質問者:ハイル禅師 なぜ 御親元素大御神様を
主の神と言うのですか?
私:主の神(スの神)と言われるのは
文字通り 最高神であり
あるじの神だからであるが それとは別に「主」には
深い神意が含まれているのです
主の字の上中下の横線三本は
天地人・日月地・五六七・神幽現と言う意味で
それを縦の棒が貫き 一番上に「チョン」が載っている
これは 西洋思想と東洋思想が
それぞれ離れ離れであったのが 時節到来
十字に結ぶ事になったと言う意味を示しています
即ち 主の字の真ん中が十字であり
上下の横棒は天と地であるが人間界は天地の間にあるから
人間界が十字に結ばれることを示唆している
カミとは カ(火)ミ(水)で 火は縦に燃え
水は横に流れるが これが結んでカミとなり
神皇産霊(かみむすび)の働きという
また 仏(ホトケ)は ホドケルの言霊で
それを結ぶのが神の働きなのです
キリスト教徒の十字架や
胸で十字を切るのも結びの意味であり
仏教の卍も同様で 十の字に結ばれると
左回転の霊で 正の回転が始まり
逆卍になると 右回転の体で 負の回転となるが
それぞれのエネルギーが発動するのです
主の神と言うのですか?
私:主の神(スの神)と言われるのは
文字通り 最高神であり
あるじの神だからであるが それとは別に「主」には
深い神意が含まれているのです
主の字の上中下の横線三本は
天地人・日月地・五六七・神幽現と言う意味で
それを縦の棒が貫き 一番上に「チョン」が載っている
これは 西洋思想と東洋思想が
それぞれ離れ離れであったのが 時節到来
十字に結ぶ事になったと言う意味を示しています
即ち 主の字の真ん中が十字であり
上下の横棒は天と地であるが人間界は天地の間にあるから
人間界が十字に結ばれることを示唆している
カミとは カ(火)ミ(水)で 火は縦に燃え
水は横に流れるが これが結んでカミとなり
神皇産霊(かみむすび)の働きという
また 仏(ホトケ)は ホドケルの言霊で
それを結ぶのが神の働きなのです
キリスト教徒の十字架や
胸で十字を切るのも結びの意味であり
仏教の卍も同様で 十の字に結ばれると
左回転の霊で 正の回転が始まり
逆卍になると 右回転の体で 負の回転となるが
それぞれのエネルギーが発動するのです
確か、芸術の神様でしたよね。
先生の熊野のご本、持っておりますよ~!!
今は若干、いろいろな物に埋もれてますが…。(熊野の神様ごめんなさい!!)
熊野と芸術…何というか、私としては、この組み合わせに、若干違和感を感じるのですが…。(笑笑)何にせよ、男神様は、大らかな神様が多いんですよね!
熊野の神様ってどんな神様だったかなぁ~?
やはりね、オリビアの“そよ風の誘惑”に愛を感じるのですよぉ。
・これから食事頂いて来ますねぇ…。
今日はとても疲れたので、さっさと寝ます!
お休みなさ~い!!
先生もごゆっくりされて下さいねぇ~。
それではまた…。】
・【・嫉妬心を捨て去る事。】
・【・人と比べるのではなく、自分に焦点を当て、前の自分と比べて少しでも進歩、成長しているか?という考え方をする。】
・そうすると、楽になれますよ。(どうか気を悪くされませんように)
・自分なりに、極限まで(自分が自分に納得出来るまで)頑張ったら、きっと自分に自信が持てるようになれますよ。
・自分独自のものに自信を持つ事で、きっと心が楽になりますよ。
・【・何処まで、(相手に愛情を持っているならば)愛を持って、相手を認め、尊重できるか?じゃないですか?】
疲れますからね。
あくまでも理想ですから…。
どんな人でも完璧ではありません。
何処かしこには、ボロがあります。
あくまでも自分に自信を持つ為には、ということですから…。
・たまに音楽聞くのも癒やしになりますよ。】
これで、自分の感情のバランスをとったり、コントロール出来るようになれると思いますよ。】
・【・少しは安心されましたか?】
・【・出し惜しむ事の無い愛。】
・【・知恵と知識は違うのです。】
・人を愛する事、人を許す事。】
悪い事をした、悪かったと少しでも省みる姿勢があるのであれば、許してあげるべきなのではないか?と思います。
人が苦しむ姿は見たくないです。
・人にはそれぞれ器というものがあり、それぞれその人の限界というものがあると思います。
自分というものを知り、常に自分を客観視し、いつでも謙虚でいられたら良いですね。それではまた…。】
素直に相手を認め、受け入れる事ですね。
そして、一緒に頑張るのですよ。】
・人には厳しく自分には甘くというのは、ちょっと違うんじゃないですか?
そんな事ばかりしてると、自分がダメになってしまいますよ!
・人に厳しくするのであれば、自分にも厳しく、
時には人に寛容にするのであれば、自分にも多少、時には緩めてあげる事も許されるんじゃないですか?
・厳しさと優しさ、両方必要でしょうね。
・自分の中の男性性ばかりではなく、受け取る、受け入れるという女性性を取り戻すということが、今の私の課題です。バランスですよね。
本来は、感じ取る力や受け取る、受け入れるという力が中心だった私なのですから…。
勇気や決断、行動などの男性性ばかり求められていると、女性性が吹き飛んでしまい、本来の自分からかけ離れてしまいます。
本来の自分を取り戻した方が、何事も上手くいくような気がしています。
そうさせまいとする力があることも分かっています。
そういう力に振り回されてきました。
でも今は、最終的には、本来の自分に立ち返り、判断、行動するのがベストかなぁと感じています。
そうさせまいとする力や思惑があることも分かっております。
自分が自分らしくなくなってしまうことの方が、私には苦痛です。
これが、今の私の本音です。
・本来の自分に立ち返った方が、何もかも上手くいくのです。それではまた…。】
素の神様ならいいですけど、これ以上菊理姫様をしょうのは、私にはもう無理です。
今日で最後にさせて頂きたいと思います。
一人で頑張るには、もう荷が重すぎるのですよ。
申し訳ありませんが、これ以上無理です。】
自分を客観視出来るようになること。
受け取ることばかり考えないで、与える事を惜しまない事。】
・【やり直す事が難しい場合、貫くというのもまた人生だと思います。】
これが、最終的な正当な結論なのですよ!!】
佐藤恭子
やるべき事をやり、(まだ途中の事もある)謙虚に審判を待っているといったところになりつつあるといったところでしょうか?
昔から、私が、早くに気が付いて、それを皆に伝え、知らせようとしても、その時は皆、そんな事あるわけないとか、その考え方は違うだとか言って、まともに取り合わず、軽く扱ったりして、後になって、本当にそうなった時に、皆慌てて、どうしようなどと困っても、時既に遅しという事が多々あるのですよ。
大変なことを請け負わないで、のんびりゆっくりとだけで生きて来たりしている方は(例えばキムヨナと浅田真央ちゃんのように)、後で慌てたり、後悔したり、泣いたりするような立場に立たされたりする事もあるのですよ。
だから、苦労は先にしておいた方が良いという事なんじゃないかと思います。
後で泣くくらいなら、先に大変な思いや苦労を経験してきた方の方が、世の為人の為になる場合が多いのですよ。
大本の教えの中に、”ただの坊ちゃん嬢ちゃんでは乗り越えられない”と言っていた通りなのですよ!!
ですから、素直にそういう方を認めて取り上げる必要があるという事なのですよ!!】
佐藤恭子
まずは、その都度、ありのままの素直な自分の気持ちを、自分自身が、気が付き(自分の内側、心など)受け止める必要があると思いますよ
(ああ、今自分は怒りを感じているなぁだとか、嫉妬してるなぁとか…。)
自分で自覚する必要があるという事ですよ。
お互い、お休み、学びの時期なのかもしれませんね。
分かって頂ければ、それでいいのですよ。
ではまた…。】 ・佐藤恭子より
・しっかりと自分の立場と器をわきまえる事。
・助けて貰っている相手にきちんと感謝をすること。
・ずるい事ばかりしない事。
・本当の意味で自分を認めて誇りを持ちたいのならば、ずるいことをしない事。
・素直に人を認める事。(客観的に自分を認められないから、人を素直に認められない)
・問題が起きたら、右往左往するのではなく、どうしたら問題を解決できるか考え、実行し続けること。(これを続ければ、自分に自信が持てるようになっていく。)直ぐに実行出来なければ、時を待つ事。
そして、達成、解決するまで、あらゆる手段で、何度でもチャレンジし続ける事。
・人を許す事。
・自分の非を認める事。
これらが出来ればいいんじゃないですか?】
佐藤恭子
愚痴を言っても構わないと思います。
きっと誰かに分かってほしいのではないかと思うんですよ。分かってもらえたら、少しは気が済むんではないでしょうか?どうでしょうね?
ふとそう思いました。それではまた…。】佐藤恭子
仰るとおりですね。
しかし、それは、厳しいこの世の中、素直で、純粋で綺麗な心で生きていくのが理想かもしれませんが、人間が醜さを多少醜さを持っていても良いではありませんか?
綺麗事かもしれませんが、厳しいこの世の中、それらを受けとめる愛の心で、受け入れ許していく、そんな心が大切なんじゃないですかねぇ?
そんな人間の弱さを優しく受け入れ愛していく。そんな心持ちで生きていく事が大事なんではないでしょうか?
その為には、まず、自分の弱さを受け入れていく事が必要なのではないでしょうか?
私は、そんな立派な人間ではないと思いますが、何となくそんな気が致しました。
やはり、どんな人々をも包み込む大きな愛なのではないでしょうか?
そんな愛の心をみんなが持つことが出来れば、理想ですよね。先生、それではまた…。】佐藤恭子
良いお話しですね!
先生は、体調など大丈夫ですか?
私は、嵐が去ったような静けさを感じております。ようやく、少しゆっくりさせて頂けるかなぁと感じております。どうも、心身共に、非常に疲れていたようで…。
先生も、心身共に、ご自愛くださいね!
それではまた…。】
言い過ぎたかもしれませんね。先生に助けて頂いて来たかもしれないのに、先生を悲しませてしまったかもしれませんね。お許し下さい。
・殆どの人は、誰しも、複雑な感情というものを持っているのかもしれませんね。
きっと、そういう感情に共感し合えたならば、様々な問題も解決していくものなのかもしれませんね。
・先生、申し訳ありませんでした。お許し下さい。先生を悲しませたくないのです。
・また、ご迷惑でなければ、コメントさせて頂きたいと思います!今日は大変申し訳ありませんでした。それではまた…】 佐藤恭子
失礼かもしれませんが、文章は、全体として、真理を仰っておられるのは分かるのですが、誰かに対する憎しみのようなものを感じてしまったのですが、気のせいでしょうか?
この語録は、そういった趣旨のものではないのかもしれませんが、愛とか救いといったものが、余り感じられませんでした。
私は余り偉そうには言いたくありませんが、宗教というのは、真理を伝えるという事も、一つの役割なのでしょうが、やはりそこに、たとえどんな人に対しても、人類全般に対する愛の念が無ければ、片手落ちとなり、自分側の言い分ばかり主張しているようにしか、感じられないのでは無いでしょうか?
・酷いことを言っているかもしれませんが、それが、率直な感想です。
非常に残念です。何か間違っておられると思いますよ。
・もっと心を愛の念で満たさなければ…
・例え自分に不都合な事でも、受け止める心の度量を持たなければ…】 佐藤恭子