『 自然は全機する 〜玉の海草〜 』

《玉断》 長身で腕っぷしも強い〜 大霊能者の孔子

●  “ 大霊能者としての孔子

[2020-05-05 02:10:24 | 王ヽのミ毎]

 

孔子(BC552BC479年)の言行録『論語』に関しては、私達は教科書で習うものの、何か根本的に間違って教えられたのではあるまいかと…… 歳とってから、沸沸と疑問が湧き上がってきた

『論語』が、たんなる人生訓や処世術めいたフレーズだとしたら、2000年以上もの間最重要古典として大事に反復学習されるはずはないのだ

碩学・幸田露伴をはじめとして、孔子を「萬世の師表(=永遠の師)」と仰ぐ人々を見ると各々並大抵の人物ではない事も気になった

 

儒教の中心的書物『四書五経(「論語」「大学」「中庸」「孟子」/「易経」「書経」「詩経」「礼記」「春秋」)』は……

本来ならば、四書【六】経であり、

秦の始皇帝が断行した焚書坑儒によって、「楽経(がっけい)がコノ世から抹消された(失伝した)のだと聞く

何故消されなければならなかったのか?

この点について、内田樹と安田登(能楽師)の対談で触れられていたのを興味深く拝見した

> 内田「孔子を読むなら、まず儒者という職業は実在したし、現に雨乞い(儒の旁である需は、雨を求めるの意)として機能していたのだという前提がないと始まらないと思うんです。

『論語』は古代人の経験を踏まえた実証的で具体的な技術書なんであって、

それを抽象的で道徳的な教訓だと思って読むからつまらなくなってしまう。」

安田「そして、論語に書いてある【礼や楽に関する技術は危険】であり、だからこそごく一部の人にしか知らせることのない秘伝だった。すごいマニュアルですよね、きっと。

ただ孔子がこれを書いても安心だと思ったのは、そこに行くだけでは出会えないからではないでしょうか。

出会える人しか出会えないし、聞いても聞けない人はいっぱいいる。」

 

‥‥ これは単なるダジャレではなく、礼 白川静に拠れば「鬼神を祀る儀礼」)であるので、

> 安田「『論語』の冒頭の  “ 学んで時にこれを習う ”  のあとに ()た説()ばしからずや ”  という句がありますが、

この  “ ”  という字の孔子時代の文字である  ”  は、巫祝(ふしゅく、神につかえる者)である「兄(祝)」の頭部から神気が立ち昇るさまで、脱魂状態の姿です( “” の中にも ” があります)

また『論語』の中で孔子が最も大事だといった  “ 恕(じょ)”  も、憑依状態の巫女が神託を述べている姿です。

孔子一門の  ”  の基本は脱魂や憑依という巫祝の技法を通じて祖霊や神霊という  “ 超越的なもの ”  と出会ったり、一体化したりすることであり、顔回はその技法の第一の継承者でした。

また、孔子のお母さんも顔家の娘ですし、孔子や顔回や顔真卿(唐代の忠臣・書家)がその血を引く 顔家 ”  というのはそのような巫祝体質を継ぐ家系なのではないでしょうか。」

 

‥‥ よくよく読み込めば、巫祝としての儒者のサインが汲み取られるが、孔子は霊能者の家系に生まれながら「怪力乱神を語らず」と仰って、オカルト的な内容を一切書かなかった処に底知れない懐の深さを垣間見る

釈尊も、オカルト神秘については一切口にされなかった

大霊覚者であられる明治天皇が、一部の祝詞や祭式を厳しく禁じた様に、

秦の始皇帝が、「楽経」を存在させてはならないと決断なさったのは、よくよくの事情があったのだと云ふ

「もう想像を絶する音楽」「人間の感覚器官をすべて変えてしまう音楽」であったろーと安田師は述べておられる

ちょうど『注目すべき人々との出会い』でグルジェフが言及していた、ピアノの鍵盤で、ある音を奏でるだけで、足におできを生じさせることが出来た、客観科学に基づいた音楽のよーに、

また神々もひれ伏す威力の、弁才天の「天の詔琴」の最終兵器みたいに……

 

『春秋左氏伝』より)> 

時は春秋時代、紀元前563年。

宋の平公が、晋侯を饗応するに際し、

【桑林(そうりん)の舞】を奏したいと申し出た。

宋は前代の王朝、殷の末裔だ。

晋公の重臣の一人はこれを辞退すべきだと侯を諫めるが、ほかの凡庸な二人の重臣は、せっかくだから見るべきだという。

桑林の舞とは、聖王と呼ばれた殷の湯王(とうおう)が伝えた雨乞いの舞だ。桑林は伝説の舞で、これを伝えるのは宋一国であり、しかも見る機会などはめったにない。

そんな舞だ。ぜひ見るべきだという意見に従い、晋公はこれを受けることにした。

桑林の舞楽が始まる。

最初に楽人たちが登場してきた。その列の先頭には、楽師が旌旗(せいき)を立てて現われた。

晋公は驚いた。そして、すぐに脇の部屋に引き下がったのだが、その帰路に重い病を得た。

 

‥‥ 「桑林の舞」というのは、人を殺す力を持ったほどの舞と云われているそーです、いわば、スーパー・ソニック・ウェポンです

孔子ご自身も、殷の末裔である宋人の子孫だと言っていたとか

> 安田「『論語』の中にも彼らが雨乞いの舞をしたと思われる  “ 雩(ぶう)”  と呼ばれる場所が登場します。

そこで舞を舞うと、舞っている人の【陰陽のバランス】が整う。それが天に感染して、狂っている陰陽が整ってくる。そうすると、雨が必要ならば雨が降るのです。」

 

‥‥ かくの如く、孔丘は、古代中国の最大の呪術師だったのかも知れない(老子にこっぴどく叱られてはいるが ♪)

そんな異能の孔子像を堪能できる著作を、内田さんは三つ挙げておられる

 

・白川静『孔子伝』-中公文庫

・諸星大二郎『孔子暗黒伝』-集英社文庫

・酒見賢一『陋巷(ろうこう)に在り』-新潮文庫

 

 

【『陋巷に在り』全13巻 新潮社、1992 - 2002 のち文庫本となる】

 

【この加地伸行さんの本は、酒見賢一さんが推薦しておられたので載せた】

 

なんといっても白川静の作品があってこそ、後の二作が大傑作と成り得たのである

白川御大の独自の漢字辞典は、たしかISHKのRさんもお持ちだったと思う

この御方も「見える」人であったのであろー

わたしの愛読書、酒見さんの大長編『陋巷に在り』には、孔子の母上として、自立した強い女、きわめて魅力的な大母性・顔徴在が登場する

妖艶なる傾国の美女・芙蓉(ふよう)や、凄腕の南越の呪術師・少正卯(しょうせいぼう)と、顔回・孔子師弟コンビとのサイキック・ウォーは、割と史実に沿ってトレースされてあって、裏面の歴史として、手に汗握る面白さであった

モテる顔回(顔子淵)とゆーのも新鮮だ

孔子も圧倒的貫禄で、儒者(葬礼を司る霊能者)の真の姿を見せる

Rさんの見立てでは、この偉大なる孔子は8次元、なんと青森魂・棟方志功もまた8次元なのである

日本人は、文武両道の達人を好む処があり、この孔子や顔真卿(空海さんは顔法が大好き)や関羽雲長や王陽明など、その精髄を余す処なく汲み取ったと思われるが……

日本という国は、孔孟の「儒学」は重用したものの、この「儒教」は一切取り入れなかった

一方天皇家では、「道教」の礼式を取りいれている(線香や位牌など)

 

 

[※ 引用文献 ; 内田樹・安田登『変調「日本の古典」講義〜 身体で読む伝統・教養・知性〜』より]

 

                                  

                       _________玉の海草

 

 

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