで、朝から外出する気になった。

図書館に本を返しに行くことにして、その途中、抽選販売の行列を見つけた。チラシ広告には載ってなかったように思ったが、それはさておき、参加することにした。

運試し。先週に続く、再挑戦である。

そそくさと本を返して、抽選時間に間に合うよう店にもどった。今回、12台とのこと。前回の3分の1でしかない。まぁ、望み薄である。

だいたい、この手のものに当たったことは、ないとは言わないが、限りなく少ない。人生を振り返っても、数えられるほどだ。

抽選が始まった。

1台目は、外れた。

2台目も、外れた。かすりもしない。

4台目は1番違いだったが、もとより前後賞はない。これで3分の1が終了。

8台目も、外れた。これで3分の2が終了。

そして、9台目が過ぎ…

あれっ、一瞬、信じられなくて、反応が遅れた。それが、なんと、当たり、であった。

やった!

めったにないことである。めずらしいことである。うれしいものである。

引き換えをして帰る途中、宝くじ店の前を通りかかると、「本日は大安吉日」の幟があった。皆に当たるはずはない。が、私にとっては、きょうは、大いにココロ安らぐ、よい日であった。多謝。

三角関数の加法定理

2006-12-10 22:27:34 | Journal
呆け防止になるとそそのかされて、高校数学の問題を解いた。

三角関数の加法定理のトコロ。こんなのやったっけ、という感じで、まったく覚えてはいない。

例題をさらっただけなので、それほどむずかしくはない。詳しい解説も載っているので手ごろだ。

数学の解法の、几帳面なところと大胆なところにいたく感心した。きちんと順番に進めて、あまり飛躍はしないが、既知のコトはあっさり省略する。順を追って学習していない当方にとっては既知のコトが既知ではないので、おいていかれる。もどって調べたり、それはそれとしてという具合に、適当に取り扱いながら、筋を追いかけていく。いいかげんというか、良い加減につきあうと、なんとなく了解できるようになる。

未知なことをなんとか既知のコトに結びつけようとする流儀も特徴的だ。

-なんでそっちに行くの?
-知り合いがいるから。そいつに車に乗せてもらおう。
-本当に?

加法定理の形にしたいばかりに、rでくくって、cosαやsinαを登場させる。強引でさえある。唐突に、図が添えてあったりすることが、あやしい雰囲気をかもしだす。

ごくたまに、すっきりと腑に落ちる(すとんと落下する感覚。この感覚はまったく字面のとおりだ)ことがあって、それは実に快い。

試験はなく、締切もない、楽しみのためにする「勉強」は、学生時代にはまったく得がたい、贅沢な時間なのかもしれない。

あいにくの雨

2006-12-09 18:35:31 | Journal
きょうは冷たい雨が降っている。寒い。

そんななか、抽選販売に参加したが、外れた。甲斐のないことであった。まぁ、言ってもせんのないことではある。

「無為」ではなかったが、「無実」な一日。あったまるものを食べて、早く休もう。

明日の天気はどうだろう。明日、天気になぁれ。

宇月原晴明『天王船』

2006-12-03 11:33:29 | Googol
本書は4編の伝奇小説からなる。皆が教わる史実とは異なるが、破綻なく、きちんと閉じた世界が展開されている。そういう意味で、歴史小説と言ってよい。司馬遼太郎さん等とは違い、重要な登場人物が表面にはなかなか出ない異端の徒なので、どちらかというと、伝奇小説の部類にはいるというだけだ。

松波庄五郎・松永久七郎
松永久秀・織田信長
羽柴秀吉・小早川隆景
マルコポーロとフビライ・ハーン

松波庄五郎、後の斎藤道三、松永久七郎、後の松永久秀である。すると、有名な人物ばかりである。冒頭で述べたことは誤りだったのか。

本書は、ある登場人物(たち)に関わる短編集であり、一連のシリーズまたは連作短編という趣がある。ある登場人物(たち)とは誰か。それは読んでのお楽しみ。

もう少し時間があるので、続けよう。これからは、あらすじとは直接関係のない話である。本書では、いくつかの歴史の謎についての解釈・説明がなされていて楽しい。

その一。天下取りに欠かせぬものは何だったか(これは前に紹介した一般向けの歴史解説書でもふれられていたが、本書のほうがわかりやすい)。

その二。織田信長が商業を重んずる政策を採ることができたのはどうしてなのか。

その三。小早川隆景は陪臣なのになぜ五大老に選ばれたのか。

最近の歴史研究を踏まえてのことだろう(そう言うのは簡単だが、通常、歴史学の専門的な論文など目にする機会はあまりないわけで、どのように情報収集されるのだろう)。綿密な取材をされていると思う。だからといって、別に堅苦しくはなく、無駄のない、よく締まった文章で、テンポよく綴られている。もちろん、小説的な解もあるので、すべてが「正しい」わけではない。それはそれで興味深い。

新たな、お気に入りの(別の作品を読みたい)作家を見つけられたと思っている。

天王船
天王船
posted with 簡単リンクくん at 2006.12. 3
宇月原 晴明著中央公論新社 (2006.11)

大豆の歴史

2006-12-02 20:27:09 | Journal
大豆の歴史は古い。原産地は中国東北部だそうだ。中国の最古の詩集に登場するのが、文献に現れる最初の一つらしい。調べてみると、『詩経(しきょう)』大雅(たいが)の「生民(せいみん)」という詩に「荏菽旆旆」とある。読めない。

漢和辞典によると、読みは次のとおり。

荏(ジン・ニン・え)
菽(シュク・まめ)
旆(ハイ・はた)

Infoseekマルチ辞書(漢字) http://dictionary.www.infoseek.co.jp/?gr=kj

国語辞典も使おう。

goo辞書(国語) http://dictionary.goo.ne.jp/index.html

「荏」は荏胡麻【えごま】 。

「菽」が、読みからもわかるとおり、豆のこと。国語辞典によると、マメ科植物のうち、特に、大豆という意味のことが書いてある。また、「菽水(しゅくすい )の歓(かん)」という熟語があり、「貧しいながらも親に孝養をつくす喜び」という意味とのこと(出典は『礼記(らいき)』だそうな。これも古い本だ)。

「旆」はgoo辞書にはなかった。読みからすると「はた」。旗のことかな。さらに調べると、「wiktionary」というおもしろい辞書に載っていた(興味のあるかたはどうぞご自身でご覧ください)。

http://en.wiktionary.org/wiki/%E6%97%86

この辞書によると、"flag"とあり、「旗」でいいことがわかった。

「荏菽旆旆(『ジンシュクハイハイたり』と読み下すのだろう)」から、ゴマやマメが風に揺れ、はたはたと鳴っている様子が目に浮かぶ。目加田誠さんの『詩経(講談社学術文庫)』では、「荏菽(まめ)はふさふさと実り」という訳をあてている。成長の盛んなさまがうかがえる。

「生民」という詩は、周(紀元前1世紀ころの中国の国の名前)の始祖・后稷(こうしょく)の伝説を語るもので、不思議な出生が語られている。三度捨てられたが、いずれも救われ、育てられ、成長したたという内容であった。村山吉廣さんの『詩経の鑑賞』(二玄社)によると「感生説話」とあった。