『 自然は全機する 〜玉の海草〜 』

《玉断》 G.I.グルジェフ まとめー上巻

__ 真に驚嘆すべき人物、G.I.グルジェフ(1866〜1949年)について、折に触れて綴った拙稿をまとめておきたい。

およそ30年に渡って、こんな私を鼓舞しつづけてくれた掛け値無しに偉大な人物グルジェフ、天下の奇書『ベルゼバブの孫への話』を後世のわたしたちに遺してくれた大作家でもある。

ひとり精神世界に屹立する先達であるのみならず、13世ダライ・ラマを指導し、ナチスドイツのヒットラーまで手玉に取った「詐欺師」の一面を併せ持つ異能の人物。現代に名を成した叩き上げの実業家でも、彼ほど高密度に働いた(稼いだ)商売人はおるまい。日常的に、自らの限界を突破する「超努力」を継続してきた、真の自由人で物好きでイタズラっ子である愛すべき人物。

人類史は、彼が現れたことによって、ユーモアに溢れた優しい父性物語を復活させることになる。善悪両面に抜きん出た実力を兼ね備えた、端倪すべからざる個性、彼に似た人などどこにもいない、突出したオリジナリティー。語り尽くせぬ人間的魅力、誰も彼のようには出来ないし、難しすぎて誰も彼の真似はしようとはしないだろう。うう、喋りすぎた…… …… …… 

人間は自分一人でいたのでは、自分の弱点は絶対に分らないままである。

自分自身の弱点は、他人の上に存在する。」(グルジェフ)

 

 

● “ グルジェフの呪縛 ”

[2008-09-16 11:26:52 | 玉ノ海]

 

わが邦に初めて グルジェフの体系を伝えてくれたのは、舞踏家・笠井叡の奇書『天使論』1972・現代思潮社刊/であろうか?

1981『奇蹟を求めて』P.D.ウスペンスキー著・平河出版社刊

そして、遂に

1990浅井雅志氏が、大著『ベルゼバブ~』を翻訳なされたと聞いた時には驚喜したものだった

偉大なるG.I.グルジェフの指示どおり近代教育によって植え付けられた思考経路を解体すべく、故意に難解な表現を採っているこの大作を 3回読んだ(メモを取りながら)

…… パートクドルグ義務(意識的苦悩)、ヘプタパラパーシノク、アカルダン協会十年以上経った今でも 不図、アタマに浮かぶ グルジェフ独特の造語群…… 

この、いたって父性溢るる(雄々しい)神秘思想家の 他の諸々の賢者とハッキリ違う点は― 仕事中でも 日常の家庭生活でも出来ることを提示していることだ

もちろん、ヤりましたよ…… 馬鹿みたいに♪こんな時、グルジェフなら…… ?”って具合に 恒に念頭に、あの抜け目のない 慈愛に充ちた顔が在りましたョ

『ベルゼバブ』の次に読むよーにと指示のあった 3部作の2番目―

『注目すべき人々との出会い』星川淳訳・めるくまーる社刊/ には、グルジェフが邂逅した 愉快な友人たち♪が 続々と登場するがその無類の個性(オリジナリティ)に触れると なるほど自分は眠っているなと 認めざるを得ない! その愛すべき人間的魅力には圧倒されたものだ

真物の吟遊詩人であった父君への尊敬、プリウレ(グルジェフの私設研究寮)における ご母堂や妻への全霊的な献身を垣間見るにつけ催眠術師としての暗い過去やスパイ疑惑、イカサマ商人としての世渡りを割り引いても このオトコ、全幅の信頼をおける人間らしいイイ男だと感じた

彼の人生には、ブレが無い 人間ここまで成長出来るものなのかまったく驚嘆すべき人物である

いまだに 楽天的に人間が好きと云えるのは 彼のよーな個性に出逢っているからかも知らん

そーこーするうちに 生活に漬かり やっと懐かしい人になりかけた時に現れたのが… ISHK・Rさんである アチャー、せっかく忘れかけていたのに

とは云え、疾風怒涛の青春期をグルジェフと伴に過ごした私のよーな者からすると 本日の記事は 一入滲み入る 『感謝想起』は『自己想起』より優しい

 

“ プリウレのアマノジャク 

[2008-11-24 21:59:17 | 玉ノ海]

 

G.I.グルジェフ・談

『だれもがトラブル・メーカーであることはできないということを理解していないね。

これは人生で重要である― パンをつくるのに必要なイーストのような成分である。

トラブルや対立がないと、人生は死である。人々は現状維持の状態で生活し、機械的に、習慣だけで生きていて、良心をもっていない。

いつも、いちばんミス・マジソンを怒らせたから、いちばんたくさんの報酬を得たのだよ。ミス・マジソンにとって良いことだ。対立がないと、ミス・マジソンの良心が眠ってしまうかもしれない。…… 

 

『人々は、学ぶことを知らない』、彼は続けて言った。

いつも、話すことが必要だと考える――頭で、言葉で学ぶと考える。そうではないのだ。

感情と、感覚からだけ学べることがたくさんある。

だが、人間はいつも話しているので― 連想器官(フォーマトリー・アパラタス)だけを使っているので―このことを理解しない。

この間の晩にスタディ・ハウスでミス・マジソンが新しい経験をしているのがみなにはわからない。

かわいそうな女性だ、人から好かれない、人々は彼女をおかしいと思う、彼女を笑う。

だが、この間の晩、人々は笑わない。私がお金をあげるとき、ミス・マジソンが居心地悪く感じ、当惑するのはほんとうである。たぶん、恥を感じる。

だが、大勢の人が彼女に同情し、哀れみ、思いやり、愛情さえ感じる。

彼女はこれを理解する、だが、すぐに頭で理解するのではない。

あの時彼女は、彼女のもつこの感じを知ろうとさえしない。

だが、彼女の人生が変わる。去年の夏、子供たちはミス・マジソンを憎んだね。もう憎まない。彼女をおかしいと思わない、かわいそうに思う。好きでさえある。

たとえ彼女がこのことをすぐに知らなくとも、彼女にとってよいことである― 子供たちが、彼女が好きであるのを隠そうとしても、隠せない、表れる。それで、彼女に友だちができた 以前は敵だった。

彼女に私がしてあげる良いことである。彼女がすぐに理解するかどうかは、私は気にしない― いつか理解し、心を暖める。

ミス・マジソンのように魅力のない、自分自身と仲のよくない性格にとって、これは稀な経験、これは暖かい気持ちである…… (中略)…… だが、こういうことを理解するのには時間がかかる。』

引用:フリッツ・ピータース『魁偉の残像-グルジェフと暮らした少年時代-』前田樹子・訳 めるくまーる社

 

● “ ラフミルヴィッチ -生来のアマノジャク 

[2008-11-24 23:14:09 | 玉ノ海]

 

プリウレ=“人間の調和的発展のためのグルジェフ研究所

この研究所の主な目的の一つは「他人の不快な発現」と一緒に暮らせるように学ぶことであると言う

 

グルジェフは、人々と仲良くやってゆくことをまなばなければならない―あらゆる種類の人々と、あらゆる状況において一緒に暮らすこと、つまり、いつも人々に反応しないという意味で、一緒に暮らすことを学ばなければいけないと言った

 

> …… 中に、特筆すべき一人物がいた 六十歳ぐらいのラフミルヴィッチという名の人で、彼が他の「(プリウレ内の)ロシア人」たちと違っていたのは、あらゆることについて、飽くことを知らない好奇心を持っていたためであった

沈鬱で、陰気なタイプの人で、災難ばかり予言し、あらゆることに不満をもち、食べ物や住まいについて絶えず不平を言い、お湯がぬるいとか、燃料が足りないとか、人々が不親切だとか、世界の終末が来るとか、とにかく、どんな状況も、どんなできごとも、あらゆることを、惨事と言わずとも、惨事寸前に到らす才能をもっていた

『憶えているであろう』とグルジェフは切り出した

(彼は)トラブルを起こす子供だと言ったのを。このことはほんとうだが、子供はまだ小さい。ラフミルヴィッチは大人。

それで、子供のような悪さはしないが、彼が何をしようと、どこに住もうと、いつも摩擦を起こす性格をもっている。

重大なトラブルは起こさない。だが、いつも人生の表面に摩擦を起こす。彼はこれを直せない― 変わるには、年をとり過ぎている。

ラフミルヴィッチはすでに金持ちの商人だが、私は彼に金を払ってここ(プリウレ)にいてもらっている。驚くであろうが、そうなのだ。

彼はとても古い友人で、私の目的に、とても重要なのだ。…… (中略)…… 

ラフミルヴィッチがいないと、プリオーレ(プリウレ)は同じではない。私は彼のような人をだれも知らない。

ただいるだけで、意識した努力なしに、まわりの人々全部に摩擦を起こす人は、他にはだれもいない。』

 

『他の人が、その人自身に必要なことをするのを助けることができるほどに、あなた自身を発展させる必要があり、たとえ、相手の人がその必要性に気づいていないときでも、また、あなたにとって不利なことになっても、助けることができなければならない。

この意味においてのみ、道理に適切にかなった愛と言え、真の愛の名に値いする。』

*同上掲書『魁偉の残像』より

 

“ 得がたき内的ショック 

[2008-11-30 03:34:14 | 玉ノ海]

 

ともあれ、伊勢白山道『内在神と共に』のタイトルが 『グルジェフと共に -Our Life with Mr.Gurdjieff-』に似ていることに 今頃気づいた私し、本書から引用

 

人間は、たいてい「本質とは無関係」の心で生きている。人は、自分自身の見解をもたず、他人から聞かされることにいちいち影響されている(だるかの悪口を聞かされたばかりに、その人に悪意を抱く人の例が挙げられた)

研究所(プリウレ)では自分自身の心で生きることを学ばなければならない。

…… 略…… 

そのため、研究所に新入生が来ると、わざとむずかしい状況をつくり、あらゆる類の問題を発生させて、仕事・ワークへの関心がその人自身のもつ関心なのか、それとも、人から聞かされた関心にすぎないのか、自分自身でこの点を明確にさせるように仕向けるのである。

…… 略…… 

人が人生でみじめに感じる一時期も、これと同じ状況から発生する。

人は、外的影響により偶然自己の内部に形成された「本質とは無関係」の心で暮らしている。

そういう生活が続くかぎり、人は満足している。

ところが何かのきっかけで、外部からの影響が存在しなくなると、人は関心を失い、みじめになる。

自分自身のもの、自分から取り去ることのできないもの、常に自分のもの―が存在していない。これが存在し始めるとき初めて、このみじめさがなくなる。

トーマス&オルガ・ド・ハートマン夫妻共著 前田樹子訳 めるくまーる社刊

 

●  グルジェフのワークに意識的苦悩が必要なわけは、それが即 『自己想起』が大切であることを思い出させるからだと認識している

タバコ好きが禁煙すれば禁断症状を覚える度に、なぜ禁煙しようとしたのかを思い出す

人間は、いくらいいことに思い至っても、次の瞬間には容易に忘れる生き物だからである

かの神のごときプラトンですら、生涯の(見神による)至高体験は、わずか四回に過ぎない 皆等しく、忘れるのである

してみれば、四六時中経営を念頭において忘れない社長は良さそーなものだが、さにあらず…… Rさんは、驚くべき方法論を述べておられる

高度な集中から忘却、そして没入― この過程においても、切れ目(隙間)なく『感謝の思い』だけは存続される

仏門における正念存続とは、自己想起=感謝想起のことだったのかあ

とすれば、ひとつしか出来ない男にも望みはある

この無能には、恩寵がふくまれている

創造的な仕事は、隙間あるながら作業からは産まれない

冗談めいているが

生死の原点に戻る『感謝の思い』により不断に神ながらに生きることのみが、唯一ゆるされるながら作業なのかも知れん...

 

 

『自分自身のことだけを考えなさい(もちろん、正しい方法で)……

なぜなら、そのとき初めてあなたは他人のことを考えることができるようになるからだ』 -ベルゼバブ

『私に従えば、あなたは私を見失うだろう。

自分自身に従えば、あなたは私と自分自身の両方を見出すだろう』 -グノーシス主義に伝わる、キリスト=イエスの箴言

『太陽より眩しく、雪よりも白く、エーテルよりも精妙なものは、私の心の中にある自己である。

私はその自己であり、その自己が私なのだ』 -Gの直弟子・オレイジによるマントラ

[*引用:C.S.ノット『回想のグルジェフ』コスモス・ライブラリー-より]

 

けたはずれの人物

[2009-11-13 23:24:59 | 玉の海]

 

「彼はけたはずれの人間だった。どれくらいけたはずれだったか、君には想像もつかないだろう」

/ウスペンスキーのグルジェフ評

 

桁外れな人物とゆーものはいるものである

南方熊楠を、いまから四半世紀前に初めて知った時(今東光経由)…正直、「嘘だろう!?」と思った

あまりに度外れていたからである

しかし、仔細に裏を取って調べて行くうち

熊楠翁と同時代人には(つまり明治人)、彼に限らず途轍もない図太い個性が目白押しである

ちなみに、グルジェフも1866(cf.明治維新1868)生まれ

土性骨といいますか、この時代の人間は徹底している

うちの爺さまも明治生まれで、ご近所にはシベリア抑留帰りの身も竦むほど怖い爺さまもおった

この世代の特徴は、男女共に愚痴を言わないのと、人はやれば出来るとゆー強い信念を持っていたことだと思う

弁解が大嫌いだった

そんな自ら恃むことの強く潔かった日本人が…… 「人間は弱いものだから」とか云い始めたのは、太宰治に象徴される『大正デモクラシー』以降のことだと聞いている

明治大好きの私としては、このブログによく出てくる「ヘナチョコパンチ」「ミジンコパワー」には、どーも抵抗がある

遣る前から、それではあまりに覇氣がない

 

明治の氣骨に触れるには、杉山茂丸『百魔()()巻』講談社学術文庫-あたりが、読み物としても無類に面白い

著者は、『ドグラ・マグラ』の夢野久作のご尊父。国士頭山満の盟友で、人形浄瑠璃の世界に偉大な貢献を果した。「インド緑化の父・杉山龍丸」は茂丸の孫である。)

 

それと昨年、絶版だった『弓と禅』(中西政次著・春秋社刊)が復刊された

かのオイゲン・ヘリゲル博士の同名の書とは別物

ここに、桁外れの人物、弓術家『梅路見鸞』がお目見えする

Wikiに拠れば…… 

円覚寺の釈宗演老師より印可を受け、

明治42年からの7年間で、柔、剣、居合、馬などの武術と書、浄瑠璃、俳句、茶ノ湯などの芸道を修行 いずれも傑出したと云う

心は万物の宗なり、これを得れば聖賢となり、これを失すれば狂愚となるという。

この心とは各自本有の心、即ち不垢不浄なる真の清浄(宇宙当然の真理)である。この心の胎得顕現を道を得ると云い、真の修行と云う。

本来修行は、名人達人或は学匠となるのではない。

唯人間の本来は不垢不浄たるの清浄そのものであることを相対絶対を超えて、内証大自覚することである。

故に 師によって受くべき無く、又与えらるる無き、『無師成道』である。

            _________玉の海草

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