naka BLOG

私風徒然草

かぶちゃんblog

2006-11-26 21:49:56 | Journal
かぶちゃんとは、猫である。だから、「かぶちゃんblog」は、かぶちゃんが書いたblogではない。かぶちゃんのおかあさんが書いたblogである。しかし、かぶちゃんのおかあさんは猫ではない。女優である。かぶちゃんのおかあさんは、毬谷友子さんだ。

かぶちゃんはおもしろい。だが、きょう、ここで取り上げた理由は、別にある。それは、「かぶちゃんblog」の挿絵が、私にとって快いからである。何やら味がある。つぼにはまる。

「かぶちゃんblog」は、ここのようなタイプのblogではない、絵日記ふうで、絵巻物ふうである。

http://home.att.ne.jp/gold/isonos-home/kabu.html

実は、もう先から、彼女の描くイラストが気に入っている。癒される、というか、仄々(ほのぼの)~、とする。あたたかくなる。

毬谷さんは女優なので、彼女のイラストを目にする機会はあまりない。ホームページの「ご挨拶(すっかりご無沙汰…なかなか更新されない)」とか、「弥々」など、彼女が主演された演劇のパンフレットなどで目にする程度だ。

だから、「かぶちゃんblog」は貴重である。こんなにまとまって読める(?)ことは少ない。

つい、うれしくなって紹介した。密かな楽しみを公開するのは少し勇気がいることだが、それくらいの勇気を持ち合わせていたことが確認できて、またうれしくなった、きょうこの頃である。

イスの座布団

2006-11-25 20:56:22 | Journal
期間限定で、あるプロジェクトの応援をしている。オフィスにいるときは人間工学設計(エルゴノミクスデザイン)のイスにすわっているのだが、「仮住まい」なのでパイプイスである。パイプイスに長時間すわって作業するのはつらい。甘やかしているので、腹筋はたよりない。

少しでもやわらげようと、イスの座布団を買いにいった。総合スーパー(たしかGMSという。詳しい説明はしないが、きっと誰かがまたトラックバックで説明してくれるのではないかしらん)のX店に行ったが、見つけられなかった。I can't find it.

ここは「精選」された品物しか置かないらしいと日頃から思っているのだが、座布団はあったけれどもイスの座布団はなかった(お気に入りで愛用している物も、ある日、当然、店頭から消えたりする。うちしか買ってなかったのか、と思ったりする)。まさに恐るべし、X店。私にとって、油断ならない、そして期待を裏切る店なのだった。

島泰三編 小菅正夫・岩野俊郎『戦う動物園-旭山動物園と到津の森公園の物語-』

2006-11-23 12:04:45 | Googol
この本は、「どん底」からの「逆転」のドキュメンタリーである。「苦難の果ての大いなる成功」を成し遂げた同い年の園長をめぐる物語である。小菅正夫旭山動物園(旭川市)園長、岩野俊郎到津(いとうづ)の森公園(北九州市)園長。

動物園の園長は経営者である。赤字ではやっていけない。閉園もある。到津遊園(到津の森公園の前身)は実際に閉園した。そして、復活した。大変にめずらしい。

「わたしたちから到津ゆうえんをなくさないでください」

小学2年生の作文でも「到津」が漢字だ。遊園地としてだけでなく、1937年から開始された林間学園(日本発の自然教室)などの活動が根づいていたことがうかがえる。

「動物園に金をやるのはドブに捨てるのと同じ」

いろんな原因があったのだろう。動物園の入園者は減っていく。新しい施設(大型遊具等)を作っても一時的な効果しかない。設備投資されなくなって、施設が老朽化し、「きたない、くさい、おもしろくない」。また、入園者が減る。動物園の冬の時代。

「ソフトが問題なんだ」

行動展示の旭山動物園、市民の動物園・到津の森公園。それぞれ動物園を作る側の存在証明というべき「ストーリー」をもっている。理念といってもいい。なぜ動物園はなくてはならないのか。何のためにあるのか。何のために存在したいのか。これを突き詰めて考え、明らかにすることで、軸がぶれない。コンセプトとデザインが大切!

旭山動物園はTVドラマにもなったが、ペンギンの散歩のシーンが印象的だった。行動展示とは野生の動物の生態が感じられる展示方法のこと。ぺんぎん館、ほっきょくぐま館、あざらし館、おらんうーたん館空中運動場など。ペンギンが飛び、アムールトラがほえ、オランウータンが遊ぶ。野生の動物のすごさがわかる。

到津の森公園では公立の動物園経営を市民がボランティアでおこなう新しい運営体制を採っている。動物の餌代をサポーター制度で、動物園の運営費を友の会の会費で、動物の購入などを基金でそれぞれまかなう。そして、親、子、孫、三代にもわたって続く林間学園。市民や学校の先生が動物園と一緒になって活動している。

どちらも歴史と先人の思いを受け継ぎ、知恵と工夫をさまざまにこらし、動物園のコンセプトとデザインを作り上げていると思う。

「野生動物の命を感じてもらう」

家畜と野生の動物は違う。生存原理が違う。野生の動物をあつかうのは毎日が戦いの連続、「戦争」であるという。飼いならすのではなく、野生の動物となんとか折り合いをつけて、野生世界と人間世界の微妙なバランスをとっていくこと。人間の都合に合わせるだけだと、野生の動物は死んでしまう。大変な作業に違いない。

高度な社会を営む動物は、密な社会関係によってしか育てられない、チンパンジーの赤ん坊を人工哺育(ほいく)すると、交尾できないそうだ。私たちが本能だと思っていることであっても、社会的な関係のなかで教えられ、感じられなければ、正常に育っていかないものらしい。

「人間が正常に暮らすには野生の動物がそばにいることが、どうしても必要だ」

動物園は、昔から、市民の要望であり、希望であった。たとえば「ゾウ列車」。戦後、名古屋の東山動物園のゾウを見にいくためにしたてられた特別列車のこと。人間は、心(精神)の安定、平安のために、他の動物を必要としているらしい(余談だが、旅行先で動物園を案内してくれた友人はいちばんキリンが好きだと言った。『なんでこんなことを語っているんだろう』とも。動物の前では素直になれるのかもしれない)。

小菅園長の気合(剛)、岩野園長の加減(柔)、首長・議会の決断、市民の協力、そしてスタッフの尽力。これらは幸運な事例なのかもしれない。でも、2件の復活の事例がたしかにここにある。あきらめないでポジティブに続けることによって、望むことがかなえられた、成功の事例が。

「落ちてゆく夕日がなければ、昇る朝日もない」

きれいにまとめすぎである。だから、ちゃんと(?)「落ち」にしてある。ちゃんと(!)「あとがき」まで読もうね。

戦う動物園
戦う動物園
posted with 簡単リンクくん at 2006.11.23
小菅 正夫著 / 岩野 俊郎著 / 島 泰三編中央公論新社 (2006.7)

古谷三敏『BAR レモン・ハート』

2006-11-19 14:04:33 | Googol
最近、カクテルを飲みたくなった、もう一つの理由(わけ)が、この<酒コミック>だ。

この本で、カクテルに限らず、酒に関わる全般に好奇心が生まれた。従来、まったく気にしてこなかった、酒の種類とその「ブレンド(カクテルのように飲む時だけでなく、製造するときも混ぜ合わせる)」に興味と関心を感じるようになった。実に広く、深い。単なる記号でしかなかったコトバが、実は氷山の一角だった。醸造所のような製造する側にも、バーテンダーのような提供する側にも、そして飲む人にも、それぞれドラマがある。過去と現在と未来がある。夢と挫折と成功がある。

さて、『BAR レモン・ハート』である。バーテンダーのマスターが主役で、常連の松ちゃんとメガネさんが準主役。松ちゃんは「ウィスキーのウーロン割り」を飲んでばかりいて、豊富な酒をそろえる(ないサケはないと豪語するくらい)BAR レモン・ハートのマスターをがっかりさせている。メガネさんは、必ずコートを着て、サングラスをかけてい、いつも飽きずに競馬新聞を読んでいる。スピリッツ派で、けっこう詳しい。バーには、いろんなお客さん(たまに作者も登場する)が来て、話が進む。そして、毎回、一つ(以上の)酒(例外あり)が取り上げられ、マスターの薀蓄(うんちく)が語られるという寸法(筋書き)だ。その酒は、お客さんたちの話にピッタリあったものがチョイスされる。

バーに来る人・いる人は、皆、気持ちがあったかい。行動力もある。たとえば、マスターは、飲酒をドクターストップされたお客のためにロンドンまで「ひとなめグラス」を探しにいったりする(ご存じでしたか?ひとなめグラス。では、ソレラ・システムは?)。親切だ。ドアの向こうは「別世界」なのだろうか。

ところで、ネットを検索してみると、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』に「BARレモンハート」の項があった。なんともすごいことである(今では、こうやって、知識は蓄積され、共有されていくのですね。皆で編集していく、新しいカタチ)。

http://ja.wikipedia.org/wiki/BAR%E3%83%AC%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%83%8F%E3%83%BC%E3%83%88

書きかけとあったが、丁寧に書かれていて、たいていのことはわかるので、そちらを参照していただくこととし、私なりにまとめておこう。牛丼だって「つゆだくで」、ラーメンだって「細めん、やわらかめ」などと、好みを選べる時代に(もちろん店による)、「とりあえずビール」ではなく、たまには「とりあえずギネス。あまり冷えていないものを」と言ってみたくなる、そんなシリーズである。


北森鴻「ラストマティーニ」

2006-11-18 18:39:37 | Googol
最近、カクテルを飲みたくなってしようがない(でも、行けていない)。その理由(わけ)のひとつがこの短編である。

<香菜里屋>シリーズの一篇だ。

ミステリーとしての仕上がりは私にはやや気に入らないけれど、酒飲みでなくても、たまらない描写がいっぱいある。たとえば、こう、きたもり(ん)だ。

「ニ、三の氷をグラスに入れ、バースプーンでステアする。くるくる、くるくるとスプーンはいつまでも回転をやめない。約一分。グラスが完全に冷えるのを待って、中にたまった水分を入念に排除する。オンスカップで二杯、ブラットバレイを注ぎ、続いて炭酸。軽く、ステア。」

バーテンダーの入念な配慮と技術を感じさせる、おいしそうな一杯である。それで、無性に飲みたくなった。作ってみたくもなって、福西英三さんの本(『日曜日の遊び方―福西英三の超カクテル講座 シェーカーいらずの痛快レシピ』絶版らしい)を図書館で借りて読んだりもした(でも、まだ、作れていない)。

引っかかっている、気に入らないところを言ってしまうと、ある「事件」をことさらに殺人事件に結びつける会話を挿入する強引なトコロである。ミステリーだから、という意見には与(くみ)しない。その会話がなくても十分にミステリアスであり、謎解きの要素は十二分に備えている。

登場人物は、皆、キャラがはっきりしていて、魅力的である。他の<香菜里屋>シリーズ作品を読んだことのあるかたには、ちょっとしたサプライズ(?)となる、登場人物の若干の変化もある。連作ならでは、の楽しみだ。

書き忘れていたが、この短編は、月刊「文庫情報誌」IN☆POCKET 2006年8月号(講談社)に掲載されていたものである。もはや入手しにくいかもしれない。ただ、次回が11月号に掲載予定。そろそろ店頭に並ぶのではないか。私は楽しみにしている。

★残念ながら、<香菜里屋>シリーズは休載で、楽しみが延びました…。

エンロン

2006-11-12 14:14:37 | Journal
『エンロン 巨大企業はいかにして崩壊したのか?』という映画が11月18日からライズXほかで公開される。内部統制実施基準案の公開がある時期に、なんとタイミングがいいことだろう(もっとも、元エンロンCEOの判決が出されたばかりという意味でタイミングがいいというのが一般的だな…)。

元は"Enron:The smartest guys in the room"という題名で、試訳すると「豪華なオフィスの最高に頭のいい男たち」。"in the room"は直訳では「室内の」だけれど、岡山徹さんの映画紹介(週刊ST)によると、たぶん訳した感じでいいと思う。

エンロン社は米国SOX法制定のきっかけとなった会社の一つだ。この映画はいわゆる「エンロン事件」の全容が描かれているドキュメンタリー映画だそうだ。日本でも、多くの企業不祥事が続いて、日本版SOX法なるものが制定された(先日の記事を参照)。

私は不正による破綻ぐらいしか知らなかったが、「簿外取引、粉飾会計、不正経理、不正取引、子会社との癒着問題」など、盛りだくさんの不正が明るみになったらしい。「不正発覚を恐れて廃棄した資料が一日一トン」とは恐れ入る。

ガゼン興味がでてきたので、観たくなったが、ライズXは渋谷だし、近場の劇場はどこだろう。少し調べたら、映画の公式サイトがあったので、紹介する。
http://www.enron-movie.com/

劇場情報もあった。東名阪だけでなく、京都、石川、神奈川でも上映される。
http://www.enron-movie.com/theater.html

あとは時間がとれるかどうかだけど、ナントカ工面したい。

内部統制実施基準案

2006-11-11 23:05:13 | Information
待たれていた内部統制の実施基準案の公開が近づいた。近いうちに(11月末か)草案として公開され、一般の意見を募集して、それを反映した後、最終決定される。

実施基準案というのは、日本版SOX法と言われる金融商品取引法に定められた内部統制に関する実施指針のこと。実施上のガイドラインになると期待されている。

金融商品取引法では、上場企業(連結子会社等を含む)に対し、財務報告に係る内部統制について、経営者が評価し、報告しなければならないと規定している。その報告書を公認会計士等が監査することになっている。内部統制報告・監査の制度(以下、内部統制報告制度という)が導入されたわけだ。外部監査を前提としているところが特徴。

内部統制報告制度では、会社の数字が正しく把握できる仕掛け・仕組み(制度)があり、どれくらいきちんと運用ができているかについて経営者が評価し、その結果(財務報告に虚偽記載はない、まず大丈夫、今回は保証しきれない等)を社外に公表することがもとめられる。評価にあたっては、規程等を洗い出し、ルールが適切か確認(必要に応じ是正)した上で(制度の妥当性)、きちんと運用できているか記録(証憑)を残しながら評価(運用の有効性)することになる。つまり、内部統制報告制度に対応するには、一般に、「制度整備⇒確認⇒不備の対応・是正⇒評価⇒報告⇒監査」という手順になるのである。すべての工程に文書化がついてまわる。

では、いったい何をどのように整備・評価・報告・監査すればいいのか、具体的な手順・内容が従来あまり明確でなかった。だから、実施基準が待たれていたわけである。

米国SOX法では、米国に上場している企業も対象になるので、日本でも十数社が対応した。米国SOX法対応は、文書化など、かなり手間と費用のかかる作業であったので、「日本版SOX法対応」でもそこまでやるのか、という点が焦点であった。

実施基準案は企業会計審議会内部統制部会というところで審議されていて、金融庁のホームページにアクセスすると、審議された実施基準案(まだ審議のための『たたき台』だということに注意されたい。議事録がまだないので審議の状況がわからないが、今後、大きな変更があるかもしれない)を読むことができる(今は、官公庁でもかなり情報開示が進んでいることがうかがえる。ただ、インターネットが前提になっているのが情報格差にならないか多少心配な気がする。また、知っているかどうかも大きい…)。

さて、実施基準案で、みんなが待っていた「解」が提示されたのだろうか。

企業会計審議会第14回内部統制部会 議事次第
http://www.fsa.go.jp/singi/singi_kigyou/siryou/naibu/20061106.html

山田史生『寝床で読む「論語」-これが凡人の生きる道』

2006-11-05 08:07:14 | Googol
本書の解釈を著者は「あらぬ妄想」だという。本書の中身を著者は「凡庸」だという。なかなかどうして、そんなことはない、というのが、私の意見である。

孔子とはどんな人だったのだろう。聖人君子と見られるけれど、同じ人間だし、「普通の人」であったと思いたい気もする。
有名な「吾れ十有五にして…」というのは、70歳をすぎてからの言葉のはずだが、当時、彼はどんなふうだったんだろう。毅然として意気盛んだったのか、ニコニコと好々爺然としていたのか。その様子によって、言っている内容、ニュアンスが異なってくる。自慢げで傲慢な猛々しい感じになるか(定説はこちらかな)、懐かしげで多分に弱々しい感じになるのか(本書はこちらだな)。いろんな解釈が可能である。いろんな解釈を吟味しながら楽しんでしまおう。独善にならず、きちんと論理づけながら、多少、好みや嗜好を反映させながら。

そういう立場は本書での著者と同じである。

本書にはグッとくるいい解釈や見解が見つかる。人によって違うだろうが、私が今日の気分で抜き出すと、次のような文を選ぶ(孔子のような人生を送っていないことが如実にわかるね)。

-仕事をしているオトナは、皮肉なことに、生きている意味を見失いがちである
-自分の考えたとおりに生きるべきである。さもないと自分の生きたとおりに考えてしまう
-「生きている意味はなにか」という問いの答えは、「自分はだれにとってかけがえのない他人でありえているか」という問いのなかにしか見つからないというのが、凡人の辿り着いた実感である

ただ、解釈等が必ずしも論語のテキストにぴったり沿ったものばかりではないことに留意することは必要だ。そういう意味で、論語の解釈を通して、著者自身の考え・思想を述べているわけだが、それはそれで特段の支障はない(と思う人は読んでほしい)。

本書は、いかに楽しく生きてゆくか、という大切なことに関するヒントが見つかる、「君子」への道しるべとなる本である。

孔子も言っている:
-君子は上に達し、小人は下に達す。

意味がよくわからないって?そういう人は、意味を知るためにぜひ読んでほしい。意味が違う気がするって?そういう人は、違いを知るためにぜひ読んでほしい。

私はこの感想を寝床で書いた。それで『寝床で書いた「論考」-これが本人(ほん・じん)の生きる道』という語呂あわせを考えたが、全くうまくないね。